五輪真弓の歌い方・歌唱力|「強い声」を繊細にしたフランス録音

五輪真弓の歌い方と歌唱力 シンガー

五輪真弓さんの歌声は、声量の大きさだけでは説明できません。
代表曲の堂々とした印象から、太い地声をまっすぐ押し出す歌手だと思われがちですが、本人が転機として語っているのは、フランスの録音現場で声を「繊細に」扱うようになった経験です。

よく響く声を、さらに強くするのではない。
部屋から返ってくる響きを感じながら、力まず自然に声を出せる場所を見つける。
この逆説を知ると、『恋人よ』の大きなドラマと『少女』の私小説的な近さが、同じ歌手から生まれた理由が見えてきます。

五輪真弓の歌唱力は、大きな声を小さく扱えることにある

五輪さんは、もともと声量のある歌手でした。
デビュー前には米軍キャンプやライブハウスで歌い、1970年代前半から一流の演奏者を背にしたライブを重ねています。

声が強ければ、伴奏に負けず遠くまで届きます。
ただし、すべての音を同じ圧力で出すと、悲しみも決意も同じ表情になり、物語の奥行きが消えてしまいます。

五輪さんの面白さは、強い声を持ちながら、その力を見せ続けないところです。
細く置く言葉、ふっと手放す語尾、長く広がる一音を一曲の中で使い分け、最後に必要なだけ大きな景色を作ります。

ここでいう「繊細」は、弱々しく歌うという意味ではありません。
強い筆しか持たない画家ではなく、同じ筆で細い線も太い線も描けるということです。

出発点には日本の歌謡曲とアメリカの物語歌が同居していた

1970年代の五輪真弓

子どもの頃の五輪さんは、日本の流行歌を自然に覚える一方、ラジオや映画から流れる洋楽にも惹かれていました。
その後、ビートルズ、アメリカンフォーク、ジョニ・ミッチェル、キャロル・キング、エルトン・ジョンなどへ関心を広げます。

重要なのは、洋楽風の発音や音色だけを取り入れたのではないことです。
人種差別を扱った物語歌をレパートリーにし、言葉が一人の人生を運ぶ曲に強く反応していました。

一方で、日本語の歌にある陰影や、短い言葉で情景を立ち上げる感覚も身体に残っていました。
この二つは、初期にはまだ名前のつかない音楽として現れます。
本人も当時の自作曲を、ポップスでもフォークでもない、ジャンルのない歌だったと振り返っています。

だから『少女』を「和製フォーク」とだけ呼ぶと、少しこぼれます。
私小説のように近い日本語と、海外の演奏者にも通じる大きな物語の骨格が、最初から同じ曲に入っていたからです。

フランスで教わったのは、声を前へ飛ばすより部屋から返してもらうこと

五輪さんは1970年代半ば、フランスで録音を行いました。
そこで、歌と声の作り方が以前より繊細になったと話しています。

録音技師から伝えられたのは、彼女の声はエコーに合うという見立てでした。
エコーとは、声を大きくする魔法ではなく、出した音が部屋や機材を通って少し遅れて返る響きです。

返ってくる音を聞けると、歌手は自分だけで空間を埋めようとしなくて済みます。
五輪さんも、その響きを感じることで、自然に楽に声を出せたと振り返っています。

この話は、高音を出す時ほど力を足したくなる人にとって示唆的です。
響きが返る前に次の力を加えると、声は大きくなっても余白がなくなります。
五輪さんのスケール感は、力を出し切った結果ではなく、音が広がる場所を残した結果と考える方が分かりやすいでしょう。

高音で力む原因を考える時も、筋力の不足だけでなく、自分の声を聞く余裕が消えていないかが大切です。
五輪さんの逸話は、強い声ほど引き算が必要になることを教えます。

『恋人よ』の重さは、苦しみながら書いた重さではなかった

『恋人よ』は、聞き手を一気に別れの場面へ連れていく曲です。
ところが本人は、この曲を非常にリラックスした状態で書いたと語っています。

深刻な曲は、作る人まで深刻に追い込まれて生まれると思いがちです。
五輪さんの場合、強い感情を身体に力として溜めるより、物語が自然に最後まで流れる状態を作ることで、かえって大きな悲しみを形にしました。

