つんく♂さんの歌い方は、鼻にかかった声、深いしゃくり、大きなビブラートで説明されがちです。
けれども、その声を忘れにくくしている仕掛けは、目立つ音の中だけにあるわけではありません。
重要なのは、歌詞の一音目が鳴る直前です。
専門家が「シングルベッド」の歌唱を分析した際、フレーズの前にごく小さな「ん」のような音を置き、それによって細かなリズムを生んでいると説明しました。
文字に起こせば消えてしまうほど小さな音が、歌詞を歩かせています。
つんく♂さんの個性は、派手な癖を後から足したものというより、言葉を出す時刻まで細かく決めた歌なのです。
「シングルベッド」は一音目の前から始まっている
歌詞カードには、書かれた言葉しか載りません。
ところが実際の歌には、文字になる前の息、ためらい、助走のような音があります。
つんく♂さんの場合、この助走がリズムの一部です。
ボイストレーナーの分析では、「シングルベッド」のフレーズ前に置かれる微かな音を、ゴーストノートに近い働きとして捉えています。
ゴーストノートとは、はっきりした音程を聴かせる主役の音ではなく、拍の流れを感じさせる薄い音です。
ドラムなら軽く触れる一打、会話なら本題へ入る前の小さな相づちに近いでしょう。

この一瞬があると、長いメロディーでも言葉が棒のように並びません。
音符を正確に追う歌から、次の言葉へ引っ張られる歌へ変わります。
いわゆる「つんく節」を、しゃくりや鼻声だけで再現しようとすると大げさになりやすいのは、この小さな時間設計を飛ばしているからです。
大きな癖より前に、目立たない一拍が働いています。
本人も、最初から自分の歌い方を知っていたわけではない
現在の個性が強いだけに、デビュー時から完成していたように思えます。
しかし本人は、初期の自分をかなり厳しく振り返っています。
2枚目のシングル「とってもメリーゴーランド」は、プロになってから短い制作周期の中で作った曲でした。
アマチュア時代のように何度もステージで歌い込んでおらず、曲が身体へ入っていないため、どう歌えばよいのか分からなかったと語っています。
自作曲なのに、カラオケ画面の音程表示を追うようにメロディーを探していたという回想は意外です。
音を外さないことへ意識が向くほどリズムが消え、歌詞の意味も入ってこなかったといいます。
続く「友達はいますか」では、張り切りすぎて声量が大きく、ビブラートも多く、歌唱法に筋道がなかったと自己評価しました。
後に他人の仮歌だけで細かな歌い回しまで伝える人が、初期には自分の歌の正解を持っていなかったのです。
これは「昔は下手だった」という単純な話ではありません。
声の癖が個性になるには、癖を出せることより、どこで出すかを選べることが必要だったという話です。
「上・京・物・語」で言葉が拍の中を走り始めた
転機として本人や周辺の記録で繰り返し挙がるのが、1994年の「上・京・物・語」です。
タイトルの四つの音を区切る発想や、言葉を細かな拍へ置く感覚が、後の作品へつながりました。
それ以前の歌がメロディーへ追いつこうとしていたなら、この時期からは言葉がメロディーを前へ押します。
しゃくりもビブラートも、声を上手く見せる飾りではなく、言葉を拍へ引っかける道具としてまとまり始めました。
音楽関係者による回想では、つんく♂さんのデモ歌唱は、音程だけでなくリズム、感情、語尾の処理まで細かく入っていたと説明されています。
歌手がそのデモをなぞるだけで、曲に必要な表情が見えるほどだったそうです。
作曲者が仮歌で伝えるのは、普通ならメロディーと歌詞の確認です。
つんく♂さんは、聞こえる音と音の間にあるタイミングまで録音し、歌い手へ渡す設計図にしました。
吉田美和さんのリズム分析でも、拍にぴったり乗るだけが気持ちよさではないことを扱っています。
つんく♂さんの場合は、細かな音を先に忍ばせ、言葉が転がり出すきっかけを作るのが特徴です。
鼻にかかった音色は「目的」ではなく結果として聴く
つんく♂さんの声を聴いて、鼻声だと感じる人は少なくありません。
個人ブログやファンの記録でも、鼻にかかった響き、強い語尾、泣くような節回しが共通して語られています。
ただし、鼻声という言葉だけでは二つの状態が混ざります。
鼻が詰まって言葉がこもる声と、声の芯を残したまま鼻の奥にも響きを感じさせる歌は同じではありません。
鼻腔共鳴と鼻声の違いを考える時も、鼻へ押し込む動作を技術だと思わないことが大切です。
つんく♂さんらしさは一か所の響きではなく、子音を置く時刻、母音を伸ばす長さ、語尾を揺らす場所が組み合わさって生まれます。
たとえば「ズルい女」や「いいわけ」の感情は、すべての音を同じ濃さで歌うと重くなります。
短い言葉は勢いよく通過し、残したい母音だけを長くし、最後に節を曲げるから、派手なのに会話のような速度が残ります。

