2025年、エド・シーランは米国マサチューセッツ州イプスウィッチに一夜限りの「Old Phone」というパブを作りました。
公演への参加を希望するファンには、昔の携帯電話に残る大切なメッセージや動画を送ってもらっています。
エドが自分の記憶から作った歌に、知らない人たちもそれぞれの記憶を持ち寄ったのです。
2014年にファレル・ウィリアムスと作った「Sing」は、最初、バンドがいなければ一人で演奏できないと本人が心配した曲でした。
ギターと声を一人で重ねてきた歌手は、その後、曲を演奏する方法だけでなく、歌に聴き手が加わる方法も広げていきます。
どんな出来事が、その変化につながったのでしょうか。
2011年――別の人の人生を、自分の声で語る
デビュー作『+(プラス)』の「The A Team」は、エドが住まいのない人のための施設で演奏し、そこで出会った女性について書いた曲です。
2011年の取材で本人は、彼女の物語だと説明しました。
歌う人の派手な体験ではなく、目の前にいた誰かの苦しさを、聴き手へ届けようとしたのです。
当時のエドは、報酬のない小さな公演も数多く重ねていました。
ギターを持った一人の歌手が、人の暮らしを語る。
この形で最初の大きな曲を世に出したため、彼には「アコースティックなバラードの人」という印象がつきます。
本人もその印象を否定していませんでした。
ただ、自分で曲を書く時には、一つの作風だけに収まるつもりもなかったのです。
2014年――「Sing」を作れたのに、ステージでは歌えない?
2作目『×(マルティプライ)』では、ファレルとの「Sing」が先行曲になりました。
エドは後の取材で、これを最初は実験として作り、アルバムのほかの曲から浮いてしまうと思っていたと話しています。
さらに心配だったのは発売後のことでした。
自分の曲になれば、公演のたびに歌うことになる。
でも、バンド向きに作ったこの曲を、ギターとループ機器だけで演奏できるのか分からなかったのです。
周囲に勧められて曲を出した後、エドは一人で演奏する方法を見つけました。
声や伴奏をその場で録り、重ねて鳴らすループ機器は以前から使っていました。
それでも「Sing」には、それまでのやり方で演奏できるかという迷いがあったのです。
曲を見送らず、自分の公演で歌えるようにしました。
同じアルバムには「Thinking Out Loud」もあります。
リズムを強く押し出す「Sing」を選んだとき、ゆっくりと恋愛を歌う曲をやめたわけではありません。
本人も当時、曲がラジオ向きかどうかより、何を語りたいかを大切にすると説明しました。
声の高低や曲調を増やしても、歌に話すべきことがあるという考えは残っています。
「Sing」の短い言葉と高いサビが一曲の中でどう働くかは、エド・シーランの歌い方で詳しく扱っています。
こちらで重要なのは、その曲を発表したことで、一人で歌える曲の枠をエド自身が広げたことです。
2015~18年――一人の公演を、スタジアムまで運ぶ
会場の広さと、歌うときの緊張は、必ずしも同じではありませんでした。
2014年のエドは、自分を知らない人に実力を示す公演より、自分の歌を好きで来た人たちの前の方が気楽だと話しています。
そこでは、驚かせることばかり求められるのではなく、知っている歌を楽しんでもらえる。
観客が誰なのかによっても、一人で舞台に立つ意味は違っていたのです。
2015年にはロンドンのウェンブリー・スタジアムで、3夜の公演を行いました。
エドは当時、会場が大きくなっても客席全体とつながる公演ができるか、という挑戦だったと振り返っています。
観客が増えたから歌い手も増やすのではなく、一人の演奏と声をどう遠くまで届けるかを考えていました。