当初はシングルのB面になる予定でしたが、録音と編曲の出来が良く、A面へ変わった経緯もあります。
つまり、作詞作曲の段階で完成していた物語が、歌手一人の力ではなく、編曲と演奏を受け取ることで代表曲のスケールへ広がったのです。

「恋人よ」の時代の五輪真弓

本人はイントロを聞くと背筋が伸びるとも話しています。
これは毎回感情をゼロから搾り出す歌い方とは違います。
曲の入口に置かれた音が身体の姿勢を決め、その後の歌を物語の中へ運んでいきます。

太い高音だけを真似しても、『恋人よ』らしくならないのはこのためです。
声量より先に、どの言葉から場面が始まり、どこで相手との距離が変わるかが決まっています。

詞が先にあるから、メロディーは感情の説明ではなく展開になる

五輪さんは、何を訴えたいかを起点に作品を作り、基本的には詞を先に書いてきました。
心情が言葉にならなければ、具体的な曲は生まれないという考えです。

ただ、気持ちをそのまま並べるだけではありません。
一曲の中に始まり、展開、転換、結末があることを重視し、歌を一つの完結した物語として扱います。

この構造があるため、声の変化にも理由が生まれます。
静かに始まるのは高音へ備えるためだけではなく、まだ物語が動いていないからです。
長い音を大きく広げるのも歌唱力を誇示するためではなく、人物が引き返せない地点へ来たからです。

専門用語を使わずに言えば、五輪さんは「うまく聞こえる歌い方」を先に選びません。
物語のどこにいるかを決め、その場所に必要な声を選びます。

中島みゆきさんの歌い方にも、言葉の登場人物と場面を声で動かす力があります。
五輪さんはそこへ、空間の響きを味方にした伸びやかな線を加えることで、個人の物語を大きな舞台へ開いていきます。

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『少女』『さよならだけは言わないで』『心の友』で声の役割が変わる

『少女』では、デビュー期の個人的な言葉と弾き語りの世界が中心にあります。
声が曲を押し切るより、言葉と旋律が同じ歩幅で進み、聞き手を一人の内面へ近づけます。

『さよならだけは言わないで』では、本人が意識的にそれまでの枠から出ようとしました。
歌謡曲に近い輪郭を選び、テレビの歌番組にも積極的に出ることで、声を私的な部屋から広い共有空間へ移します。

『恋人よ』では、その方向転換が大きな編曲と結びつきました。
一方、『心の友』は、本人が地味だと思っていた曲がインドネシアで広く愛されます。
派手な高音や劇的な別れだけが、国境を越える要素ではなかったことが分かります。

親しみやすい題名と旋律、意味をすべて翻訳しなくても受け取れる感情の流れ。
五輪さんの歌唱は、一つの技法で全曲を支配するのではなく、曲が届く距離に合わせて声の大きさを変えてきました。

年代ごとの変化は、五輪真弓さんの歌唱変遷で、LAデビュー、フランス録音、歌謡曲への転換、アジアでの広がりまで追っています。

五輪真弓を参考にするなら、声の太さより「余白の作り方」を見る

五輪さんの声を表面だけ真似しようとすると、低い位置から重く押す歌い方になりやすいでしょう。
しかし、本人の転機は押す力を増やしたことではなく、声を繊細に扱い、響きが返る空間を感じたことでした。

参考にしやすいのは、強い声そのものではありません。
イントロを受け取ってから歌い始めること、言葉が物語のどこにあるかを考えること、すべての音を最大にしないことです。

反対に、深い声色、長いビブラート、大きなクライマックスだけを切り取ると、曲は重くても物語が進まなくなります。
五輪さんの歌は、声の強さを見せる時間より、その力をまだ使わない時間が長いから、最後の一音が大きく感じられます。

五輪真弓さんの歌唱力とは、強い声を持っていることだけではありません。
その声を空間、言葉、編曲へ預け、必要な瞬間まで使い切らないことです。

『恋人よ』の堂々とした世界と『少女』の近い語りが同居できるのは、声色を器用に変えるからではありません。
一曲ごとに、聞き手との距離を設計し直しているからです。

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