忌野清志郎さんの声は、少し聴いただけで本人だと分かります。
高く、ざらつき、鼻にかかったようにも聞こえるため、「特殊な声質で押し切る歌手」と思われがちです。
けれど、あの歌の本当の強さは声の奇抜さだけではありません。
小さな会場でも大きなステージでも、日本語が会話のようにこちらへ飛んでくることにあります。
しかも、その明瞭さは天性の勢い任せではありませんでした。
自分の声に自信がなかった若い清志郎さんが、口の開け方や舌の形を五十音ごとに研究したという逸話が残っています。
爆発的なロックスターの声が、実は地味で細かな観察から作られた。この逆説を知ると、派手なメイクや独特の節回しまで違って見えてきます。
「生まれつき変な声」で説明すると大事な部分を見失う
RCサクセションは、世間からフォークグループに見られていた初期から、ビートを強く意識していました。
公式年表にも、フォーク・トリオの形でありながら演奏のビート感と圧倒的なボーカルが他のバンドと明らかに違っていた、と記されています。
当時を知る制作関係者も、清志郎さんの声だけでなく、ギターの歯切れやリズムの良さを一緒に挙げています。
ここが重要です。
変わった声色だけなら一曲で驚きは薄れますが、リズムに乗った言葉は何度でも身体へ入ってきます。
実際、1970年代末に初めてライブを見たレコード会社の担当者は、日本語の歌にそれまで感じていた違和感が消え、歌詞の情景がまっすぐ頭に入ったと振り返っています。
声が高いからでも、音量が大きいからでもありません。
何を歌っているのかが、演奏と同時に届いたから衝撃を受けたのです。
清志郎さんを参考にするとき、最初に注目したいのは「鼻声」や「しゃがれ」ではなく、言葉と拍が離れていないことです。
奇声に聞こえる一瞬さえ、曲の流れから勝手にはみ出しているわけではありません。
声に自信がなかったから、五十音を調べた
後年の姿からは想像しにくいものの、清志郎さんは自分の声にコンプレックスを抱いていたと伝えられています。
そこで、録音した歌を聴き、ある音は口の開きが小さい、別の音は舌の形を変えた方が明瞭になる、と日本語の一音ずつを研究しました。
これは「腹から出せば通る」という大ざっぱな話と正反対です。
同じ高さでも、「あ」と「い」では口の中の形が変わります。
歌詞になれば子音が加わり、直前と直後の音にも影響されます。
清志郎さんは、聞き取りにくさを声量で塗りつぶすのではなく、音そのものの作り方へ戻ったのでしょう。

