ジェシーさんは、最初から歌のエースとして選ばれたわけではありません。
2011年、ラップ担当が舞台で不在になる日に、自分から手を挙げて代役を務めたことが、歌唱力を見つけられる入口になりました。
そこからソロ歌手として進む可能性を示されながら、本人が望んだのは一人で歌う道ではなく、後のSixTONESとなる6人での活動でした。
その選択が、歌声の使い方も変えていきます。
若い頃は、空いた場所へ飛び込んで自分の存在を証明する声でした。
デビュー後は6人の音色をつなぐ声になり、2023年の初ソロ曲では憧れの作り手から渡された世界を一人で背負い、2025年には自分の言葉でソロ曲の世界まで作りました。
ジェシーさんの変遷は、単に音域が広がった歴史ではありません。
「歌える人」だと気づいてもらう段階から、誰と、何を、なぜ歌うのかを自分で選ぶ段階へ進んだ歴史です。
2006年の入所時、歌より先にダンスで失敗した
小学生だったジェシーさんは、空手道場の友人に誘われて事務所へ入りました。
芸能界にもダンスにも関心がなく、初めて参加した番組収録では、名前を呼ばれて踊る場面がうまくできなかったと振り返っています。
二週間ほどでテレビ収録へ参加する早いスタートでしたが、現在のようなメインボーカル候補として始まったわけではありません。
ダンスを覚え、Jr.内のユニットに入り、与えられた場所で何ができるかを探す時期が続きました。
この出発点は、後の歌唱を考える上で重要です。
声が評価される前に、舞台で出番をつかむには、自分から動かなければ何も始まらない環境を経験していました。
2011年、ラップの代役が「歌えんじゃん」へつながった
最初の転機は、きれいなバラードのソロではなく、欠員が出たラップパートでした。
『SUMMARY』で田中樹さんが出演できない日、別のJr.が難しいと答えた役へ、ジェシーさんは自分から手を挙げました。
本人は当時の出来を上手くなかったと振り返っています。
それでも代役を続けるうち、「ラップができるなら歌はどうだろう」と見られるようになり、A.B.C-Zのコンサートでソロパートを得ました。
さらに、田中さんと本来はハモリのない場所へあえてハーモニーを入れ、歌えることに気づいてもらおうとしたことも明かしています。
偶然空いた役を待つだけでなく、声を重ねて自分たちの価値を作ったのです。
ここで育ったのは、発声技術だけではありません。
曲の中にまだない役割を見つけ、そこへ自分の声を置く感覚が、後のフェイクやハーモニー、SixTONESの歌割りへつながっていきます。
2012年から2015年、一人の歌手より6人の音色を選んだ
2012年のドラマ『私立バカレア高校』で、後のSixTONESとなる6人が集まりました。
活動が一度ばらばらになった後、ジェシーさんにはソロでバラードを歌う機会が増え、一人で進む案も示されたと本人は語っています。
ところが、本人が欲しかったのはソロデビューではありませんでした。
グループへの憧れだと思っていた気持ちが、実は「あの6人でやりたい」という願いだったと気づき、再集結を呼びかけます。
2015年、6人はSixTONESとして活動を始めました。
ジェシーさんは歌えることを認められたから一人になったのではなく、その声を持って5人の中へ戻る道を選びました。
この選択によって、歌の評価基準も変わります。
ソロなら一曲を自分の声で統一できますが、6人組では短いパートで印象を残し、次の音色が入れる余白も必要です。
2018年の「JAPONICA STYLE」で声が世界への入口になった
2018年に公開された「JAPONICA STYLE」は、SixTONESにとって初の公式MVでした。
和の意匠と海外へ開かれた映像の中で、ジェシーさんは英語の発音、低く甘い声、グループの中心としての存在感を一つにまとめています。
デビュー前の作品でありながら、後のSixTONESが得意とする和洋の混合と、6人の異なる声をすでに外へ示しました。
長く応援してきたファンの記録でも、当時から京本大我さんとの対照的な歌声や、曲全体を滑らかにつなぐ役割が注目されています。
本人は、デビューできない時期に友人からSixTONESの曲を歌ってほしいと言われ、カラオケに曲がないためアカペラで歌ったことも振り返っています。
公式MVが広く見られるようになったことは、歌う場所を自分たちで得るまでの長い時間が、ようやく外部の聴き手へつながった出来事でした。
2020年のデビューで、強い一声を6人の設計へ変えた
2020年、SixTONESは「Imitation Rain」でCDデビューしました。
YOSHIKIさんによる大きな旋律の中で、ジェシーさんの声は一人で曲を支配するのではなく、京本大我さんの高音、田中樹さんのラップ、ほかのメンバーの異なる声へ橋を架けます。
デビュー後の専門家分析では、ジェシーさんは低音から高音まで響きが安定し、音程、エッジ、フェイク、ささやきと力強い歌唱を使い分ける歌手として評価されました。
Jr.時代に「歌えんじゃん」と見つけられた能力が、録音作品の中で具体的な役割として説明される段階へ進んだのです。