写真:Matt Boulton / CC BY-SA 2.0
2017年の『÷(ディバイド)』には、踊れる曲「Shape of You」が入ります。
同じアルバムの制作に参加した録音技師ジョー・ルーベルは、エドが歌いたいと思った時にすぐ録れるよう準備したと語っています。
伴奏を重ねる途中には、歌が入って初めて曲の形を理解できたこともあったそうです。
同じアルバムの「Perfect」は、親しい相手へ言葉を届けるバラードです。
「Sing」を出した後も残していた歌の側面を、大きなアルバムの中で再び前に置きました。
二つの曲を並べると、エドが新しいリズムを試すために昔の曲調を捨てたわけではないことが分かります。
一方、「Galway Girl」では、バンドと同じ場で演奏する経験も得ました。
アイルランドのバンドBeogaの録音を終えた後、その場にいた仲間と新しい曲を書き、エドも一緒に演奏したとルーベルは振り返っています。
歌は後から録り直しましたが、演奏を重ねるたび、エドは和音やピアノの動きに案を出していました。
ループを一人で組む方法に加え、目の前の演奏者とやり取りして曲を形にする方法も試していたのです。
ループ機器を使い続ける一方、録音では幅の違う曲を作る。
エドが後に「小さなバーからスタジアムまで機器も一緒に大きくなった」と振り返ったように、規模が変わっても、一人の歌から曲を立ち上げる姿勢が続いています。

写真:Erin McCormack / CC BY 2.0
2023年――歌える曲と、人前で歌える曲は違った
長く公演を続けてきたエドにも、初めて人前で歌うのがつらい曲が生まれました。
「Eyes Closed」は、もとは別れを題材にしていましたが、親しい人を亡くした後に書き直されています。
失った友人ジャマル・エドワーズのことを思い、外へ出ればまた会えるのではないかと感じていた時期の歌になりました。
本人によれば、曲を書くことより、まだ誰も知らないうちにライブで歌う方が難しかったそうです。
バンドなしで「Sing」を再現するために工夫した時とは、別の困難でした。
今度は自分の悲しみを、聴く人の前に持ち出す必要があったのです。
同年の『-(サブトラクト)』を共に作ったアーロン・デスナーも、曲にある感情の繊細さを踏まえ、音を抑えたまま作品の世界を作ろうとしたと説明しています。
エドは彼を信頼して制作を任せつつ、リズムの一部を抜くといった具体的な提案もしていました。
悲しみを歌う声の周りに何を置き、何を減らすか。
録音でも、その曲をどんな演奏で届けるか、二人で探っていました。
「Eyes Closed」の発表後には、エドの言い方で「みんなの曲」になり、自分と曲との関係も変わったといいます。
悲しみがなくなったという話ではありません。
一人だけの記憶だった歌を、人がそれぞれの喪失に重ねて聴けるようになった。
その変化が、歌い続ける彼にも届いたのです。
2025年――歌を一人で所有しない
「Old Phone」は、古い携帯電話を開いて、今は会えない人からのメッセージを見つけた体験から生まれました。
エドは同じ記憶を持つファンに写真やメッセージを送ってもらい、小さなパブで一緒に過ごした夜をMVにしました。
自分の過去を書いた歌を、聴き手が自分の過去も持ち込める場へ変えたのです。
同じ年の「Azizam」には、スウェーデン系イラン人のプロデューサー、イリヤ・サルマンザデとの仕事が入っています。
エドは、ペルシャ音楽の響きに自分が育ったアイルランド音楽との親しさも感じ、パーティーのような曲を作りたかったと説明しました。
ボストンのパブでは、エドがアイルランドのバンドBeogaと「Azizam」を演奏しました。
その後、アイルランドの曲を歌う場面で、客席の人々は歌手だけを見るのをやめ、互いを向いて歌っています。
2014年に「Sing」を自分一人で演奏できるか悩んだ人が、今は自分がずっと前に出なくても音楽が続く時間を楽しんでいます。
「The A Team」では出会った一人の話を歌い、「Eyes Closed」では自分の喪失を人前で歌う難しさに向き合いました。
そして「Old Phone」では、聴き手にも記憶を持ち寄ってもらっています。
エドの歌声は一つの音色へ向かって変わったのではありません。
誰の話を歌い、歌が届いたあと誰と分かち合うかを、曲と公演のたびに広げてきたのです。

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