山崎ハコの歌い方・歌唱力|「暗い声」では説明できない情景の映し方

山崎ハコの歌い方と歌唱力 シンガー

山崎ハコさんの歌を「暗い」の一言で片づけると、最も面白い部分を見落とします。
本人が歌う時に見ているのは、自分の感情を拡大した姿ではなく、曲の中に現れる景色です。

頭の中にある映像を、客席の向こうの見えないスクリーンへ投影する。
そのために声、言葉、間、ギターを使うという考え方が、山崎さんの歌唱を貫いています。

山崎ハコの歌唱力は、声で映画を始められること

山崎さんは、曲を作る時には言葉より先に情景が浮かぶと説明しています。
歌うのは、その時に見えた景色をもう一度見るためです。

この順番は、歌声の役割を大きく変えます。
悲しい言葉だから悲しそうに歌うのではなく、まず人物がどこに立ち、何を見ているのかを確かめる。
声は感情の説明ではなく、そこへ聞き手を連れていく光になります。

『望郷』には故郷の空や雲、神社の石段が現れます。
本人の記憶から生まれた風景ですが、聞き手が同じ景色を思い浮かべる必要はありません。
別の町や別の空を見ても、何かが見えたなら歌は届いたことになるというのが山崎さんの考えです。

だから、山崎さんの歌は意味を一つに固定しません。
聞く人の記憶を入れられる余白を残しながら、景色が消えない濃さも保っています。

「暗い歌手」は声の正体ではなく、作られた額縁だった

若い頃の山崎ハコ

デビュー当時、笑顔の写真は使われず、撮影ではうつむくことを求められたと山崎さんは振り返っています。
事務所からは、明るい人物として書かないよう媒体へ指示が出ていたとも語っています。

曲に孤独や別れが多かったのは事実です。
しかし、世間が見た「いつもうつむいている暗い女性」は、作品の一面を強く切り取った宣伝上の像でもありました。

本人は後に、その暗さを嫌って距離を取るのではなく、自分の歌をまず自分が愛さなければ聞き手まで肩身が狭くなると考えるようになります。
ここで暗さは欠点から、守るべき色へ変わりました。

ただし、守ったのは沈んだ雰囲気ではありません。
暗い場所にいる人物が、そこで何を見て、どちらへ進もうとしているかという物語です。
山崎さん自身、暗い曲の中にも上へ向かう意志があると話しています。

一曲の中で人物が変われば、声の立ち位置も変わる

山崎さんの歌い分けは、派手な声まねとは違います。
同じ曲の中でも、誰の目で景色を見るかが変われば、声が背負う距離を変えます。

美空ひばりさんの『リンゴ追分』を歌う時、前半では主人公の少女へ入り、スキャットに移るとリンゴの木の側から少女を見るという説明をしています。
一人称の痛みと、それを遠くから見守る存在が、一曲の中で交代するのです。

この発想を知ると、山崎さんの強弱が単なる盛り上げではないことが分かります。
声を大きくするのは感情が強いからとは限らず、景色との距離が近づいた結果かもしれません。
逆に細く静かな声は、弱さではなく、人物が遠くへ行く瞬間を示すことがあります。

浅川マキさんの歌い方にも、曲ごとに夜の空気や人物の輪郭を変える力があります。
山崎さんの場合は、見えないスクリーンを自分の前に置き、そこへ映像を通し続ける点が独特です。

フォークの人なのに、歌の足腰はロックとブルースにある

山崎さんは自分を、基本はロック少女だったと語っています。
兄の影響でレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、クリームなどを聞き、家庭や母の店では演歌や流行歌にも触れました。

そのため、弾き語りという外見だけで音楽をフォークへ閉じ込めると、曲の動きが説明できません。
『さすらい』のようにジャズやロックの編成が似合う曲があり、民謡や演歌から来る節回しも封印しませんでした。

若い歌手がジャンルを一つ選び、ほかの癖を消して洗練されていくのとは逆です。
山崎さんは、自分の中に混ざっていたものを整理しすぎず、曲が求めた時にそのまま出しました。

海外で初期作が再評価された理由も、古い日本のフォークという珍しさだけでは捉えきれません。
サイケデリック、ブルース、ロック、歌謡曲が、一人の少女の私小説へ自然に入り込んでいたからこそ、制作年代を知らない聞き手にも異物として届きます。

「同録」は上手に直せない代わりに、生きている歌を残した

舞台で歌いギターを弾く山崎ハコ

最初のアルバムでは、演奏と離れたブースで歌を重ねる方法に、山崎さんは違和感を覚えました。
自宅でギターを弾きながら歌う時と違い、自分だけが演奏の場から切り離されたように感じたからです。

2枚目の『綱渡り』では、演奏者と同じ場所で一緒に録る「同録」にこだわりました。
一人が間違えれば全員でやり直しになり、後から声だけをきれいに交換することもできません。

効率だけを考えれば不利です。
しかし山崎さんにとって、歌は正しい音を別々に集めて完成させるものではありませんでした。
その場の演奏に反応し、景色が現れ、心が動いた一回を残すことが重要だったのです。

この録音思想は、山崎さんの歌唱力の別の顔を示します。
失敗しない能力より、全員の時間を一つにできる集中力が要る。
声だけを完璧に磨くより、曲が生きた瞬間を逃さない判断が要るのです。

歌詞を「伝える」より、心が出た結果として言葉が届く

山崎さんは、歌は詞でも曲でもなく、歌詞を伝えようとして歌うわけでもないという趣旨の言葉を残しています。
一見すると、言葉を大事にしていないようにも聞こえます。

実際は反対です。
意味を説明しようと力むと、言葉は説明文になり、頭にあった景色が消えてしまう。
景色へ集中し、そこにいる人物の心を出せた時、結果として言葉が届くという順番なのでしょう。

これは発音を曖昧にする話ではありません。
一語ずつを同じ強さで明瞭に並べるより、言葉と言葉の間にある言えなかったものまで歌に含めるということです。

山崎さんの歌に沈黙が似合うのは、声が途切れたからではありません。
画面の外でまだ物語が続いているように、次の一音まで景色を保てるからです。

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50年後も原曲キーを守るのは、若さの証明ではない

50周年を迎えた山崎さんは、昔の曲を現在も原曲のキーで歌うと話しています。
ここだけを取り出すと、驚異的な音域維持の話に見えます。

しかし本人がより強く意識しているのは、曲の前へ進むリズムです。
年齢を重ねたからといってテンポを必要以上に遅くし、過去の歌を記念品のように扱いたくない。
ロック少女だった感覚で、今の歌として走らせたいのです。

高音が出ることは、その結果の一つにすぎません。
原曲キーを守るのは昔の自分に勝つためではなく、曲の人物が今も同じ場所で生きられる速度を守るためだと考えると、山崎さんらしい選択になります。

年齢を重ねた声を、若い頃より弱くなったかどうかだけで比べると、この変化は見えません。
若い録音には、その瞬間を逃すまいとする切迫感があります。
現在の舞台には、同じ歌を何十年も歌った人だけが持てる、景色が現れるまで待つ余裕があります。

どちらかが正解なのではありません。
歌の人物を置き去りにせず、今の身体で同じ物語を前へ進めていることが、山崎さんの変わらない技術です。

詳しい年代ごとの変化は、山崎ハコさんの歌唱変遷で、17歳のデモから同録への転換、50周年まで追っています。

山崎ハコの歌い方が面白いのは、聞き手の頭の中で完成するから

山崎ハコさんの歌唱力は、暗く聞かせる技術でも、苦しそうな声を作る技術でもありません。
自分にしか見えなかった景色を、聞き手が別の景色として受け取れるところまで運ぶ力です。

そのために、曲ごとに人物の位置を変え、ロックや演歌の根を隠さず、演奏者と同じ時間で歌います。
声が前へ出すぎないのに、歌の世界が濃く残るのは、主役が歌手の感情ではなく情景だからです。

「暗い歌手」という額縁を外すと、山崎さんの歌はむしろよく動いています。
見えないスクリーンの中で人が歩き、風が吹き、遠い町の空が開く。
聞き終えた後に残るのは声の技巧より、自分がどこかへ行ってきたような記憶です。

山崎さんの声色だけを似せようとすると、歌は暗い雰囲気の模倣で終わります。
先に考えたいのは、曲の中で誰がどこを見ているのかです。
その景色が決まった時に初めて、声の強さや間の長さが理由を持ちます。

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