つんく♂さんの声は、二度大きく生まれ変わりました。
一度目は、音程を追うだけで精いっぱいだったデビュー初期から、誰もまねできないリズムと節回しを持つ歌手へ変わった時です。
二度目は2014年、喉頭がんの手術で喉頭を全摘し、それまでの方法では声を出せなくなった後でした。
今度は歌の個性を磨くのではなく、人と話すための音を一から学び直します。
この二つを同じ「上達」という言葉でまとめることはできません。
前半は歌い方を見つけた歴史であり、後半は歌手として使ってきた声を失った人が、別の発声方法で社会との会話を取り戻す歴史です。
その間をつないでいるのは、うまくいかない時に方法を変え、声の役割そのものを作り直す姿勢でした。
1988年から1992年、ライブで育てた曲とプロの録音は別物だった
シャ乱Qは1988年に結成され、翌1989年に初ライブを行いました。
関西のライブハウスで演奏を重ね、1991年には全国規模のアマチュアバンド大会でグランプリを獲得し、1992年に「18ヶ月」でデビューします。
アマチュア時代の曲は、何度も人前で歌ううちに身体へ入っていました。
声をどう出すか考える前に、客席の反応とバンドの音が歌い方を育ててくれた時期です。
ところが、プロになってから作った曲では同じ方法が通用しませんでした。
決められた会議へ向けて短期間で曲を作り、アレンジを固め、まだ歌い込んでいない作品を録音しなければなりません。
本人は後年、2枚目のシングルで歌が定まらず、自作の音符へ引っ張られていたと振り返りました。
プロになれば自分のスタイルが鮮明になるどころか、ステージで得ていた手がかりを失ったのです。
1992年から1993年、声量とビブラートを増やしても歌は定まらなかった
「とってもメリーゴーランド」では、メロディーをカラオケの音程表示のように探しながら歌い、リズムもメッセージも薄くなったと本人は語っています。
続く「友達はいますか」では、張り切って声量を出し、ビブラートも強くかけながら、歌唱法に筋道がなかったと自己評価しました。
この時期の迷いは、技術が足りないという一言では片づきません。
大きな声や音程の正確さを増やしても、自分の言葉がどの拍から始まり、どこへ着地するかは決まりませんでした。
後に強烈な個性と呼ばれる鼻にかかった音色やビブラートも、まだ一つの様式としてまとまっていません。
持っている要素を増やす段階から、必要な要素だけを選ぶ段階へ進む必要がありました。
1994年の「上・京・物・語」で、音程より言葉の動きが前へ出た
最初の大きな転機は、1994年の「上・京・物・語」です。
タイトルを四つの音へ区切る発想や、言葉を細かな拍へ置く感覚が、シャ乱Qの方向を変えた作品として語られています。
ここで生まれたのは、単に歌詞を早く発音する技術ではありません。
一音目の前へ小さな音を忍ばせ、母音を伸ばす位置を選び、次の言葉が出る勢いまで歌唱に含める考え方です。
1994年の「シングルベッド」、1995年の「ズルい女」、1996年の「いいわけ」へ進むと、泣くような節回しと16ビートの細かさが同居するようになりました。
派手な声を一曲中ずっと出すのではなく、会話の速度と感情があふれる瞬間を分けることで、つんく♂さんの歌が様式になります。

つんく♂さんの現在まで通じる歌い方では、この一音目より前にあるリズムを詳しく扱っています。
変遷として重要なのは、デビュー初期に音符へ追われていた歌手が、音符に書かれないタイミングを自分のものにしたことです。
1997年以降、歌手の声が「他人を歌わせる設計図」になった
モーニング娘。をはじめとするプロデュースが広がると、つんく♂さんの声は別の役割を持ちます。
ステージで本人を表すだけでなく、仮歌を通して別の歌手へ曲を渡す道具になりました。
関係者の回想では、そのデモには音程だけでなく、リズム、発音、感情、語尾の処理まで細かく入っていたと説明されています。
歌い手が仮歌をたどると、曲の表情まで見えてくるほどだったといいます。
初期には自分で書いた音符へ縛られていた人が、今度は音符だけでは伝わらない部分を声で残しました。
「歌い方が定まらない」という弱点を通ったからこそ、他人が迷わないための設計図を作れたともいえます。
この時代の変化は、最高音の更新より大きなものです。
歌声が自己表現から制作言語へ広がり、本人が歌わない曲にも「つんく♂らしいリズム」が残るようになりました。
2000年代後半から2013年、高音が出ない不安と共に歌っていた
2013年、シャ乱Qは結成25周年で再始動しました。
その発表時、つんく♂さんは声帯の一部に瘢痕のような塊があり、すでに6、7年ほど症状に悩んでいたことを公表しています。
高音が出ない日があり、体調や季節によっては低音が何重にも重なることもあったといいます。
本番当日に声が出ないのではないかという不安から、ソロ公演やディナーショーを定期的に行えない時期も続きました。
一方、調子のよい日を選び、プロデュース曲の仮歌や自分の録音は続けていました。
声の状態に仕事を合わせながら、2013年には「シングルベッド」を再録し、25周年ツアーへ臨みます。
導入に置いた2013年版のMVは、1994年の原曲と録音時期もアレンジも異なります。
二つを聴き比べる際は、年齢だけでなく再録という制作条件と、すでに長く続いていた声の不調を分けて考える必要があります。
2014年、歌声の変化ではなく「同じ方法で声を出せなくなる」転機が来た
2014年2月、喉頭声帯にがんが見つかり、放射線治療と薬物治療が行われました。
9月にはいったん寛解が発表されたものの、腫れ、痛み、息苦しさ、かすれが続き、再検査でがんが確認されます。
10月に手術を受け、喉頭を全摘しました。
2015年の近畿大学入学式で、本人は声帯を摘出し、声を失ったことを公表しています。

