GLAY・TERUの高音は地声?ハスキーな声と歌い続けられる発声を分析

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GLAYのTERUさんは、太いロックボーカルを地声のまま高く押し上げる歌手に見えます。
ところが本人は「さよならはやさしく」の録音で、地声、裏声、ミックスボイスのどれを使うか迷ったと話しています。

意外なのは、声の種類を変えてもTERUさんらしさが薄れないことです。
強く張る場面でも、弱くほどく場面でも、最初の一声でGLAYだと分かります。

その理由は、特定の声区だけにありません。
ハスキーな質感、言葉へ入る勢い、語尾を重く残しすぎない抜き方が組み合わさり、地声と裏声をまたいでも同じ人物の歌としてつながるからです。

「地声で突き抜ける人」という印象を、本人の迷いが裏返す

TERUさんの高音を聴くと、まず強さが耳に残ります。
ロックの大きな伴奏を越えて前へ出るため、地声だけで最後まで歌っているように感じる人も多いでしょう。

しかし「さよならはやさしく」では、どの声で歌うかを一つに決めず、地声、裏声、ミックスボイスを候補として考えていました。
しかもTAKUROさんから返ってきたのは、声区の正解を指定する言葉ではなく、TERUが歌えば成立するという趣旨の答えでした。

ここには、GLAYのボーカルを理解する大きな手掛かりがあります。
TERUさんらしさは「この高さなら必ず地声」という固定ルールではなく、曲が必要とする感情をどの声で渡すかという選択に宿っています。

高音を地声かミックスかの二択だけで決めると、この自由さが見えません。
本人が三つの可能性を並べて迷った事実の方が、外側から一つの発声名を貼るよりずっとTERUさんの歌い方を表しています。

地声・裏声・ミックスは、三人の別人ではない

地声は話し声に近い厚みを感じやすく、裏声は軽く柔らかな音色になりやすい声です。
ミックスボイスは、その二つを完全に半分ずつ混ぜた第三の声というより、高音で厚みと軽さの配分を調整している状態を表す言葉として使われます。

TERUさんを扱った発声解説でも、説明は一つに揃っていません。
中高音まで地声の成分が強いと見る分析もあれば、裏声側の軽さを混ぜたミックスが中心だとする見方もあります。

食い違うのは不思議ではありません。
曲、音の高さ、音量、母音によって配分が変わるうえ、「地声らしく聞こえること」と、喉の中で地声とまったく同じ動きをしていることは別だからです。

ミックスボイスと地声の違いを考える時も、音色だけで断定しない方が安全です。
TERUさんの場合は、太い音色を保ちながらも、必要な場所では軽い経路へ移れることが長い活動を支えています。

ハスキーさよりも、語尾の「去り方」にTERUらしさが残る

複数の歌唱解説に共通するのは、声にざらつきや息の成分がありながら、言葉の中心には輪郭が残るという見方です。
ただし、生まれ持った声質や長年の歌唱で形作られたハスキーさを、そのまま再現できる技術のように扱うべきではありません。

夜景を背に立つTERU

むしろ参考になるのは、音の終わらせ方です。
TERUさんは長い音をすべて重く止めず、語尾を少し下へほどいたり、次の言葉へ余韻を渡したりします。

専門的には「フォールオフ」などと説明される動きですが、難しく考える必要はありません。
大声のまま句点を打つのではなく、最後だけ力を抜いて言葉を去らせる感覚です。

この抜けがあるため、強い高音が連続しても一曲全体が四角く固まりません。
「HOWEVER」のような大きなバラードでも、声の太さだけで押し切らず、語尾で空間を作るから、次に来る高音がもう一度広く感じられます。

TERUらしさは、声を出した瞬間だけでなく、声が消えるまでの形に残っています。
声区が変わっても同じ歌手に聞こえるのは、この言葉の扱いが途切れないからです。

強い高音を支えるのは、すべてを強くしない判断

TERUさんの歌声を表面だけ真似すると、高音の直前から音量を上げたくなります。
ところが、地声の厚みを最後まで保とうとすると、首や顎まで固まり、語尾を抜く余裕がなくなります。