表面だけを真似して鼻へ音を集めたり、毎回深くしゃくったりすると、言葉より癖が先に聞こえます。
参考にしたいのは音色そのものより、目立つ表現を置く場所の少なさです。
ビブラートは多いほど「つんく♂らしい」わけではない
初期の自分について、本人はビブラートを効かせすぎていたと振り返りました。
この告白は、現在イメージされる「つんく節」を考える手がかりになります。
ビブラートが個性なのではなく、揺らす音と揺らさない音の差が個性です。
すべてのロングトーンを大きく揺らせば、どの言葉も同じ感情になってしまいます。
「シングルベッド」のようなバラードでは、語りかける部分と、感情がこぼれる部分を分けなければ物語が進みません。
一方、「ズルい女」のようなテンポ感のある曲では、揺れを長く残しすぎると次の言葉が遅れます。
完成後の歌い方では、ビブラートの深さより、リズムを壊さず感情を残す位置が大切になりました。
初期に過剰だったものを捨てたのではなく、使う瞬間を絞ったことで特徴へ変えたのです。
歌手からプロデューサーになっても、声は制作の中心にあった
1990年代後半から、つんく♂さんはモーニング娘。をはじめ多くの歌手をプロデュースしました。
そこで本人の歌声は、表舞台だけでなく仮歌として大きな役割を担います。
歌手にリズムを先に教え、デモの細かな発音や感情を手がかりにしてもらう方法は、シャ乱Qで作った歌い方の応用でした。
自分の声を目立たせる技術が、他人の声を動かす記譜法へ変わったのです。
16ビートとは、難しい速度競争ではありません。
大きな四つの拍の間にも小さな目盛りがあり、そのどこへ言葉を置くかを感じる考え方です。
つんく♂さんの歌を聴く時は、高音やビブラートの回数を数えるより、歌詞の一音目が伴奏より少し前に滑り込む瞬間へ注目すると面白くなります。
聞こえないほど小さな音が、次の言葉を呼び込んでいることがあります。
この精密な歌い方がいつ生まれ、声の不調と喉頭全摘を経て声の役割がどう変わったかは、つんく♂さんの歌唱変遷で年代順に整理しています。
発声の特徴と人生上の変化を分けて読むと、同じ「声」という言葉が時期によってまったく違う意味を持つことが分かります。
まとめ
つんく♂さんの歌い方は、鼻にかかった音色、しゃくり、ビブラートだけでは説明できません。
核にあるのは、主役の音が鳴る前からリズムを作り、言葉が自然に転がり出すよう設計する感覚です。
本人が振り返る初期の歌は、音程を追い、声量とビブラートを増やしすぎた、まだ筋道のないものでした。
そこから「上・京・物・語」などを経て、目立つ癖を増やすのではなく、使う位置を選ぶ歌へ変わりました。
つんく♂さんらしさを確かめるなら、大きな高音の瞬間だけを待たないでください。
言葉の前にある小さな「ん」、短く通り過ぎる子音、次の拍へ残す母音に耳を向けると、派手な声の内側にある精密なリズムが見えてきます。
その仕掛けは、後に何百もの仮歌を通して、別の歌手の声へ受け継がれていきました。
一人の癖に見えた歌い方が、日本のポップスを動かす設計図になったのです。






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