バリー・ギブ(Bee Gees)の歌声の変遷|「Words」から裏声の時代へ、そして再び「Words」へ

2017年、グラストンベリーで歌うバリー・ギブ シンガー
Raph_PH / CC BY 2.0

ビージーズの「Words」は、バリー・ギブの声を長い時間を隔てて聴ける曲です。
1968年には若いバリーが歌い、2021年のアルバム『Greenfields』ではドリー・パートンとのデュエットになりました。

その間には、「You Should Be Dancing」や「Stayin’ Alive」で、高い裏声が世界中に広まった時代があります。
けれど、バリーは後年のソロ作で、主旋律を裏声で通す歌い方を控えたとも話しています。

高い声を見つけ、それを主役にし、やがて使う場所を選ぶようになる。
そして、昔の歌へ新しい相手と戻ってくる。
「Words」の二つの時代を結びながら、バリーが声の使い方をどう変えたのかをたどります。

1968年、「Words」で聞こえる柔らかな声

「Words」でのバリーは、甘く、息の混じる柔らかな声を使っています。
大きなディスコの成功より前から、歌で親密な気持ちを伝える人だったことが分かる曲です。

1968年3月17日、ビージーズはアメリカの『エド・サリヴァン・ショー』で「Words」と「To Love Somebody」を歌いました。
当時の「Words」は、後年のデュエットと比べると、まずバリー本人の歌へ耳が向く歌唱です。

この曲には、のちの高い裏声で歌い通すダンス曲とは違う、恋の言葉を一人で届ける場面があります。
同じ人が歌っていると知っていても、「Stayin’ Alive」の印象から戻ると、声の使い方の幅に気づけるでしょう。

この親密な歌い方は、のちのディスコの成功を経ても、バリーにとって大切な表現であり続けます。
「Words」は、何十年も後にもう一度歌いたくなるほど、彼の音楽に残る曲になりました。

1973年、テレビ番組「TopPop」でのバリー・ギブ
1973年、テレビ番組「TopPop」でのバリー・ギブ。写真:AVRO / CC BY-SA 3.0 nl

1975年、少し足すはずの高音が、次の歌を変えた

裏声の転機としてバリーが挙げているのは、1975年の「Nights on Broadway」の録音です。
プロデューサーのアリフ・マーディンが高い声を求め、バリーが試したところ、思いがけず使える声が出てきました。
本人は、高く叫ぶような声を出せることに加えて、その声で一曲を歌えると分かった、と振り返っています。

録音中の一つの要求に応えたことで、次の曲でも使える歌い方が見つかったのです。

マーディンも当時の録音を振り返り、高い音を求めると、バリーが柔らかい声で歌う方法を選び、周りがそれを気に入ったと話しています。
高く歌う要求に対して、ただ力を強くする以外の答えが出てきた、と捉えると、この変化が分かりやすくなります。

やがて、その声は「You Should Be Dancing」や「Stayin’ Alive」の主役になっていきました。
一部分を目立たせる高音から、曲全体の印象を決める声へ。バリーの裏声は、役割を大きく広げたのです。

1970年代後半、裏声を重ねて音楽全体を作る

高い声が看板になると、録音でも、その声の可能性をさらに試すようになります。
1978年の「Too Much Heaven」は、ゆったりしたバラードを、何層もの歌声で包んだ曲です。

制作した人たちは、バリーの声を高低の音域で何度も重ね、その上で兄弟三人の歌も加えました。
伸びやかな主旋律の周りに、同じ歌手が録った別の声がある。
一人の声の美しさを、そのまま大きな合唱のような響きへ広げていたのです。

この時期のバリーは、高い音を長く歌うだけでなく、声を伴奏の一部にも使っていました。
「You Should Be Dancing」で楽器のフレーズに歌を重ねた工夫や、複数の声の合わせ方は、バリー・ギブの歌い方で詳しく扱っています。

1968年の「Words」で前に出ていた一人の歌と比べると、声を録音の中へ配置する方法が増えています。
歌手としての変化と、録音で曲を作る人としての変化が、一緒に進んだ時代でした。

