「Beautiful Things」が大きなヒットになった2024年、ベンソン・ブーンは意外なことを話しました。
あの高い声は、それまで発表した曲とは違う「声の部分」を使ったものだった。
そしてスタジオで歌ったときは、声に無理がかかると自分でも感じていたというのです。
曲を発表したあと、彼はその高さを繰り返し歌えるように練習していました。
一曲で見つけた強い声は、次の曲でも使うべき「ベンソンらしさ」になるのか。
2025年の「Mystical Magical」で彼が選んだのは、もっと強く叫ぶことではありません。
高い声を軽く弾ませ、遊ぶように歌うことでした。
初期のバラードから二つのヒット曲までたどると、この変化は突然の方向転換ではなく、歌の中で何を伝えたいかを探してきた過程に見えてきます。
2021年――声を褒められたあと、歌いたい曲を探す
ベンソンが自分は歌えると知ったのは、高校のバンド大会で歌手の代役を務めたときでした。
それでも、すぐに歌手になると決めたわけではありません。
2021年の『American Idol』を途中で離れた頃には、音楽を仕事にしたいのか、自分でもまだ分からなかったと振り返っています。
その後、イマジン・ドラゴンズのダン・レイノルズと曲を書く機会を得ます。
ピアノを囲む三日間を経て、自分で歌を作りたいと思うようになりました。
ダンが教えようとしたのも、自分の方法をそのままなぞらせることではなく、ベンソン自身の作り方を見つけることでした。
そこからロサンゼルスへ移り、最初の作曲セッションへ向かう車の中で、「Ghost Town」のサビを思いつきます。
初めてのシングル「Ghost Town」では、歌うだけでなく、楽器の録音や音作りにも関わっています。
誰かに見つけてもらった声を、どんな歌にするかは自分で決めたかったのです。
初期作について当時の取材は、ピアノを軸にした痛切な歌、親しい人の死を思う歌と紹介しています。
後年の強い高音が魅力として語られても、この時期に彼が取り組んでいたのは、まず自分の経験から曲を書くことでした。
2022~2023年――「In the Stars」を作り直し、別のリズムも歌う
2022年の「In the Stars」は、母方の曾祖母を思って書いた歌です。
ところが最初の仕上がりを聴いたベンソンは、音作りを気に入れず、曲そのものまで疑い始めました。
母親に相談し、個人的な曲だからこそ自分が好きになれる形に直してはどうかと勧められます。
彼は共同制作者とスタジオに戻り、後にお気に入りの一曲と呼ぶまで作り直しました。
同じ頃の取材で、ベンソンは、自分の曲を心の日記の一部として説明しています。
それを人に見せる怖さがあっても、弱さを表すことの力を伝えたいとも話しました。
「In the Stars」を直した話からは、個人的な気持ちを題材に選ぶことと、それが伝わる作品に仕上げることの間に、もう一段の仕事があると分かります。

写真:Warner Music New Zealand / CC BY 3.0
大切な人を思う気持ちを、録音したら一度で完成するわけではない。
音作りに納得できるまで手を入れる姿勢は、デビュー直後からありました。
ただ、この頃のベンソンを悲しいバラードだけの歌手として見ると、次の動きが見えません。
2023年のEP『PULSE』には、「Sugar Sweet」のように、軽快なリズムと短く覚えやすい旋律を前に出した曲があります。
ベンソンは当時、次々と浮かぶ旋律を共同制作者ジャック・ラフランツが新しい方向へ押し進めてくれると話しました。
強い声の出番を増やす以前に、声をどんな曲へ乗せるかを広げていたのです。

