2026年のワールドベースボールクラシックで、Netflix大会応援ソングとして起用されたのが、稲葉浩志による「タッチ」でした。
この発表を見て、多くの人がまず感じたのは、「なぜ今タッチなのか」「なぜ歌うのが稲葉浩志なのか」という驚きだったと思います。ですが、実際に背景をたどっていくと、この組み合わせにはかなりはっきりした必然性があります。Netflixも、「タッチ」が長年にわたって多くの人に親しまれてきたことや、野球という競技の持つドラマ性を踏まえて今回の起用に至ったと説明しています。
結論から言えば、今回の起用は単なる懐かしさ狙いではありません。
野球と青春の記憶を強く呼び起こす「タッチ」という楽曲と、その楽曲に新たな熱量と緊張感を吹き込める稲葉浩志の歌声が、WBCという大舞台に非常によく合っていた。そこに、この企画の本質があります。
「タッチ」が持っている特別な力
「タッチ」は、あだち充の同名作品から生まれた楽曲です。
原作は高校野球を題材にしながら、双子の兄弟と浅倉南を軸にした青春物語として長く愛されてきました。アニメ主題歌としても広く浸透し、単なるヒット曲という以上に、“野球と青春の象徴”のような存在になっています。
ここが非常に大きいです。
国際大会の応援ソングに求められるのは、単に勢いのある曲ではありません。イントロやサビの数秒で、一気に感情を立ち上げられることが大切です。野球、夏、青春、努力、勝負、期待、不安、そういったものが一瞬で頭の中に立ち上がる曲は強い。
「タッチ」はまさにその条件を満たしています。Netflixも、野球の魅力を「最後のアウトを取るまで何が起こるかわからない予測不能なドラマ」と表現したうえで、この曲を大会応援ソングに据えています。つまり今回の選曲は、とても理にかなっています。
つまり「タッチ」は、古い名曲だから選ばれたのではありません。
野球という競技にまつわる日本人の感情の蓄積を、最も自然に呼び起こせる曲のひとつだから選ばれたのだと思います。
では、なぜ歌うのが稲葉浩志なのか
ここで次に気になるのが、なぜ歌い手が稲葉浩志だったのかという点です。
Netflix公式では、稲葉浩志について「数々の国際的なスポーツ大会の応援ソングを歌ってきたボーカリスト」と紹介しており、今回のカバーもそうした文脈の中で実現したと説明しています。さらに本人も、オリジナルへのリスペクトを前提としながら、自分の情熱を注ぎ込んで歌ったとコメントしています。
僕は、ここにかなり大きな意味があると思っています。
「タッチ」は本来、爽やかさや親しみやすさを持った曲です。けれど、WBCのような大会に必要なのは、それだけではありません。国を背負って戦う空気、勝負前の緊張感、胸が熱くなるような高揚感も必要です。
その点で、稲葉浩志の声はとても強い。彼の歌声は、ただ明るいだけでは終わりません。柔らかく入ることもできるし、一気に熱量を上げることもできる。だから「タッチ」が持っている青春性を壊さずに、そこへ“勝負の熱”を上乗せできるわけです。
稲葉浩志の歌声だから生まれる緊張感
今回のカバーが面白いのは、原曲の親しみやすさを残しながら、稲葉浩志の歌声によって楽曲全体の温度が少し変わっているところです。
Netflixの紹介文でも、原曲の持つキャッチーさやドラマ性に、稲葉のエネルギッシュなパッションと力強いメロディーが重なり、WBCの名場面と結びつくことで特別な応援ソングになったと説明されています。
ここが重要です。
稲葉版「タッチ」は、原曲をそのままなぞったものではありません。
誰もが知っているメロディーを使いながら、そこにより強い切実さと緊張感を加えているのです。Real Soundでも、今回のカバーは原曲とは違った張り詰めた空気をまとっており、聴き慣れた楽曲に新鮮さを生んでいると評されています。
稲葉浩志は、単に高音が出るから凄い歌手ではありません。
高い音に入ったときにも、ただ派手に聞こえるのではなく、感情のピークとして響かせる力がある。しかも弱い声と強い声の落差を作るのがうまい。だから彼が歌うと、同じ「タッチ」でも単なる懐かしいアニメソングでは終わらず、試合前の気持ちを高める楽曲として立ち上がってきます。
稲葉浩志本人の歌唱観とも重なる
この起用がしっくりくるのは、稲葉本人の歌に対する考え方とも重なるからです。
2016年のインタビューで稲葉浩志は、自分で軽いボイストレーニングを続けていること、ツアーを重ねる中で喉の扱いに関する「データ」が蓄積されてきたこと、そして年齢とともに無理に昔と同じように歌うのではなく、今の自分の声でどう表現するかを大事にしていることを語っています。
この発言はとても象徴的です。
名曲のカバーで本当に大切なのは、原曲をそっくり再現することではありません。原曲への敬意を保ちながら、自分の声でその曲に新しい意味を与えられるかどうかです。
稲葉浩志はまさにそういうタイプの歌い手です。昔の自分の歌い方を無理に再現するのではなく、その時点の自分の身体や声に合った形で、曲の表情を最大化していく。その姿勢があるからこそ、「タッチ」のような誰もが知る曲でも、説得力のある形で歌い直せるのだと思います。
「青春の歌」が「闘志の歌」になる瞬間
今回の「タッチ」でいちばん面白いのは、もともと青春の匂いが強いこの曲が、稲葉浩志の歌によって少しだけ“闘志の歌”に傾いていることです。
もちろん原曲の軽やかさや親しみやすさは残っています。けれど、その上に乗る声が稲葉浩志になることで、曲の奥から別の温度が立ち上がってくる。
それは、懐かしさだけではない。
可愛らしさだけでもない。
むしろ、今から本当に何かが始まる感じです。
WBCという舞台には、その感覚がとてもよく合います。
国際大会は、ただ楽しいだけの場ではありません。誇りも重圧もある。期待も不安もある。だから応援ソングにも、単純な爽やかさだけでは足りない。
「タッチ」が持っている青春性に、稲葉浩志の持つ緊張感や熱量が加わることで、今回の楽曲は“懐かしい名曲”から“今の勝負を鼓舞する曲”へと変わったのだと思います。
なぜこの組み合わせがこんなにしっくりくるのか
結局のところ、今回の組み合わせが強いのは、両方にそれぞれ別の役割があるからです。
「タッチ」は、野球と青春の記憶を呼び起こす役割を持っている。
稲葉浩志は、その記憶を今の熱量へ変える役割を持っている。
この二つが噛み合ったとき、ただのカバーでは終わらないものが生まれる。
それが、今回のWBC応援ソングだったのだと思います。実際、スペシャルムービーは公開後に大きな反響を呼び、東京ドームでの初披露でも強い注目を集めました。話題性だけではなく、楽曲としての必然性があったからこそ、ここまでしっくり受け止められたのでしょう。
まとめ
稲葉浩志が「タッチ」を歌う理由は、とてもシンプルです。
「タッチ」は、野球と青春の感情を一瞬で呼び起こせる曲だから。
稲葉浩志は、その感情を懐かしさだけで終わらせず、今まさに戦うための熱に変えられる歌手だから。
だから今回の起用は、意外性だけで成立した企画ではありません。
むしろ、名曲の記憶と、最前線のボーカリストの熱量を重ねることで、WBCという舞台にふさわしい空気を作るための、とてもよく考えられた選択だったのだと思います。


コメント