2022年の「THE FIRST TAKE」は、デビュー曲を特別なアレンジで一発撮りする企画でした。
スタジオ版と編成や収録条件が異なるため、単純に技術の成長を比較する映像ではありません。
それでも、デビュー曲が6人の生の声で再構成されるまで定着したことを確認できる節目です。
ジェシーさんの現在の発声と響きは、別記事で詳しく整理しています。
ここでの変化は、声が急に太くなったことではなく、多人数の中で自分の響きを残す方法が作品として確立したことです。
2023年、ミュージカルと初ソロ曲が同時に声を外へ広げた
2023年には、二つの異なる挑戦が重なりました。
本格ミュージカル初出演で『ビートルジュース』の主演を務め、同時期にデビュー後初のソロ曲「Never Ending Love」を発表しています。
ミュージカルの歌について、本人はSixTONESでの歌とは違うと率直に話しました。
踊りながら短いパートを受け渡すグループ曲とは異なり、役として台詞から歌へ入り、物語を保ったまま舞台全体へ声を届けなければなりません。
一方、「Never Ending Love」は、デビュー前から楽曲提供を願っていた堂本剛さんが作詞・作曲しました。
にぎやかなパブリックイメージを抑え、静かなピアノ、繊細な声、語り、後半の熱という流れで、一人の歌を成立させています。

Jr.時代にもソロで歌う機会はありましたが、2023年のソロは意味が違います。
6人を選んでデビューした後、自分の音楽的な憧れをSixTONESの作品へ持ち帰り、グループに所属したまま一人の世界を作りました。
2025年の「虹、僕」で、歌う人から言葉を作る人へ進んだ
2025年には『ビートルジュース』が再演され、本人は続けられるなら定期的に演じたい役だと語りました。
一度きりの挑戦だったミュージカルが、歌手として別の声を使う継続的な場所になったことが分かります。
同年のソロ曲「虹、僕」では、玉置浩二さんが作曲し、ジェシーさん自身が作詞しました。
玉置さんは、幼い頃から家庭で音楽を聴き、カラオケでも歌ってきた憧れの歌手です。
「Never Ending Love」では敬愛する作り手から世界を渡され、その中で自分の声を解放しました。
「虹、僕」では、渡されたメロディーへ自分の言葉を置き、命、光、空、自然を軸に映像の世界まで説明しています。
声の変化を音域だけで測るなら、この二曲の違いは見落とされます。
大きな変化は、うまく歌えるかを証明する段階から、誰と作品を作り、何を言葉にするかまで責任を持つ段階へ進んだことです。
変わらないのは、空いている場所へ先に手を挙げる姿勢
2011年、ジェシーさんはラップの代役へ手を挙げました。
2015年には、ばらばらになりかけた6人をもう一度集めたいと動き、ソロではなくグループを選びました。
2023年には堂本剛さんへ長く伝えてきた願いが初ソロ曲になり、2025年には玉置浩二さんの旋律へ自分の言葉を置きました。
機会を待つだけでなく、自分から関係を作り、その結果を歌へ戻す姿勢は変わっていません。
歌声の表面は、Jr.時代のバラード、デビュー曲のロック、ミュージカル、二つのソロ曲で大きく異なります。
それでも、曲の中にまだない役割を見つけるという核は同じです。
変遷の中心にあるのは、太い声がさらに太くなったことではありません。
空いたパートへ入った少年の声が、6人の場所を作り、最後には新しい作品の入口まで作る声になったことです。
まとめ
ジェシーさんの歌唱は、2011年のラップ代役をきっかけに発見され、ソロの可能性を示されながらSixTONESの6人で歌う道を選びました。
2018年の初MV、2020年のデビュー、2022年の一発撮りを通して、強い一声を6人の音楽へ組み込む役割が確立します。
2023年はミュージカルと初ソロ曲によって、一人で物語を背負う声が育った転機でした。
2025年の「虹、僕」では、歌唱だけでなく作詞まで担い、憧れの音楽家と自分の世界を作っています。
昔と現在の違いは、最高音の更新だけでは説明できません。
ジェシーさんは、歌えることを周囲に気づいてもらう人から、歌う場所と作品の意味を自分で選ぶ人へ変わりました。
そして変わらず残ったのは、空いている場所を見つけた時、誰より先に手を挙げる姿勢です。
その一歩が、ラップの代役をSixTONESの中心へ、そして一人の言葉で歌う現在へつなげました。






コメント