2010年代、自分の曲を選び、裏声の使い方も選ぶ

バリーは2003年にモーリスを、2012年にロビンを亡くしました。
長く三人で歌ってきた曲を、その後は自分がステージで歌っていくことになります。

兄弟と一緒だった舞台からソロの舞台へ移るとき、バリーは、兄弟をたたえつつ、自分が歌ってきた曲を歌いたいと話していました。
ロビンが主に歌った曲まで全部引き受けるのではなく、自分の声で担ってきた歌を大切にする。
一人で前に立つためには、そうした曲の選び方も必要だったのでしょう。

2016年の『In the Now』では、バリーは息子のスティーヴン、アシュリーと曲を書きました。
兄弟と音楽を作っていたときのように、家族が互いの案について意見を言い合う制作だったと振り返っています。

歌い方について本人が説明したのは、主旋律を裏声で通して歌わなかったことです。
曲の途中では裏声を使いながらも、それを全面に出す作り方は選びませんでした。
このアルバムの曲は、バリー自身の目から見た人生の話だったのです。

自分の好きな音楽や、家族との時間を歌う作品で、裏声は要所に使う表現になりました。
曲の大半をあの高い響きで押し通す方法から、必要なところで響きを変える方法へ。
かつての代表曲と違う歌い方も、自分の作品の中心に置いたのです。

2014年、Mythologyツアーのハリウッド・ボウル公演
2014年、Mythologyツアーのハリウッド・ボウル公演。写真:Louise Palanker from Los Angeles/Santa Barbara, USA / CC BY-SA 2.0

2021年、「Words」をドリー・パートンと歌い直す

2021年の『Greenfields』では、ビージーズ時代などの曲を、カントリーやアメリカーナの歌手たちと歌い直しました。
バリーは子どもの頃からカントリーにも親しんでおり、息子に聴かせてもらったクリス・ステイプルトンの音楽をきっかけに、プロデューサーのデイヴ・コブと制作することになります。
アルバムの録音は、2019年にナッシュビルで行われました。

意外なのは、数々の歌手と仕事をしてきたバリー自身が、この録音では緊張していたことです。
彼は制作の指揮をコブに任せ、共演する歌手たちの中へ加わりました。
自分の有名な曲を歌う場でも、すべてを自分で決めて進める立場ではなかったのです。

ドリー・パートンと組んだのが「Words」でした。
1968年のテレビ歌唱から半世紀以上を経て、同じ曲が、二人の声を聴く歌になります。

ドリーの声には、バリーとは違う、カントリーの歌手としての節回しがあります。
ピアノやペダル・スティールを含む伴奏の中で、昔からの恋の歌に、別の人の歌い方が入ってくる。
若いバリーが一人で届けていた曲を、今度は共演相手の声と一緒に楽しめます。

1968年の映像はテレビ出演、こちらはアルバムのための録音です。
その条件の違いを踏まえると、同じ曲だからこそ、声の若さを比べる以外の変化も見つけられます。
長く歌ってきた曲を、自分と違う声の人にも歌ってもらい、一緒に仕上げる歌になったのです。

高い声を見つけた後も、歌い方を選び直してきた

「Words」の柔らかな歌、ダンス曲を引っ張る高音、何度も重ねて作る和音、そして新しい相手とのデュエットへと、声の使い方が増えてきました。

2016年には裏声を主旋律の中心から少し離し、2021年には昔の曲を他の歌手と分け合う。
有名になった歌い方を持ちながら、その時々の曲や共演相手に合わせて、自分の役割を選び直しているのです。

二つの時代の「Words」を聴くと、一人で恋の言葉を届ける若い歌手と、その曲へ別の歌手を迎えるバリーに出会えます。
その間に、あの裏声で歌った数々の曲がある。
最初のバラードへ戻ることも、長い活動の先でできた、新しい歌い方なのでしょう。

今入れる? 近くで入りやすい飲食店がわかる混雑予報マップ

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました