大江裕の歌い方・発声|北島三郎に似ているのに「ものまね」で終わらない理由

大江裕の歌い方と発声を解説する記事のアイキャッチ シンガー

大江裕さんは、普段の柔らかな話し方から歌へ入った瞬間、別人のように堂々とした声を聞かせます。
北島三郎さんの歌を得意とし、声までそっくりだと言われる一方で、本人は「似ていると言われているうちは自分らしさを出せていない」と考えてきました。

この矛盾に、大江さんの歌い方を理解する鍵があります。
似せようとしているのは太い声の表面ではなく、言葉を置く間、息継ぎ、曲の人物を崩さない姿勢です。
その土台があるからこそ、王道演歌では大きく構え、ポップスではこぶしを引き、女唄では切なさへ役を渡せます。

大江裕さんの発声の魅力は、声量だけではありません。
強い声を持ちながら、聞き手へぶつけず、三階席まで言葉として届けようとする制御にあります。

北島三郎に似ているのは、声より先に「息継ぎ」だった

大江さんは、北島三郎さんの歌を祖父の子守歌として聞いて育ちました。
幼稚園の卒園アルバムには、演歌の道を歩くと書き、小学生になると週末ごとに祖父と歌を練習しています。

本人が明かした興味深い話があります。
長く北島さんを聞いているうちに似てきたのは、声そのものより息継ぎだったというのです。

歌のまねというと、声を低くしたり、語尾を大きく揺らしたりする姿を想像しがちです。
ところが、一曲の印象を決めるのは、音を出している瞬間だけではありません。
どの言葉の前で息を取り、どれだけ待って次の音へ入るかによって、同じメロディでも話し方のような個性が生まれます。

北島さんからは、現在の声ではなく20代から30代の歌を聞くよう勧められました。
若い自分が受け継ぐなら、師匠の円熟後を表面だけ写すのではなく、若い頃にどう言葉を前へ運んでいたかを学べという意味です。

聞きまねを重ねるほど似てしまう。
それでも似ることを終点にしない。
大江さんの歌には、憧れを徹底して体へ入れた人が、その憧れから自分の声を取り戻そうとする面白さがあります。

大きな声を「ぶつける」のではなく「放る」

2018年の「大樹のように」は、大江さんにとって初めての三拍子の曲でした。
慣れないリズムに苦しみ、当初は北島さんから歌になっていないと指摘されたといいます。

題材は大きな志を持つ男です。
気持ちに任せて力強く歌えば似合いそうですが、大江さんは、強すぎると思いが聞き手へぶつかってしまうと考えました。
そこで、声を相手へ投げつけるのではなく、受け取れるように放る感覚で歌ったそうです。

2026年の「あばよ さよなら」でも、北島さんから届いた助言は「あまり力まず、裕らしく素直に」というものでした。
別の場では、テンポを外さず、三階席の客へ言葉を届かせるよう伝えられています。

三階席まで届けるとは、単純に音量を最大にすることではありません。
子音がつぶれず、言葉の終わりまで流れが保たれ、聞き手が意味を追える声にすることです。
太い声ほど押したくなる場面で、聞く側が受け取れる余白を残しています。

同じ北島門下でも、勝負の一語へ力を残す考え方は、山本譲二さんの歌い方と比べると違いが見えます。
山本さんが一振りの強さを作る歌手なら、大江さんは大きな声を明るく保ち、客席との距離を縮める歌手です。

大樹のようにを歌う大江裕

こぶしを回せる人が、あえて回さない

大江さんは幼い頃から演歌を歌い、こぶしが自然に回るほど演歌の語法を身につけてきました。
こぶしとは、一つの音を短く上下させ、言葉に揺れや粘りを加える歌い回しです。

ところが「大樹のように」では、身につけてきた技術を一度忘れて歌うよう求められ、こぶしを控えました。
2021年のJ-POPカバーアルバム『TRY』でも、ポップスへ演歌のこぶしをそのまま持ち込まないと決めています。

ここで重要なのは、演歌らしさを捨てたことではありません。
いつでも使える技術を、曲のために使わないと選べるようになったことです。

「ハナミズキ」や「香水」を歌う際には、歌い込んで癖を固めるより、話すように歌詞を届けることを優先しました。
反対に「登竜門」では、重要な言葉を強く置き、終盤の言葉を繰り返す案を自分から作曲家へ提案しています。

