マイケル・ジャクソンの歌声の変遷|「あなたのように歌いたい」と頼んだ理由

1992年、ブカレスト公演でのマイケル・ジャクソン シンガー
Salabasev / CC BY-SA 4.0

『Bad』を作っていたころ、マイケル・ジャクソンは「Man in the Mirror」を書いたシーダ・ギャレットの後を追い、ビデオカメラを持って録音室へ入りました。
なぜ撮るのかと尋ねられると、彼女のように歌いたいからだと答えたそうです。

子供のころから歌で大人を驚かせ、自分でも曲を書き、すでに世界的なスターになっていた人が、別の歌手の声を手本にしようとする。
なぜ、そこまでする必要があったのでしょう。
少年期のリード歌唱から、感情があふれたソロ録音、作家の声を受け取った歌、妹ジャネットとの掛け合いまでをたどると、マイケルにとって「自分の声で歌う」ことの意味が少しずつ広がっていきます。

1969年|人の失恋歌を、自分のリードで歌う

The Jackson 5の「Who’s Lovin’ You」は、スモーキー・ロビンソンが書き、自分たちのグループ、ミラクルズでも歌っていた曲です。
恋人を失った人の後悔を描く歌を、少年マイケルがリードで歌いました。
1969年12月には『エド・サリヴァン・ショー』でも披露しています。

モータウンのベリー・ゴーディは、マイケルを熱心に学ぶ子供だったと振り返ります。
スモーキーは、大人の恋を描く曲を少年がここまで歌えることに驚き、後年には自分が歌うと、若い人から「マイケルの曲」を歌っていると思われることもありました。

この話は、少年が歌詞の恋愛を実際に経験していた証拠ではありません。
先に歌っていた人の曲を引き受け、聴き手に彼の歌として覚えられるほどにした。
まだグループの少年リード歌手だったころから、誰かが書いた歌を自分の声にする仕事をしていたのです。

1974年のThe Jackson 5。中央がマイケル・ジャクソン
1974年のThe Jackson 5。
中央がマイケル・ジャクソン。
写真:The Jackson 5 / Public domain(米国)

1979年|踊る歌の隣で、バラードの録音に涙する

ソロアルバム『Off the Wall』には、自分で書いたダンス曲「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」と、クインシー・ジョーンズから渡されたバラード「She’s Out of My Life」が並びます。
クインシーは後者を、もともとフランク・シナトラのために取っておいたそうです。
「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」のような曲では、マイケルに低い声も試すよう促したと振り返っています。
踊れる曲で声の高低を探る一方、バラードには別の難しさが待っていました。

「She’s Out of My Life」を録ると、マイケルは歌うたびに泣いてしまったとクインシーは語ります。
少年時代には大人の失恋を聴き手へ届けた人が、成人後の録音では自分も涙していました。
その理由を私生活の失恋と決めつけることはできません。
ただ、このアルバムには、声の高低を探ったダンス曲と、歌うたびに涙したバラードが並んでいます。

1982~1987年|自分で曲を書けても、作者の声を聴きに行く

『Thriller』(1982年)の「Billie Jean」はマイケル自身が書いた曲です。
録音技師ブルース・スウェディーンによれば、デモの曲作りは完成形にかなり近いものでした。
完成版のリード歌唱でも、一部だけを後から録り直してつなぐ作業はほとんどなかったそうです。
このころのマイケルは、人から歌を渡されるだけでなく、自分の構想を持って録音に臨んでいました。

だからこそ、1987年の「Man in the Mirror」で、彼がシーダの歌を撮った場面は印象に残ります。
シーダによると、この時点の『Bad』では、マイケル以外が書いた曲をまだ録っていませんでした。
彼女とグレン・バラードが書いた曲をマイケルは気に入り、曲の一部を延ばして、さらに歌詞を加えてほしいと頼みます。
さらに、デモより低いキーで彼女が歌い直すと、その姿を撮って「あなたのように歌いたい」と伝えました。

その注文は、作者へ丸ごと任せるというものではありませんでした。
シーダが受けた電話では、最初はクインシーがマイケルの希望を伝えていたものの、途中からマイケル自身が話し、追加する数小節で何を言いたいかを説明しています。
歌う前に、曲のどこを広げ、どんな言葉を自分の声にするかを、作者と確かめていたのです。