ここを「声が細くなった」「歌い方を変えた」という連続した変化として書くのは正確ではありません。
喉頭全摘後は、それまで歌に使っていた声帯による発声ができず、身体の別の場所を使って音を作る方法が必要になります。
歌唱技術の工夫で乗り越えたのではなく、発声の前提そのものが変わった出来事です。
本人も、歌手、音楽家、父親として大きな衝撃だったと振り返っています。
2015年、最初の「あ」から会話を作り直した
手術後、つんく♂さんは食道発声を選びました。
食道へ取り込んだ空気を使って音を作る方法で、手術前の歌声と同じ仕組みではありません。
本人は事前にインターネットの記事や体験記を読み、自宅で試しても何が正解か分からず、自分には無理かもしれないと思ったと語っています。
しかし発声教室の初回で「あ」に近い音が出て、先に学んだ人から「できる」と言われたことが自信になりました。
数か月先を進む人たちの声を聞くと、自分が時間とともにどう変わるか想像できたそうです。
その日の午後から、まだ声になりきらない音でも子どもたちとの会話に使い、生活の中で少しずつ覚えていきました。
これは、プロ歌手が高度な発声を短期間で習得したという成功談ではありません。
経験のない初心者として教室へ行き、同じ手術を経験した人に励まされ、家族との日常を練習の場にした記録です。
現在、声の役割は歌唱から作品を動かす言葉へ広がった
喉頭全摘後も、作詞、作曲、プロデュースは続いています。
本人は近年も、作品の入口は親しみやすくしても、中身の核にはロックを残すという制作姿勢を語っています。
以前は自分の仮歌で細かな節回しまで直接渡していました。
現在は文字、スタッフとの連携、制作手段を組み合わせ、歌い手へ意図を届けています。
歌手としての歌声を失ったことと、音楽上の「声」が消えたことは同じではありません。
誰がどう歌うかを考え、言葉の位置やリズムを作品へ残す力は、別の伝達方法へ移りました。
喉の不調を経験した歌手の変遷にも、休養や歌い方の見直しは登場します。
ただし、つんく♂さんの喉頭全摘と食道発声は、通常の発声障害や声帯手術と同じ回復物語ではないことを区別する必要があります。
変わらなかったのは、声が定まらない時に方法を探し直す姿勢
デビュー初期、つんく♂さんは自作曲なのにどう歌えばよいか分からず、音符を追っていました。
その迷いからリズムと言葉の置き方を作り、やがて仮歌で他人を導く方法へ変えます。
2014年には、それまでの方法では声を出せなくなりました。
再び初心者となり、今度は発声教室で最初の一音から学び直しました。
二つの転機は重さも意味も違います。
それでも、声が定まらない時に才能だけで押し切らず、別の人と方法から学ぶ姿勢は共通しています。
つんく♂さんの変遷を「個性的な歌手から有名プロデューサーへ」という経歴だけでまとめると、この核を見落とします。
本当の連続性は同じ声色ではなく、声の役割を何度でも作り直したことにあります。
まとめ
つんく♂さんの歌声は、1992年のデビュー時にはまだ方向が定まらず、音程を追い、声量とビブラートを増やす時期がありました。
1994年の「上・京・物・語」以後、言葉を細かな拍へ置くリズムと、感情的な節回しが一つの様式になります。
プロデューサーとしては、その歌い方を仮歌へ変え、別の歌手が曲を理解するための設計図にしました。
一方で2000年代後半から声の不調が続き、2014年の喉頭がんと喉頭全摘によって、それまでの歌声は失われます。
2015年からは食道発声を一から学び、最初の「あ」を家族との会話へ育てました。
現在の声を、以前の歌唱力の延長として評価することはできません。
それでも、迷った時に方法を探し、他者から学び、声を再び人へ届く形にする姿勢は変わりませんでした。
つんく♂さんの声の歴史は、同じ音色を守った物語ではなく、声が担う役割を二度作り直した物語です。






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