遠藤正明の歌声はどう変わった?「勇者王誕生!」・JAM Project・30周年まで

シンガー

2025年、遠藤正明さんはアニソンデビュー30周年を迎え、「キン肉マン英雄」を歌いました。
現在も聞こえるのは、遠慮を知らない太い高音です。

それだけを見ると、若い頃から同じ声量を保ってきた歌手に思えるかもしれません。
しかし本当に大きく変わったのは、声の高さや太さより、誰のために全力を使うかでした。

自分の好きなロックだけを歌っていた青年は、提供曲によって苦手を突きつけられ、124回の「ガ」をヒーローへ変えます。
JAM Projectでは一人で勝つ歌を捨て、強い個性の中へ自分の声を残す方法を学びました。

カバー、故郷、静かなバラードを通り、30周年の声は「いつも同じ熱血」ではなくなっています。
変わらないように聞こえる力の中に、時代ごとに別の理由が積み重なっています。

子どもの頃、先生と友達で「よい歌」が違うと知った

遠藤さんが最初に憧れたスターは沢田研二さんでした。
小学校の卒業文集には、将来ジュリーになりたいと書いています。

歌手人生を予告するような出来事は、学校のクリスマス会で起きました。
同級生の前で自分らしく歌うと友達は喜びましたが、音楽の先生からは、もっと子どもらしく歌うよう注意されます。

子どもらしく歌えば大人に受け、自分らしく歌えば友達に届く。
まだ技術の名前も知らない時期に、同じ声でも聞く相手によって正解が変わると知りました。

後年の遠藤さんは、作品の要求と自分の個性を何度も行き来します。
その原型は、高音を出す練習より先に、教室で生まれていました。

1993年、アコースティックハードロックは「自分の歌」だけだった

上京後は、ドラムのいないアコースティックトリオSTEEPLE JACKで活動します。
当時の見た目は金髪の長髪で、上半身を出してアコースティックギターを弾くという、本人いわく「アコースティックハードロック」でした。

バンドブームの中で目立つ演出を求められても、色物として売れる道は選びませんでした。
ライブだと思って出向いた場所が最終オーディションだと知り、予定より多く歌ってグランプリを取ったという逸話にも、反発心の強さが表れています。

この頃の歌は、自分の好きな曲を自分の流儀で歌うためのものでした。
苦手な音楽を避けても、バンドの個性としては成立します。

ただし、本人は後に、提供された歌を100パーセント表現する仕事へ入って初めて、自分の力不足に気づいたと振り返ります。
自由だったロック時代には、まだ「歌えないものを歌う必要」がありませんでした。

1995年から1997年、アニソンがプロ意識を目覚めさせた

事務所で影山ヒロノブさんと出会い、ライブのコーラスを頼まれたことから道が開きます。
その歌声をきっかけにアニソンへ誘われ、1995年の「Forever Friends」でソロデビューしました。

決定的な転機は、1997年の「勇者王誕生!」です。
遠藤さん自身、それまでは自分を熱い歌の人だと思っていませんでした。

何度も転調し、「ガ」が124回現れる曲は、最初には奇妙に見えました。
ところが、どう料理すれば格好よく聞こえるか考えるうちに、アニソンの面白さへ深く入っていきます。

技名を叫ぶ「投げ込み」まで本人の声で採用され、歌手は旋律だけでなく、ロボットの動作と作品の熱量を背負う存在になりました。
「自分が歌いたい歌」から、「与えられた世界を成立させる歌」へ、声の目的が変わった瞬間です。

自分の歌だけではなく作品の世界を背負うようになった遠藤正明

2000年、JAM Projectで「埋もれない声」を作り直した

JAM Projectの旗揚げに参加した時、遠藤さんは最年少で、まだ無名に近い立場でした。
水木一郎さん、影山ヒロノブさん、松本梨香さん、さかもとえいぞうさんという強烈な声の間に、自分の場所を作らなければなりません。

大きな声をさらに大きくしても、全員が強ければ埋もれます。
そこで、通常とは違う拍を意識して歌うなど、リズムの位置へ個性を置く方法を考えました。

この経験が、遠藤さんの歌を一段複雑にします。
ソロでは一人で曲を押し進められますが、グループでは前の声を受け、次の声を生かし、全員のサビへ合流しなければなりません。

JAM Projectは横浜アリーナや海外公演など、一人では見られなかった景色も実現しました。
同時に、自分が一番目立つことより、五人の中で必要な一音を選ぶ歌手へ変わる学校になりました。

2003年、「爆竜戦隊アバレンジャー」で熱血の看板が広がった

「爆竜戦隊アバレンジャー」は、スーパー戦隊シリーズの主題歌として大きな実績を残しました。
「熱いロボットソング」の人から、子どもが一緒に歌える特撮ヒーローの声へ、届く範囲が広がります。

ガオガイガーでは、曲そのものの異様な熱量へ応えることが課題でした。
アバレンジャーでは、タイトルを一度で覚えられる明るさと、走り出したくなる軽さも必要です。

太い高音を保ちながら、暗く重いロックだけに閉じなかったことが重要でした。
パワーを怖さではなく、子どもが参加できる楽しさへ変える声が加わります。

この時期までに、「遠藤正明へ任せれば熱い曲が成立する」という看板が定着しました。
看板は仕事を増やす一方、いつも同じ人に見える危険も生みます。

2008年のENSONは、他人の名曲を自分の声で壊さず作り直した

カバーアルバム「ENSON」と「ENSON2」では、女性ボーカル曲や柔らかな作品を含む多様なアニソンへ向き合いました。
原曲の魅力を残しながら、遠藤さんの太い声が入る意味を作る企画です。