本人が一曲の中で地声、裏声、ミックスを選び分けるのは、弱さを隠すためではありません。
強い場所を本当に強く聞かせるために、別の場所では声の厚みや息の量を変えているのです。

「Winter,again」のようなスケールの大きい曲と、「さよならはやさしく」のように近い距離で言葉を渡す曲では、必要な声の圧力が違います。
それでもGLAYの歌に聞こえるのは、音量ではなく、言葉へ向かう勢いと語尾の余白が共通しているからでしょう。

ミックスボイスと裏声の違いを整理すると、軽くすることがそのまま弱くなることではないと分かります。
高音で声の経路を変えても、言葉の芯まで消さなければロックの強さは残せます。

現在のTERUは、喉ではなく「身体全体で鳴る」と語る

近年のTERUさんは、歌声が身体全体で鳴るようになり、以前より喉への負担が少なくなったと説明しています。
二日間の公演でも喉が崩れにくく、呼吸するように自然に歌える感覚があるとも話しました。

現在のTERU

転機の一つは、コロナ禍でも歌うこととトレーニングを止めなかった三年間です。
筋肉を大きくするための重い運動より、柔軟性を保つ自重トレーニングや軽い負荷を選び、身体の状態を歌へつなげてきました。

ここでいう「身体全体で鳴る」は、胸や頭のどこか一か所へ声を当てる魔法の感覚ではありません。
喉だけが働きすぎないよう、呼吸、姿勢、身体の柔らかさを含めて歌える状態になった、という本人の実感として受け取るのが自然です。

この変化は、単に昔より楽になったという話で終わりません。
TAKUROさんは近年、TERUさんの倍音や声の伸びが良くなったため、長い音を生かす言葉やメロディーを書けるようになったと語っています。

歌手が曲に合わせて発声を変えるだけでなく、歌手の変化が作曲家の書き方まで変えたのです。
長く歌い続けられる声は、GLAYの新しい曲そのものを生み出しています。

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真似するなら、かすれ声ではなく「選択」を真似する

TERUさんへ近づこうとして、喉をこすって声を枯らすのは避けるべきです。
ハスキーな音色は目立ちますが、痛みや強いかすれを作ることは発声技術ではありません。

参考にしやすいのは、同じ強さを最後まで保たない考え方です。
高音で地声の厚みを少し手放す、長い語尾の終わりだけ力を抜く、静かな言葉では声量より輪郭を残すという判断なら、自分の声の範囲でも試せます。

高音の張り上げを直す考え方を知ると、ロックらしさと喉の力みを同じものにしなくてよいと分かります。
また、氷室京介さんの歌い方と比べると、同じく語尾に個性のあるロックボーカルでも、言葉を前へ投げる方法の違いが見えてきます。

声の種類を当てることより、なぜその場面で声を変えたのかを見る。
その視点を持つと、TERUさんの高音は「地声でどこまで出るか」という競技ではなく、曲を最後までTERUの歌として届ける設計に見えてきます。

TERUの高音は、一種類の強い声では完成しない

TERUさんは、地声のように太く聞こえる高音を持っています。
同時に、本人が地声、裏声、ミックスボイスを候補として選び、現在は身体全体で自然に鳴る感覚を語る歌手でもあります。

変わらないのは特定の声区ではありません。
ハスキーな輪郭、言葉へ入る勢い、語尾をほどく余白が残るため、声の厚みを変えてもTERUさんに聞こえます。

強い高音の裏にあるのは、すべてを強くする力ではなく、曲ごとに声を選び直せる自由です。
その自由こそが、GLAYの大きな楽曲を長く歌い続けるための発声を作っています。

TERUさんの歌声の変遷では、ドラム担当からボーカルになった初期、全盛期の張り、禁煙、コロナ禍の継続トレーニング、現在の声が作曲まで変えた過程を年代順に追っています。

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