だから、ステージで身体を大きく動かし、声を荒らしても、歌詞の輪郭が消えにくい。
派手な表現の下に、発音を細かく点検した土台があるからです。
高音の発声を解説する記事では、響きを鼻の奥へ集めていた、口の中に広い空間を作っていた、地声にざらつきを加えていた、など複数の説明があります。
ただし、映像だけから喉の内部を断定することはできません。
共通して確認できるのは、単に喉を締めて叫ぶのではなく、言葉が聞こえる形を崩さずに強い表情を重ねていたことです。
高音で母音ごとに苦しさが変わる人は、高音で母音を調整する考え方もあわせて読むと、この地道な研究が特別な人だけの話ではないと分かります。
「あ゛ー」と「ベイベー」は飾りではなく、会話の続きだった
清志郎さんの物まねでは、声を鼻にかけ、語尾を揺らし、「ベイベー」と言えばそれらしくなります。
ところが、それだけでは歌の切実さが抜け落ちます。
ステージ上の呼びかけは、曲の外から貼り付けた決めぜりふではありません。
客席へ話しかけ、その返事を待ち、バンドの音へ戻る一連の会話として働いています。
歌う声としゃべる声の間を完全に切らないため、歌詞が突然「作品の文章」になるのではなく、目の前の相手へ言っている言葉として残ります。
音響分析の一つには、清志郎さんの声の立ち上がりは、音量・音程・響きの特徴が同時に鋭く立つというより、少し時間をかけて形になる傾向があるという見方もあります。
これは、ただ強く音を当てる歌唱とは違う理由を考える手がかりになります。
言葉が生まれ、その途中で音が熱を持ち、最後に清志郎さんの声になるような印象です。
もちろん、すべての音が同じ出し方ではありません。
曲、音域、音量、時期によって地声寄りの響きも軽い響きも使われます。
「清志郎の高音は全部この発声」と一語で決めるより、言葉がどう立ち上がるかを見る方が、歌の個性へ近づけます。
スローバラードでは、声を荒らさなくても逃げ場がない
「スローバラード」は、派手なシャウトだけが清志郎さんの武器ではないと分かる代表曲です。
1976年の発売時には売れず、アルバム『シングル・マン』も早く廃盤になりました。
しかし後年まで重要なレパートリーとして歌われ、作品そのものも再評価されました。
この時期の録音は、仕事も制作の自由も乏しい状況で、事務所に秘密で進められたとされています。
追い詰められた背景を知ると切迫感に納得できますが、歌が残った理由を不幸な逸話だけに求めるべきではありません。
小さな場面を、誰かに話すような日本語で置いていくから、聴き手が自分の記憶を重ねられます。
「雨あがりの夜空に」では、その言葉がバンド全体を動かす号令に変わります。
一方、「スローバラード」では、声を荒らす量が少なくても一語ずつが逃げません。
二曲を比べると、ざらついた高音が本体なのではなく、言葉を相手へ渡す力が本体だと見えてきます。
派手な姿と、寡黙な本人の落差が歌を大きくした
1980年代の清志郎さんは、逆立てた髪、鮮やかな衣装、化粧、跳ね回るステージでロックスターの像を完成させました。
ところが、舞台を降りると物静かで、取材では仲井戸麗市さんが言葉を補うこともあったという証言があります。
この落差は、二つの人格を演じていたという意味ではないでしょう。
普段の会話ではのみ込みがちなことを、歌なら誇張し、笑いに変え、客席へ渡せたと考える方が自然です。

メイクも、最初から完成したブランド戦略ではありませんでした。
本人は冗談半分で始め、周囲から不評でも続けるうちに髪型までエスカレートしたと回想しています。
目立つための外見と、言葉を届かせる発声が結びついたとき、静かな一人の青年は大人数の会場を巻き込む「KING OF LIVE」になりました。
似たように、叫ぶような外見と明瞭な言葉を両立した歌手については、甲本ヒロトさんの歌い方や宮本浩次さんの発声も比較になります。
ただし三人は、声質もリズムも言葉の置き方も別物です。
表面の激しさだけで一括りにしない方が、それぞれの面白さがよく分かります。
まねるなら、かすれ声ではなく「相手」をまねる
清志郎さんらしさを出そうとして、最初から喉をこすり、強い鼻声で高音を押すのはおすすめできません。
ざらつきは聞き取りやすい記号ですが、本人が長年かけて作った声と身体の使い方を外側から再現することはできないからです。
参考にできるのは、歌詞を匿名の文章にしない姿勢です。
誰に言っているのか、どの言葉を渡したいのかが曖昧なまま声量だけを上げると、歌は大きくても遠く聞こえます。
反対に、相手を一人決めると、子音の置き方や語尾の長さを考える理由が生まれます。
これは定型的な発声練習ではありません。
「ぼくの好きな先生」「スローバラード」「雨あがりの夜空に」の三曲で、語りかける距離がどう違うかを確かめる聴き方です。
幼い回想、二人だけの場面、大勢への呼びかけ。同じ声なのに相手との距離が変わることへ注目すると、独特な声色より先に歌の設計が見えてきます。
忌野清志郎の声は、奇抜さを支えた几帳面さまで聴くと面白い
忌野清志郎さんの歌い方は、「鼻にかかった高い声」「しゃがれたシャウト」「派手な節回し」だけでは説明できません。
自分の声への不安から日本語を一音ずつ調べ、リズムに乗せ、客席との会話へ変えた積み重ねがありました。
だから、静かなバラードでも、巨大な会場のロックンロールでも、言葉が行方不明になりません。
奇抜に見える部分ほど、実は細かな準備に支えられている。その構造こそ、清志郎さんの声が時代を越えて本人のものだと分かる理由です。
アコースティック編成からRCの絶頂期、別名義、復活公演まで歌の役割がどう動いたかは、忌野清志郎さんの歌唱変遷で年代順にたどれます。






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