羊文学の「more than words」では、塩塚モエカはギターのアルペジオを弾きながら歌います。
手が刻む音と、声が進めるメロディーは同じリズムではありません。
では、ライブではどうやって二つを一緒に届けているのでしょうか。
本人が語った練習と、録音と3人での演奏の違いを手がかりに、声だけでは見えない歌い方をたどります。
塩塚本人は、太く伸びる声に憧れ、自分の声の面白さをつかみきれずにいたと話しています。
一方、ベーシストの河西ゆりかは、その声にかすれと透明感が同居し、高い声の美しさと力強さもあると語りました。
出しやすい声と、曲で使いたい声を結びつける
塩塚は、自分の声を最初から自在に扱えていたわけではありません。
2020年の取材では、録音で歌うことが苦手で、高い声では息が続かないこともあったと話しています。
録音を重ねるうちに出しやすい声が分かり、出したい声をどう出すかも試せるようになったそうです。
ここでは、二つのことを分けて考えられます。
自分にとって楽に出る声を知ることと、その曲で使いたい表現を実際に歌えるようにすることです。
得意な声だけで曲を作るのではなく、まだ歌いこなせないメロディーを先に思いつくこともある。
その隔たりを録音や演奏の経験で埋めていくところに、塩塚の試行錯誤があります。
「more than words」は、手と声が別のリズムで動く
羊文学では塩塚がギターとボーカルを担当しています。
録音で完成した歌を、ギターを弾きながらライブで歌うには、手と声を同時に動かす必要があります。
『12 hugs (like butterflies)』を制作した頃、彼女は、ギターと歌のリズムが合っていない曲が多いと話しています。
ここでいう「合っていない」は、演奏がずれているという意味ではありません。
ギターが音を鳴らすタイミングと、歌の言葉や音を置くタイミングが、同じ並びになっていないということです。
「more than words」では、ギターの弦を一本ずつ鳴らすアルペジオを弾きながら歌います。
手はその音の並びを保ち、声は歌のメロディーを進めなければなりません。
片方がもう片方につられないよう、二つを同時に動かす必要があります。
塩塚自身も、この曲ではたくさん練習したと話していました。
歌い方を知ろうとして、ギターの練習の話になるのは、少し意外かもしれません。
けれども、伴奏を弾くたびに歌がぎこちなくなってしまえば、思いどおりの歌は届けられない。
彼女にとってギターを扱えるようになることは、歌を自由にするための練習でもあるのです。
「more than words」のサビのメロディーにも、深く集中して取り組んだといいます。
曲ができて終わりでも、声が出て終わりでもない。
自分で考えた歌を、演奏しながら人前で歌うところまでが、塩塚の仕事になっています。

写真:ASAMI NOBUOKA/出典:FenderNews。
録音の音を、そのまま持ち込まなくてもいい
こうして練習する一方で、羊文学は、録音した音を全部そっくりライブに持ち込むことにはこだわっていませんでした。
2023年のツアーでは、音源にシンセサイザーが入っている「more than words」も、当時の3人の演奏で鳴らしています。
自分たちの演奏で曲を成り立たせたい。
その考えの原点には、高校生の塩塚がチャットモンチーをコピーしようとしたときの経験があります。
3人のバンドなのに、楽譜には4人目が必要になる音が書いてあった。
それに驚いた彼女は、初めの頃、録音でもギターを一本に絞ろうとしていました。
ライブで自分たちが鳴らせる音を、録音の基本にもしていたのです。
その後は音を重ねるようになったものの、自分たちで演奏して曲にする感覚は大切にしてきたのです。
歌にとっても、この違いは大きいでしょう。
録音では声を重ねたり、短く切った声を音の一つとして加えたりできる。
ライブでは、その日に鳴っているギター、ベース、ドラムの中で歌うことになる。
同じ曲でも、声の周りにある音は変わります。
歌い続ける声と、短く配置する声
『12 hugs (like butterflies)』の制作で塩塚が意識したのは、スタジオの録音にも宅録の感覚を入れることでした。
コーラスの重ね方を工夫し、声やギターの小さな音、細かく切った音を曲の中へ置く。
本人はそうした作業にも、羊文学らしさがあると話しています。
主旋律を歌う声は、一つの言葉から次の言葉へ進み、曲の流れを作ります。
一方、重ねるコーラスや短く配置する声は、同じ瞬間に主旋律と並ぶ別の音になります。
声を一回でどう歌い切るかに加え、録った声をどこで重ね、どの長さで残すかまで考える。
塩塚にとって、声はメロディーを運ぶものでも、曲の響きを組み立てる材料でもあるのです。
スタジオで音を細かく作ることと、ライブで自分たちの演奏を大切にすることは、彼女の中で並んでいます。
録音で選べる声の重なりを生かしながら、人前ではギターと歌を同時に動かす練習をする。
二つの場面で課題が変わるからこそ、完成音源とステージには、それぞれの歌の聴きどころがあります。
「Hug.m4a」は、弾き語りの一回を選んで残した
同じアルバムの冒頭にある「Hug.m4a」では、別の方法を選んでいます。
塩塚はスマートフォンで弾き語りを5回ほど録り、その中から一番よいテイクを選びました。
曲の長さは64秒。
細かな音を重ねる制作と並んで、一回の演奏を選ぶ歌も、作品の入口に置かれているのです。
本人はこの曲に、気負わない感じを入れたかったと話しています。
もともとはアルバムの最後に加えるつもりでしたが、最後に置くと全体の力強さが少し失われると感じ、冒頭へ移しました。
同じ声と演奏でも、最後の余韻にするか、最初の入口にするかで役割が変わると考えたわけです。
スマートフォンで録ったことは、適当に歌ったという意味ではありません。
複数回の演奏から一つを選ぶ判断も、作品のどこへ置くかという判断もしています。
歌を大きく作り込むことだけが、歌の魅力を引き出す方法ではない。
短い弾き語りの中に残った声の雰囲気を、そのまま生かす選択もあったのです。
大きなバンドの音の中で、自分の声を届ける
2023年の札幌公演を見たファンの感想には、バンドの大きな音に圧倒されながらも、歌には温かさを感じた、という受け止め方がありました。
また、2022年の「キャロル」の演奏を振り返った別のファンは、メンバー同士が音を確かめ合う場面に、会話のような親しさを感じています。
塩塚の澄んだ声と、大きく鳴るバンドの音。
その組み合わせに、強さと温かさの両方を感じる聴き手もいるのです。
大きな音や、ほかのメンバーとのやり取りの中でも、その声がどう届くかを楽しめるのが羊文学です。
ギターを持ってマイクの前に立つ姿も、その話を知ると少し違って見えます。
塩塚は、歌の後ろに伴奏を添えているだけではありません。
自分が歌いたいメロディーと、自分が鳴らしたいギターを、一緒に届けられるようにしているのです。
自分の声に戸惑った時期から、歌えなかった「サイレン」を録音し、客席との距離を押し引きで作るまでの歩みは、塩塚モエカの歌声の変遷で紹介しています。







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