2015年、プリンスは次の公演をピアノとマイクだけで行うと取材陣に話しました。すでに何十年もピアノで歌ってきた人です。それでも本人は、バンドを外すことを「自分への挑戦」と考えていました。演奏前に曲順を決めず、その場のテンポや調を手がかりに次の曲を選びたいというのです。
ピアノ一台なら、若い頃の歌へ戻るだけではないのか。1982年に発表した「How Come U Don’t Call Me Anymore」を、彼は2016年のステージでも歌っています。同じ曲と楽器が三十年以上残った一方で、録音の中の恋の問いかけは、バンドや客席を巻き込める歌になりました。その道筋をたどると、プリンスが変えたかったものが声の高さだけではないと分かります。
1979年――高い声で、まず一人の歌手を印象づける
初期のマネージャー、オーウェン・ハスニーは、本人に会う前に聴いたデモを後年振り返りました。楽器も声も一人で重ねた録音に驚き、とりわけ高いファルセットからは無防備な気持ちが伝わってきた、といいます。一人で何でも作れる才能と、どこか頼りなさを感じさせる声が、同じテープに入っていたのです。
1983年の取材でプリンスは、初期には低い声で歌うと声が痛み、望むように曲を盛り上げられなかったため、高い声で歌っていたと振り返りました。ファルセットは、彼にとって無理に絞り出す声ではなかったのです。
1979年の「I Wanna Be Your Lover」は、その高い声を広く知らしめました。プリンスはレコードの中で一人で多くの役割を担っていましたが、歌う相手は明確です。恋人になりたいという言葉を高い声に乗せる。後年の多彩な声色を知ってから振り返ると、この早い時期から、声は単なる音域の見せ場ではなく、歌の人物が相手へ近づく方法でした。
1982年――「1999」の裏側に置いた、電話を待つ歌
大勢で踊る曲「1999」のシングル盤には、思いがけない裏面があります。プリンスは、電話をくれない相手を思う「How Come U Don’t Call Me Anymore」を、同じ1982年にB面として発表しました。表の曲の大きなリズムに対し、こちらはピアノを中心に、相手からの返事を待つ小さな世界です。
高い声で歌う初期録音は、あのファルセットを別の感情へ向けています。1979年には恋人になりたいと前へ出ていた声が、ここでは連絡の途絶えた相手を呼ぶ。録音にほかの人の返答はありません。プリンスがすでに持っていた高い声のまま、歌が置かれた状況を変えたのです。
これは後年のピアノ公演と、楽器の数だけを比べて「原点回帰」と呼べる歌ではありません。B面の録音とライブでは、相手がいない歌を誰に向けて歌うかが違ってきます。
1983年――一人のピアノで、曲をつなぎながら試す
翌1983年、プリンスは自宅のピアノに向かい、いくつもの曲を即興的につないで歌いました。録音は長く保管され、2018年に『Piano & A Microphone 1983』として世に出ます。「Purple Rain」のように、まだ発表前だった曲もそこにあります。
収録曲の「A Case of You」はジョニ・ミッチェルの歌です。後にプリンスはこの曲を、2016年の最後のピアノ公演でも取り上げました。一人で曲を試した1983年のテープと、多くの人の前で曲をつなぐ2016年の舞台には、同じ歌が通っています。
ただし、1983年の録音は私的なリハーサルで、2016年は観客のいる公演です。前者の歌い方がそのまま三十年以上続いた、と言うための資料ではありません。プリンスにとってピアノは、晩年になって初めて選んだ簡素な伴奏ではなく、ずっと曲を試し、つなぎ直せる場所だったと分かります。
1985年――B面の歌が、大きな会場の持ち曲になる
「How Come U Don’t Call Me Anymore」は、レコードの裏面だけに残りませんでした。1985年3月30日、シラキュースの大きな会場で行われたThe Revolutionとの公演にも、演目として入っています。のちに公式ライブ盤と映像作品になったこの夜には、代表曲と並んで1982年のB面曲がありました。
若い頃から観客へ届けていた曲なのです。だから、後年のライブで突然「内向的な歌」が「客席へ開いた歌」に変わったと考えるのも正確ではありません。同じ曲を大きなバンドの舞台にも置き、さらに別の演奏へ作り変えていった。その連続の中に、次の変化があります。

