西城秀樹の歌い方・発声|なぜ叫んでも音楽になるのか

西城秀樹の歌い方と制御されたロック発声を分析する記事のアイキャッチ シンガー

西城秀樹さんの歌い方は、声量やシャウトだけを切り取ると「生まれつき喉が強い人の力技」に見えます。
しかし実際には、デビュー前から呼吸、低い響き、地声と裏声の移動を徹底して整えたうえで、ロックの衝動を解放していました。

だから、激しく動いても音程と言葉が置き去りになりません。
西城秀樹さんのすごさは、大声を出せることではなく、制御できる声で限界まで感情を見せたことにあります。

この記事では、本人の回想、当時を知る指導者や制作者の証言、音声研究と複数の歌唱分析をもとに、「叫び」と「歌」の境目に何があったのかを初心者にも分かる言葉でたどります。

最初から完成された大声の持ち主ではなかった

広島でジャズやロックに親しみ、ドラムを叩いていた少年が、上京後すぐに現在知られる声を出せたわけではありません。
本格的にリードボーカルを経験した期間は短く、17歳でのデビューを前に、歌手としての土台を急いで作る必要がありました。

そこで1971年から指導を受けたのが、のちに多くの歌手を育てたボーカルトレーナーでした。
練習は、派手な高音を先に覚えるものではありません。
呼吸を整え、身体の深いところに声を響かせ、低音から高音まで、地声から裏声までを行き来できるようにする内容でした。

デビュー後も、仕事を終えた深夜にレッスンへ通ったといいます。
テレビではすでにスターとして激しく歌っていた時期にも、舞台の外では基礎へ戻っていた。この表と裏の落差が、西城秀樹さんの歌を理解する最初の鍵です。

「もっと腹から」は精神論ではなく、声を壊さない準備だった

指導時の言葉として伝わっているのが、「もっと」「腹から」という厳しい要求です。
文字だけ見ると、根性で声量を増やす練習のように思えます。

ところが、その前提には呼吸と深い響きがあります。
喉だけで音を大きくすると、首や顎が固まり、音程は上ずり、言葉も平たくなります。
身体の支えと響きが先に整っていれば、声を強くしても喉一か所へ負担が集まりにくくなります。

西城秀樹さんは、走り、膝をつき、腕を大きく広げながら歌いました。
それでも歌の高さと音量を保てたことは、運動しながら無理やり叫んだ結果ではありません。
姿勢が変わっても息と声を立て直せる基礎が、動きの下に隠れていました。

この意味で「腹から」は、大きく歌えという命令だけではありません。
表現を激しくしても声の中心を失わないための準備だったのです。

西城秀樹のシャウトは、歌を壊す音ではなく最後の一押し

ロックのシャウトは、音程のない絶叫と同じではありません。
歌の流れ、言葉の位置、音の高さが聞き手に届いたうえで、瞬間的に粗さや勢いを足す表現です。

西城秀樹さんの場合、専門家や歌唱を研究した書き手が共通して注目しているのは、太い高音だけではありません。
音の入口が明確で、長く伸ばす音が安定し、声を揺らすビブラートにも規則性があることです。

若き日にロック歌手としての個性を育てていた西城秀樹

まっすぐ届く音があるから、その先で声を荒らした時に「崩れた」のではなく「感情があふれた」と聞こえます。
最初から最後まで粗い声なら、聞き手はすぐに刺激へ慣れてしまいます。

ここが、表面だけを真似すると失敗しやすいところです。
喉を擦って声を枯らすことは、シャウトの雰囲気には近づいても、西城秀樹さんの音楽には近づきません。
先に整った歌があり、荒さはその歌を壊さない範囲で使われています。

音の始まりとビブラートに「秀樹らしさ」が残る

音声研究を紹介した資料では、西城秀樹さんらしさが、声を出し始める瞬間とビブラートに現れると分析されています。
ビブラートとは、伸ばした音の高さを小さく周期的に揺らす表現です。

重要なのは、揺れが大きいことではありません。
一音の中で揺れ方が安定しているため、声量が増しても音の中心を聞き取りやすいことです。

声の立ち上がりも同じです。
「ヤングマン」のように観客と一緒に盛り上がる曲でも、言葉の最初がぼやけると、掛け声は大きな塊にしか聞こえません。
一語ずつ入口が立つことで、会場全体を巻き込む熱気と歌詞の伝達が両立します。

