谷村新司の歌い方|歌い直すほど、いい歌になるとは限らない

谷村新司のポートレート シンガー
谷村新司。出典:SPICE(2016年インタビュー)

谷村新司は、録音で一曲を何度か歌うとき、最初は感情を抑え、次にはもう少し感情を込めていたそうです。
それなら二回目のほうが、よく伝わる歌になりそうです。
ところが、本人が選ぶのは、たいてい最初の一回でした。

「昴」や「群青」のような大きな曲を歌う人が、なぜ、力みの少ない最初の歌を好んだのでしょうか。
谷村にとって、歌の表情は声を張ることだけで作るものではありませんでした。
息の音や、その場で伴奏に反応した声、目の前にいる人へ歌う気持ちまで、録音に残したいと考えていたのです。

感情を足したら、よくなるとは限らない

2018年、谷村は『EARLY TIMES〜38年目の昴〜』で、初期の曲を歌い直しました。
この録音について話したとき、一曲につき三、四回ほど歌い、その中でも最初のテイクを選ぶことが多いと説明しています。
まだ力が入りすぎておらず、新鮮な感じが残っているからでした。

歌い直す側には、前の歌よりよくしたいという気持ちがあります。
谷村も、二回目には感情をもう少し入れてみる。
ただ、気持ちを強く込めたという歌い手自身の実感と、聴いて心地よい歌になったかどうかは、必ずしも同じではなかったのでしょう。

この話を知ると、谷村の歌を聴くときに、声が大きくなる場所だけを待たなくてよくなります。
強く歌う前の一節や、少し力を引いた言葉にも、本人が残したかった表情があるかもしれません。
本人にとっては、感情を足すことと同じくらい、足しすぎないことにも意味があったのです。

息の音を消したら、歌まで変わってしまう

では、谷村が歌に残そうとしていたものは何だったのでしょうか。
2011年の『今 伝えたい』について語ったときには、録音した声から息遣いを消してしまうことへの違和感を口にしています。
声が出ている部分だけをきれいにつなげても、人がそこで歌った感じまで残るとは考えていませんでした。

息を吸う音は、楽譜の音符にはなりません。
けれども、次の言葉を口にするために、歌手が実際に息を吸った音です。
谷村の考え方では、それも歌から切り離せないものでした。

そもそも谷村は、メロディを作ってから歌詞を無理に押し込むより、言葉と旋律が一緒に浮かぶことが多いと話しています。
歌詞を大幅に書き換えることも少なく、音に収まりにくい箇所があれば、意味を保ちながら別の言い方を探していました。
声にしたときに不自然にならない言葉を選び、その言葉を歌うための呼吸も残す。
曲作りと録音の両方で、実際に人が歌うことを大事にしていたのです。

息遣いを残すことで、聴き手は、歌詞を言い終えた人が次を歌おうとする動きまで受け取れます。
谷村が大切にしていたのは、音程のついた声だけでなく、その前後にも続いている歌い手の呼吸でした。

録音のために、客席を用意した

『今 伝えたい』では、その考えをさらに大胆な形にしました。
ライブハウスに聴き手を招き、その人たちの前でアルバムを録音したのです。
普段のコンサートを後からCDにするのではなく、最初から録音をするために、客席のある場所を選びました。

ただし、お客さんが自由に盛り上がるライブとも違いました。
録音中は、拍手や手拍子を控え、静かに聴いてもらう。
客席に人はいるのに、その反応をいつものように音で返してもらえない状況だったわけです。

それでも谷村には、誰もいない録音室で歌うのとは違う意味がありました。
同じ歌でも、聴いている人が目の前にいることで、自分の歌う気持ちが変わる。
その変化ごと、作品にしたかったのです。

途中の「いい日旅立ち」では、客席にも一緒に歌ってもらいました。
そこまで静かに待っていた人たちが、ようやく声を出せる。
録音の緊張と、皆で歌える喜びが、同じアルバムの中にあることになります。

当日の公開録音に参加したファンも、後に完成盤を聴き、会場で聴いた音と仕上がった音の違いを記録していました。
客席で感じた迫力をそのまま大きく録っただけの作品ではなく、演奏後の音の仕上げにも楽しみがある。
谷村が残そうとしたのは、何も手を加えていないという証明より、人のいる場所で生まれた歌だったのでしょう。

伴奏が少なくても、歌う相手は目の前にいる

ギターを手にした谷村新司
ギターを手にした谷村新司。出典:チケットぴあ インタビュー

大きな編成と歌う谷村を知っていると、オーケストラや厚い伴奏があってこそ、あの歌が成立するようにも思えます。
けれども、2007年に始めた「ココロの学校」では、自分のギターとピアニストという小さな編成で、各地を訪れていました。
大きなバンドを連れては行きにくい町にも、歌を届けるためです。

谷村自身、いつもバンドと歌っている人が、ピアノ一台やギター一本で歌うには勇気がいると話しています。
一方で、伴奏を少なくしてみると、その形で歌う楽しさも分かってきた。
その経験があるから、今度はオーケストラとも違う楽しみ方で共演できる、という考えでした。

曲を立派に見せるために、いつでも伴奏を大きくする必要はない。
聴く人がいて、その場で一緒に音を出す人がいる。
谷村が公開録音で作ろうとした条件は、小さな町でのコンサートにも通じています。

歌と伴奏を同時に録る方法についても、演奏者が歌の息遣いを聴きながら弾けることを大切にしていました。
歌だけを取り出して完成させるより、一緒に演奏したときに出た声を選ぶ。
最初のテイクを好んだ話にも、その場の反応を失いたくない歌手の姿が見えてきます。

残したかったのは、その一回の歌

2022年の「THE SINGER」でも、谷村は新しい楽曲を舞台で初披露しながら、同時に録音していました。
すでによく知られた曲を歌うだけでも緊張する場で、新曲を作品として残す。
長い経験を積んだ後も、録音とライブを結び付ける方法を選んでいたのです。

谷村の歌い方には、力強い声を出すことと同じくらい、そこで生まれた声を大切にする姿勢がありました。
息遣いを消さず、聴き手を前に歌い、感情を込め直した二回目より最初の一回を選ぶこともある。
その選び方を知ると、堂々とした歌の中にある、少し力を抜いた言葉にも耳を向けたくなります。

年齢を重ねた谷村は、その力加減自体が変わったことも話しています。
若い頃の歌と69歳の再録をどう考えていたのかは、谷村新司の歌声の変遷でたどっています。

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