羊文学の塩塚モエカには、透明感のある声という印象があります。
ところが本人が憧れていたのは、もっと太く、少しかすれて、伸びやかに響く声でした。
周りが好きになった声と、自分が出したかった声は、最初から同じだったわけではありません。
その彼女が、思いどおりに歌うために取り組んできたことは、発声の練習だけではありません。
自分の声で歌える曲を書き、難しかったメロディーを歌えるように練習し、ギターと歌を同時にこなす。
塩塚の歌い方は、声の特徴だけでなく、歌いたいものを実際に歌えるようにしてきた過程から見ると、ぐっと面白くなります。
2023年の「more than words」も、そうして形になった曲です。
自分では、声のよさがよく分からなかった
2020年、塩塚は自分の声の何が面白いのか、まだよく分からないと話していました。
好きなのは鬼束ちひろの声や、アメリカのポップスにある、太く伸びる歌い方。
そう歌いたいのに、自分にはなかなかできないというのです。
一緒に演奏するベーシストの河西ゆりかは、別のところを聴いていました。
かすれた質感がありながら透明で、高い声もきれいに響き、必要なところでは力強くなる。
塩塚が足りないと感じている声に、河西は、ほかの歌手には置き換えにくい魅力を感じていました。
透明感という言葉だけだと、薄くて静かな声を想像するかもしれません。
でも、河西の説明には、声のかすれも力強さも含まれています。
きれいに澄んでいることと、少しざらついていること。その二つが同じ声の中にあるのが、塩塚の面白いところです。
ただし、本人が最初からその特徴を理解して、得意な歌だけを選んでいたわけではありません。
ほかの音楽家の作品に歌手として呼ばれることが、自分の声を信じる励みにもなっていました。
聴き手が先に好きになり、歌っている本人が少しずつ手応えを得ていく。そんな順番もあるのです。
作ったときには歌えなかった「サイレン」
塩塚が曲を作り始めたきっかけにも、憧れと自分の声の違いがありました。
好きだったYUIの歌声とは声質が違い、高い声も思うように出なかった。
それなら自分の曲を作ろう、という方向へ進んだのです。
ところが、自分で作れば何でも簡単に歌える、というわけでもありませんでした。
2020年のEP『ざわめき』に収録された「サイレン」は、その3〜4年前に書いた曲です。
音の高さや歌の調子が細かく動くメロディーを作ったものの、当時は歌う技術が追いつかなかったといいます。
録音を重ね、自分が出しやすい声や、出したい声を出す方法が分かってきたことで、ようやく曲を生かせるようになった。
「サイレン」は、その経験が形になった一曲でした。
声の特徴を生かしながら、頭の中にあるメロディーを実際に歌えるようにしていく。
作曲したときの自分には難しかった歌を、数年後の自分が歌えるようになる。
塩塚には、曲を書く力に歌う技術が追いつくまで、時間をかけて取り組んだ曲があったのです。

「more than words」は、手と声が別のリズムで動く
歌えるようになったら、次はギターを弾きながら歌えるか、という問題があります。
羊文学では塩塚がギターとボーカルを担当しているため、録音で完成した歌を、そのままライブで再現できるとは限りません。
『12 hugs (like butterflies)』を制作した頃、彼女は、ギターと歌のリズムが合っていない曲が多いと話しています。
ここでいう「合っていない」は、演奏がずれているという意味ではありません。
ギターが音を鳴らすタイミングと、歌の言葉や音を置くタイミングが、同じ並びになっていないということです。
「more than words」では、ギターの弦を一本ずつ鳴らすアルペジオを弾きながら歌います。
手はその音の並びを保ち、声は歌のメロディーを進めなければなりません。
片方がもう片方につられないよう、二つを同時に動かす必要があります。
塩塚自身も、この曲ではたくさん練習したと話していました。
歌い方を知ろうとして、ギターの練習の話になるのは、少し意外かもしれません。
けれども、伴奏を弾くたびに歌がぎこちなくなってしまえば、思いどおりの歌は届けられない。
彼女にとってギターを扱えるようになることは、歌を自由にするための練習でもあるのです。
「more than words」のサビのメロディーにも、深く集中して取り組んだといいます。
曲ができて終わりでも、声が出て終わりでもない。
自分で考えた歌を、演奏しながら人前で歌うところまでが、塩塚の仕事になっています。

録音の音を、そのまま持ち込まなくてもいい
こうして練習する一方で、羊文学は、録音した音を全部そっくりライブに持ち込むことにはこだわっていませんでした。
2023年のツアーでは、音源にシンセサイザーが入っている「more than words」も、当時の3人の演奏で鳴らしています。
自分たちの演奏で曲を成り立たせたい。その考えの原点には、高校生の塩塚がチャットモンチーをコピーしようとしたときの経験があります。
3人のバンドなのに、楽譜には4人目が必要になる音が書いてあった。
それに驚いた彼女は、初めの頃、録音でもギターを一本に絞ろうとしていました。ライブで自分たちが鳴らせる音を、録音の基本にもしていたのです。
その後は音を重ねるようになったものの、自分たちで演奏して曲にする感覚は大切にしてきたのです。
歌にとっても、この違いは大きいでしょう。
録音では声を重ねたり、短く切った声を音の一つとして加えたりできる。
ライブでは、その日に鳴っているギター、ベース、ドラムの中で歌うことになる。
同じ曲でも、声の周りにある音は変わります。
2023年の札幌公演を見たファンの感想には、バンドの大きな音に圧倒されながらも、歌には温かさを感じた、という受け止め方がありました。
また、2022年の「キャロル」の演奏を振り返った別のファンは、メンバー同士が音を確かめ合う場面に、会話のような親しさを感じています。
塩塚の澄んだ声と、大きく鳴るバンドの音。その組み合わせに、強さと温かさの両方を感じる聴き手もいるのです。
大きな音や、ほかのメンバーとのやり取りの中でも、その声がどう届くかを楽しめるのが羊文学です。
透明な声にも、低さや強さがある
実際、曲が変われば、塩塚の声の印象も変わります。
2024年の横浜アリーナ公演では、「踊らない」の高い歌声に対し、「honestly」では低い響きを含んだ歌声が、公演レポートでも聴きどころとして挙げられていました。
「honestly」には、河西とのハーモニーを楽しむ面もあります。
「more than words」の声が好きになったら、同じ高さや同じ雰囲気の曲だけを探す必要はありません。
「サイレン」の細かく動く歌、「honestly」の低い声、ライブでほかの音と混ざる歌。
曲を変えると、透明感という一言には収まらなかった部分が見つかります。
塩塚は、憧れの声を追いかけながら、自分の声で歌えるものも増やしてきました。
歌えなかった曲を録音できるようになり、違うリズムでギターを弾きながら歌えるようになる。
あの声の魅力を支えているのは、そうした具体的な積み重ねです。
ギターを持ってマイクの前に立つ姿も、その話を知ると少し違って見えます。
塩塚は、歌の後ろに伴奏を添えているだけではありません。
自分が歌いたいメロディーと、自分が鳴らしたいギターを、一緒に届けられるようにしているのです。





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