西城秀樹さんの声を「声量」と一語で説明すると、この精密さが抜け落ちます。
大きな声の内側に、音を始める位置と揺らす幅をそろえる細かな仕事がありました。

ドラマーだった少年は、声もバンドの楽器として扱った

歌手になる前の中心はドラムでした。
兄たちの影響でジャズやロックを聴き、バンドではリズムを身体で覚えていました。

この経歴は、声質とは別の角度から歌を説明します。
西城秀樹さんの代表曲には、歌声が伴奏の上に飾られるのではなく、ドラムやギターと一緒に前へ進むものが多くあります。
声を長く伸ばす場面でも、曲の拍から離れて自分だけの見せ場にはなりません。

1970年代には日本の野外スタジアム公演を大きく広げ、アメリカのロックフェスティバルから着想した舞台作りにも挑みました。
観客から遠い広い会場では、きれいに歌うだけでは熱が届きません。
一方で、勢いだけでは曲の輪郭が消えます。

リズムを知る身体と、訓練された声の両方があったため、西城秀樹さんは「アイドルがロックを歌う」のではなく、声そのものをバンドの強い楽器にできました。

曲ごとに声量ではなく、感情の出口を変えていた

「情熱の嵐」や「激しい恋」では、題名どおりの熱が正面から押し寄せます。
ただし、同じ大声を繰り返しているわけではありません。
短く言葉を切る部分と、長く音を広げる部分を分けることで、感情に段差を作っています。

「ブルースカイ ブルー」では、強さだけでなく、伸ばした声の寂しさが前へ出ます。
「傷だらけのローラ」では、言葉を呼びかける勢いと、旋律を保つ制御が同居します。
「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」では、一人の感情を深く掘るより、観客が参加できる明るい輪郭が必要です。

同じ太い声でも、曲によって役割が違います。
怒鳴る、泣く、呼びかける、会場を動かす。その出口を選び分けたため、多くの曲が「西城秀樹の声量」という一色に染まりませんでした。

郷ひろみ、沢田研二と比べると強さの正体が見える

同時代のスターと比べると、個性はさらにはっきりします。
郷ひろみさんの歌い方には、明るい輪郭を保ち、細かな更新を重ねて現在の声を作る強さがあります。

沢田研二さんの歌い方は、語尾や音量をあえて出し切らず、衣装や視線へ物語の続きを預ける「引き算」が魅力です。

西城秀樹さんは、その二人より身体の動きと声の爆発を前面へ出しました。
それでも雑に聞こえないのは、爆発する前の音程、言葉、リズムが整理されているからです。

三人を「歌がうまい昭和のスター」でまとめると違いが消えます。
郷ひろみさんは更新、沢田研二さんは余白、西城秀樹さんは制御された解放。その違いを見ると、声量は単なるデシベルではなく、人物像を作る方法だと分かります。

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病後に残ったのも、声を人へ届ける意志だった

2003年に脳梗塞を発症し、2011年には再発しました。
右半身の麻痺や言葉の出しにくさと向き合いながら、リハビリを続けて舞台へ戻っています。

復帰後も舞台と歌への意志を持ち続けた西城秀樹

病後の歌を、全盛期と同じ音域や声量だけで比べるのは適切ではありません。
若い頃と同じ身体に戻すことより、現在できる形で観客の前へ立つことが、新しい表現の中心になったからです。

ここでも、西城秀樹さんの歌は「強い喉」の物語では終わりません。
声が自由に出ない時期にも、言葉と姿を人へ届けることをやめなかった。その選択まで含めて、歌手としての強さでした。

年代ごとの変化は、西城秀樹さんの歌唱変遷で、17歳のデビューから復帰後まで順にたどります。

真似するなら、荒い声ではなく「荒くする前」を見る

西城秀樹さんらしく歌おうとして、最初に声を大きくしたり、喉を荒らしたりするのは危険です。
本人の声には、デビュー前からの訓練、身体条件、長い舞台経験が重なっています。

参考にしやすいのは、シャウトそのものではなく、その直前です。
言葉の最初が聞こえるか、音程が決まっているか、リズムから遅れていないか。そこが整って初めて、強い一声が曲の一部になります。

西城秀樹さんの歌い方は、衝動を我慢する歌ではありません。
衝動を思い切り出しても音楽が壊れないように、見えない場所を先に整えた歌です。

まとめ|圧倒的な声量の正体は、制御できる自由

西城秀樹さんの高音とシャウトが強く届くのは、力だけで押していたからではありません。
呼吸、深い響き、地声と裏声の幅、音の立ち上がり、規則的なビブラート、リズム感を先に作り、その上で感情を解放していました。

だから、叫んでも言葉が残り、激しく動いても歌が残ります。
圧倒的な声量の奥にあるのは、声を好きなだけ暴れさせられるほどの制御です。

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