その間も、プリンスが録音で声を作り替える試みをやめたわけではありません。1987年の「If I Was Your Girlfriend」では、録音した声を速く再生して高さと質感を変え、カミールと呼ばれる声を作品に使いました。エンジニアのスーザン・ロジャースが説明しているのは、喉だけで出した高音とは別の、録音工程で生まれる声です。
同じ歌手が、スタジオでは声を変えて別の人物を作り、ステージでは昔の曲を別の編成へ運ぶ。後のピアノ公演は、録音上の工夫を捨てて「本来の声」だけになった結果ではありません。
2002年――同じ曲が、バンドと客席で先へ進む
2002年の『One Nite Alone… Live!』でも、「How Come U Don’t Call Me Anymore」が歌われました。プリンスとNew Power Generationのツアーを記録した公式ライブ盤です。1982年のB面を知っていても、この公演を当時評した人は、ピアノから始まる歌にバンドが加わり、後半にはゴスペルを思わせる節回しへ移って、プリンスが客席へ言葉を投げる展開を記録しています。
相手の電話を待つ歌詞は変わらなくても、舞台の後半には、いま目の前にいる人へ応じる時間ができます。プリンスは曲をそのまま再生する役ではなく、演奏者や観客の反応を受け、歌の長さや進み方を決める人になっていました。ここで比べられるのは「1982年より2002年の声が強いか」ではなく、曲の行き先をその場で変えられるかです。
「Kiss」の一曲の中で高い声と低い声をどう使い分けるかは、プリンスの歌い方で扱っています。ここでは、同じ曲が年月を経て舞台でどのように開かれていったかを見ています。

2016年――バンドを外したのは、歌を小さくするためではない
2015年の取材でプリンスは、ピアノだけの公演を自分への挑戦だと説明しました。バンドの決まった流れに頼らず、テンポや調から次の曲を決める。その場で選べる自由と、歌と演奏を一人で引き受ける難しさの両方を求めていたのです。
翌2016年4月のアトランタ公演を見たCNNのリサ・コックスは、ピアノの前で曲をメドレーにつなぎ、演奏しながら社会の話や人間関係の話を客席へ向けていたと証言しています。彼女が見た後半の演目には、「How Come U Don’t Call Me Anymore」と「If I Was Your Girlfriend」も含まれていました。1982年のピアノ曲と、1987年に録音で声を変えた曲が、同じ夜に一人のピアノから続いていきます。
その公演そのものの音源とは別に、2016年3月4日のオークランド公演で歌った「How Come U Don’t Call Me Anymore」が、2026年の公式アルバム『Timeless』に収められました。制作側のチャールズ・スパイサーは、そこに聴衆の歌声と終演時の拍手が残っていることを、この録音を締めくくりに選んだ理由として語っています。最終公演とオークランドの録音は別の日ですが、両方が同じ年のピアノ公演を伝えています。
1982年のシングルB面では、歌の中の相手から返事はありませんでした。1985年には大きな会場で歌われ、2002年にはバンドと客席が歌の展開に入り、2016年の録音には聴衆の声が残りました。ピアノ一台に戻っても、若い日の録音と同じ場所に戻ったわけではないのです。
プリンスの変遷は、高い声を失って別の声になったという話ではありません。ピアノ、録音、バンド、そして客席のどれを歌の相手にするかを変え、昔の曲に次の行き先を与えた歩みです。最後のピアノ公演で彼が選んだのは、音を減らして完成形に戻ることではなく、曲順さえ決めずに歌をもう一度動かすことでした。

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