演歌だから全部を揺らす、ポップスだから全部を平らにする、という分け方ではありません。
言葉の意味を先に決め、その言葉に必要な分だけ技術を使っています。

三山ひろしさんの歌い方も、明瞭な言葉と演歌らしい装飾の関係を知る比較対象です。
大江さんではさらに、こぶしを外した時に何が残るかまで作品として見せています。

一音の修正より、フルコーラスの呼吸を選ぶ

録音方法にも、息継ぎを大切にする姿勢が表れています。
音程を機械で直すことをできるだけ避け、短い箇所の継ぎはぎではなく、まず一番を通し、最後はフルコーラスを歌った音源を使いたいと本人は語っています。

一音ずつ整えれば、数字の上では正確な歌にできます。
しかし途中だけ差し替えると、前の言葉から次の言葉へ進む呼吸や、感情が高まる速度まで変わることがあります。

大江さんはヘッドホンだけで判断せず、録音ブースから出てスピーカーで何度も聞き直します。
歌っている本人が気持ちよかったかではなく、客席にいる人へどう聞こえるかを確かめるためです。

これは、一発で歌えることを誇示する話ではありません。
納得できなければ何度でも通して録り直し、流れを壊さずに正確さへ近づける方法です。
普段の穏やかな人物像とは対照的に、録音では自分へ厳しい一面が現れます。

ハナミズキを歌う大江裕

「のろま大将」の人柄と、歌の中の別人格

テレビで知られた大江さんには、「恐れ入ります」という柔らかな話し方の印象があります。
本人も、歌い終わった途端にいつもの調子へ戻ると客席が喜ぶため、その人物像を大切にしています。

これは、普段から大声でいなければ力強く歌えないわけではないことを示します。
話す時の自分を無理に勇ましくせず、一曲の中だけ人物へ入り、終われば客席と同じ高さへ戻るのです。

個人の公演記録でも、物腰の柔らかなトークと、安定した歌唱との落差が驚きとして語られています。
声の大きさを性格の強さに見せるのではなく、歌が必要とする時だけ使うから、舞台での切り替えが鮮やかになります。

女唄の「女の夜汽車」では、元気な男歌と同じ押し方をせず、別れを受け入れようとする女性を想像しました。
役に入るとは、声色を不自然に作ることではありません。
誰が、どんな気持ちでこの言葉を口にしているかを決め、声の強さをその人物へ譲ることです。

参考にするなら、太さではなく「使わない選択」を聞く

大江裕さんらしく歌おうとして、低い声を作り、こぶしを増やし、最初から最後まで大声にするのはおすすめできません。
本人が長い時間をかけて得た声の太さや、幼少期から培った演歌の感覚は、表面だけでは再現できないからです。

参考にしやすいのは、同じ歌手の二曲を比べる聞き方です。
「登竜門」では、強い言葉をどこへ集めているか。
「ハナミズキ」では、どこでこぶしを使わず、話し言葉の流れを残しているか。
違いを探すと、技術の多さより選択の多さが歌唱力だと分かります。

大きな声は魅力ですが、喉の痛みや強いかすれを我慢して近づけるものではありません。
不調が出た時は歌うのをやめ、話し声の異常が続く場合は耳鼻咽喉科などへ相談してください。

36歳の現在は、19歳の勢いをそのまま繰り返さない

2022年の「願い星」の録音では、北島さんから、19歳の頃と同じ歌い方では成長していないと厳しく指摘されました。
三日間かけて録音し、自分の歌へ今できる力を込めたと答えた時、ようやく合格を得ています。

2026年、大江さん自身も、若さに任せて勢いで歌ったデビュー時とは違い、36歳にふさわしい味を届けたいと話しています。
最新作でも師匠の王道演歌を歌いながら、助言は力むことではなく、素直であることでした。

北島三郎に似ていることは、大江裕さんの出発点です。
けれど、似た声を守り続けることが目的なら、こぶしを外す必要も、ポップスへ挑む必要も、自分の録音を何度も聞き直す必要もありません。

受け継いだ型を曲ごとに足したり引いたりし、最後に客席へ届く言葉を残す。
大江裕さんの歌い方がものまねで終わらない理由は、師匠の声を写した先で、何を使わないかまで自分で決めているからです。

休養によって声が出なくなった時期から、現在の歌い方へどう戻ったのかは、大江裕さんの歌声の変遷で年代順にたどっています。

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