シーダはその日のうちに八つの案を書き、彼が選べるようにしました。
二日後に作業へ戻ったとき、マイケルはその中から一つを選んだといいます。
気に入ったデモを忠実に歌うだけでも、全部を自分で書き換えるのでもなく、作者に言葉を求めながら、自分が届けたい形へ近づけていきました。
録音室で彼女の歌を撮ったのも、そうしたやり取りの中の一場面です。

自分で歌を作れることと、渡された歌の作者に学ぶことは、彼の中で対立していませんでした。
少年時代にはスモーキーの歌を自分のものにしたマイケルが、今度はシーダの声から、この曲をどう届けるか探していたのです。
完成した「Man in the Mirror」にはゴスペルの合唱も加わり、一人の声から大勢の声へ歌が広がっていきます。

数日後、シーダが再び録音室へ呼ばれると、二本のマイクがありました。
「I Just Can’t Stop Loving You」を、マイケルと二人で歌うためです。
作家の歌を聴くだけで終わらず、同じアルバムの中で、彼女と一曲の主役を分け合うことになりました。

シーダは初め、合唱を録った「Man in the Mirror」の続きだと思って来ていました。
別の曲が流れていたため待っていると、クインシーに歌ってみるよう促され、マイケルも一緒に録音室へ入ってきます。
譜面には一番がマイケル、二番がシーダと書かれていました。
彼女の仮歌を手本にした関係から、実際にパートを分けて歌う関係へ変わったことが、マイクと譜面で初めて分かったのです。

1995年|共演者の歌を受けて、もう一度歌う

『HIStory』の新曲「Scream」では、マイケルは妹ジャネットと歌います。
制作したジミー・ジャムによると、ジャネットは別の場所で自分のパートを録りました。
その歌に刺激を受けたマイケルは、彼女のいる場所へ行き、自分の歌を録り直したそうです。

1987年には、曲を書いたシーダの声を撮り、自分が歌うための手がかりにしました。
今度は、共演するジャネットの声が、すでに録った自分の歌を変えるきっかけになっています。
一人の歌を仕上げてから相手に重ねてもらうだけでなく、相手が歌った後の自分の番も考え直していたのです。

ただし、二人が歌うからといって、曲の中での立場まで同じとは限りません。
ジャムは後年、ジャネットはこの曲を兄の作品への客演と受け止めており、歌詞の方向もキーもマイケル寄りだったと振り返っています。
マイケルの作品として進めながら、妹の歌を聴いて自分のテイクを選び直す。
作品の中心にいることと、相手から刺激を受けることは、同じ録音の中で起きていました。

同じ『HIStory』の「Earth Song」でも大勢の声が加わりますが、歌の出発点は違います。
「Man in the Mirror」ではシーダが書いた問いを引き受けました。
「Earth Song」はマイケルが書き、自然破壊や戦争を問い、終盤には合唱が応じます。
今度は自分の問いに大勢の声を迎えたのです。

1992年、モンツァ公演でのマイケル・ジャクソン
1992年、モンツァ公演でのマイケル・ジャクソン。
写真:Daniele Dalledonne / CC BY-SA 2.0

短い掛け声や息、踊る身体まで録音へ取り込んだ方法は、マイケル・ジャクソンの歌い方で詳しく扱っています。

「自分の声」は、一人で完成させるものではなかった

「Who’s Lovin’ You」で人の曲を自分のものにした少年は、ソロになって自作曲と託された曲の両方を歌いました。
それでも「Man in the Mirror」では作者シーダの声を聴こうとし、「Scream」ではジャネットの歌を受けて自分の歌を録り直しています。
合唱とともに問いを届ける曲も、彼の作品に加わりました。

シーダに「あなたのように歌いたい」と頼んだのは、自分の声を持っていなかったからではありません。
自分の名で歌う曲でも、作者や共演者の声に耳を傾け、その曲に必要な表現を探す人だったからです。
リードを一人で担う歌から、相手の歌によって自分のパートを変える歌へ。
マイケルは主役であり続けながら、その声の使い方を人との関係の中で広げていきました。

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