写真:AJ / CC BY-SA 4.0
2024年――曲が先に見つけた強い声を、歌手が追いかける
「Beautiful Things」は、ベンソンの中ではそれまでの発表曲と違う声を使う曲でした。
本人は2024年の取材で、スタジオでは曲に最も合う音を優先して歌い、そのあとで高音を無理なく出すための練習を始めたと説明しています。
一度録音できた声を、何度も歌える声にすることが新しい課題になったのです。
「Beautiful Things」の一曲の中で、静かな声から切迫したサビへどう進むかは、ベンソン・ブーンの歌い方で詳しく扱っています。
ここで問いたいのは、ヒット曲で見つけた強さを、彼がその後どう扱ったかです。
曲の受け止め方も、成功を経て変わりました。
最初は一人の相手を思って書いた歌でしたが、ベンソンは後に、家族や聴衆、音楽の仕事を含む、自分が失いたくないものを思い浮かべて歌うようになったと話しています。
声の迫力は同じ録音に残っていても、ステージでその歌を届ける相手は広がりました。
続く「Slow It Down」では、急ぎがちな自分に向けて、今いる時間を大切にしたいという気持ちを書きました。
穏やかな始まりからロックの演奏へ進む曲ですが、強く歌うことを単なる勝利の音にはしていません。
速く走りたい気持ちと、立ち止まりたい気持ちが一曲の中でぶつかります。
2025年――ヒット曲の影を追わず、声に遊びを見つける
2025年のアルバム『American Heart』へ向けて再び集まった制作陣は、「Beautiful Things」をどう再現するかを話し合わなかったそうです。
プロデューサーのエヴァン・ブレアは、前の大ヒットを意識し過ぎれば次の曲が作れなくなることもあるが、今回はその影を感じなかったと振り返っています。
それでも「Mystical Magical」は、すぐには仕上がりませんでした。
ベースのフレーズはあったものの、サビへ進む道が見つからない。
やがてベンソンがピアノの高い音を細かく弾くと、曲の形が動き出します。
録音ブースで歌ううちに、彼の歌はますます気まぐれで遊び心のあるものになり、ブレアもそれに合わせて音を作りました。
「Beautiful Things」も「Mystical Magical」も高音が印象に残ります。
しかし、後者の裏声は、前の曲より強く訴えるためのものではありません。
切迫した願いを歌った人が、今度は高い声で恋の浮き立つ気分を作る。
制作現場では、初めから「叫びの次は裏声」と計画したのではなく、ピアノと歌が動くにつれて新しい形が見つかっていったのです。
別のシングル「Sorry I’m Here for Someone Else」も、最初の悲しいピアノ曲から、シンセサイザーが弾む曲へ作り替えられました。
声だけを入れ替えたのではなく、同じ感情をどんな演奏の中で歌うかも変えています。
一方、同じアルバムには母に向けた「Momma Song」も収録しました。
ベンソンは当時、自分の音楽が十年後も同じとは思わないと語っています。
高音の「正解」を一つに決めない姿勢が、このアルバムにはあります。
その発言には、すぐに結果や反応を知りたくなる自分への反省も伴っていました。
どんな音楽を、誰と作り、何を届けたいのかを決めるには時間がかかる。
本人がそう語るとき、新しい声を試すことは、次のヒットを急いで出すためだけの手段ではなくなります。
2026年――一つの声にまとめきらないまま歌う
2026年6月に新曲「The Time of My Life」を発表しました。
7月24日の〈Wanted Man Tour〉シカゴ近郊公演では、その曲とともに、初期の「In the Stars」、「Beautiful Things」、「Mystical Magical」も演目に入りました。
会場で取材した評者は、力強い歌と裏声を使う大きなショーの中で、当時未発表だった「Traveler」を、別の小さなステージで一人で歌う場面も記録しています。
高い裏声へ進んだからといって、初期のバラードを捨てる一本道ではありません。
一方、その評者は、多彩な曲の顔が一つの人物像にまとまり切らないとも感じていました。
幅が増えたから、もう完成した歌手だと決めるのは早いのでしょう。
大きな会場で歌う今も、昔の曲、新しい曲、一人で歌う場面を同じ公演に置いています。
「Beautiful Things」の録音後、ベンソンは強い声を繰り返す難しさに向き合いました。
その曲を何度も歌う一方で、次の制作ではピアノに誘われて軽い裏声を使い、悲しい曲を明るい演奏へ作り替えてもいます。
あの叫びは彼の声を決めた一曲ですが、その声でできることの終点ではありません。
初期から歌と音作りを直してきたベンソンは、今も曲ごとに違う高音の使い道を探しています。

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