高い音を出せることだけなら、一曲で証明できます。
カバーでは、原曲のファンが知っている抑揚、人物像、感情の温度へ、別の声で答えなければなりません。

本人の記録には、ピアノ一本で歌うセルフカバーを自ら選んだ話も残っています。
音を増やして力を見せるだけでなく、伴奏を減らして声の物語を前へ出す発想が、すでにこの頃からありました。

2015年の「ENSON3」では、さらに新しい世代の曲へ踏み込みます。
「熱い曲を遠藤化する」だけでなく、原曲とは違う人物が同じ歌を生きる面白さが、シリーズの中心になりました。

2011年、故郷を失いかけて声の向きが変わった

若い遠藤さんは、故郷の石巻を捨てる覚悟で上京し、長く家族へ連絡しませんでした。
成功後に母親へ電話すると、生きていてよかったと言われるほどの断絶でした。

東日本大震災で町が大きな被害を受けた時、嫌っていたはずの故郷を自分が愛していたと気づきます。
物資を積み、影山さん、きただにひろしさんと石巻へ向かい、駐車場で歌うと約2000人が集まりました。

そこでは、上手さや声量の評価より、安否を確かめる人が同じ場所へ集まることに歌の意味がありました。
声は夢をかなえる武器から、人と町をもう一度つなぐ合図へ変わります。

遠藤さんは後に、石巻で育ったから現在のボーカルスタイルや考え方があると語りました。
一度捨てたルーツを引き取ったことで、熱い声の中へ個人の記憶が戻ってきます。

2017年、ソロではJAMと違う「遠藤ワールド」を見せた

オリジナルアルバム「V6遠神」では、全曲をオリジナルでそろえ、現在の自分を詰め込むことを目指しました。
ロック一色ではなく、異なるジャンルや、その時々の率直な気持ちを入れています。

JAM Projectしか知らない人へ、ソロでは違う遠藤正明を見せたいとも話しました。
グループで爪痕を残す声と、自分の弱さや暗さまで語る声を、意識して分けるようになります。

興味深いのは、この時期にもボイストレーニングを受けず、自己流を続けていたことです。
誰かの正解をなぞるのではなく、必要な曲に出会うたび、自分の失敗から使える声を増やしてきました。

その方法は誰にでも勧められる安全な近道ではありません。
ただ、遠藤さんの歌声が教科書どおりの一種類へ整理されず、曲ごとに違う表情を残す理由にはなっています。

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2020年から2022年、叫ばない場所でも物語を背負った

2020年の「ご唱和ください 我の名を!」では、歌唱だけでなく作詞と作曲も担当しました。
子どもの頃にウルトラマンから受け取ったものを、今度は自分が次の世代へ返す作品です。

2021年の「恍惚ラビリンス」は、ロボット作品でありながら、父から娘への視点とファンキーな音楽を選びました。
制作側の参考曲をそのままなぞらず、作品にはもっと現代的で大人の雰囲気が合うと提案しています。

カップリングでは、ピアノと歌を中心にし、コーラスまで削った静かなバラードへ進みました。
遠藤さん自身、陰りのある歌は昔から得意で、熱血以外の引き出しも見せたいと語っています。

2022年には、アコースティック編成で物語へ歌を添える企画にも挑みました。
MCや大きな演出へ頼らず、歌だけで話を進める仕事は、声量の看板とは反対側にある表現です。

若い頃の自分らしさは、好きなロックだけを歌うことでした。
この時期の自分らしさは、作品の要求へ応えながら、まだ知られていない声を一つ加えることへ変わっています。

2025年、30周年の声は「昔より大きいか」を競わない

2025年には「キン肉マン英雄」を歌い、JAM Projectも結成25周年を迎えました。
遠藤さんは58歳になる年にも、ソロとグループの両方で高い熱量を保っています。

30周年にも仲間と現在進行形の歌を届ける遠藤正明

現在の意味は、1997年の声をそのまま保存できたことではありません。
アニソンを子ども向けの脇役と見る時代から、世界の客席が日本語で大合唱する時代まで、声の置き場所を変え続けました。

2026年にも生誕祭やアニソンイベントへ出演し、活動は過去を祝うだけで終わっていません。
本人は歌い手のゴールを決めず、声が出る限り歌い続けたいと語っています。

若い頃は、自分の声を認めさせるために全力でした。
現在は、作品、仲間、故郷、次の世代へ受け取ったものを返すために全力です。

変わらなかったのは太さではなく、逃げずに歌う姿勢だった

STEEPLE JACKでは、自分が好きなロックを守りました。
「勇者王誕生!」では、苦手を避けられない提供曲からプロ意識を学びます。

JAM Projectで個性の置き方を覚え、ENSONで他人の名曲を自分の声へ通し、震災後には故郷へ歌を返しました。
静かなバラードや物語との共演を経た現在は、全力が声量だけを意味しません。

遠藤正明さんの歌声の変化は、昔の高音と今の高音を比べるだけでは見えにくいものです。
どちらも太く強いからこそ、その奥にある歌う相手の変化を追う必要があります。

30周年にも残っているのは、若い喉の再現ではありません。
奇妙に見える曲でも、強い歌手に囲まれても、静かな伴奏だけになっても、その場から逃げずに自分の答えを出す姿勢です。

その姿勢が「always full voice」という言葉を、単なる大声の宣伝文句から、長い歌手人生の説明へ変えました。

遠藤正明さんの現在の歌い方と発声では、極太の高音が母音、破裂音、リズム、グループ歌唱によってどう作られているのかを詳しく整理しています。

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