バリー・ギブ(Bee Gees)の歌声はどう変わった?「Words」から裏声、再録へ

2017年、グラストンベリーで歌うバリー・ギブ シンガー
Raph_PH / CC BY 2.0

ビージーズのバリー・ギブが2016年のソロ作『In the Now』を作ったとき、あれほど有名になった裏声を主旋律には使いませんでした。
本人は「裏声を減らすことを意識したのか」と尋ねられると、考えていなかったと答えています。
曲の途中では使っても、歌を最初から最後まで高い声に任せる必要はなかったのです。

けれど、その声は1970年代にバリー自身も思いがけず見つけたものでした。
1968年に歌った「Words」、裏声が曲を引っ張るようになった時代、そして2021年にドリー・パートンと歌い直した「Words」。
同じ歌手の声が何を担ってきたかをたどると、裏声をやめたかどうかより面白い変化が見えてきます。

1968年|「Words」は、高い裏声の前から歌われていた

バリーが「Words」を歌ったのは、ディスコの大ヒットよりずっと前です。
1968年3月17日、ビージーズは米国のテレビ番組『エド・サリヴァン・ショー』に出演し、この曲と「To Love Somebody」を披露しました。
歌の中心にいるのは、後に裏声で広く知られるバリーです。

「Words」は、誰かへ気持ちを伝えたいという曲でした。
派手な高音の代名詞ができる前にも、彼は主旋律を任され、ビージーズの歌を届けていました。
この曲が後年の再録で選ばれたことを考えると、バリーの歩みは裏声を見つけた日から始まったわけではありません。

1973年、テレビ番組「TopPop」でのバリー・ギブ
1973年、テレビ番組「TopPop」でのバリー・ギブ。
写真:AVRO / CC BY-SA 3.0 nl

1975年|一曲の高い声が、次の曲の歌い方になった

転機は1975年のアルバム『Main Course』を作っていたときに訪れます。
「Nights on Broadway」の録音中、プロデューサーのアリフ・マーディンが高い声を求め、バリーが応じました。
後にバリーは、そこで高く声を出せると知っただけでなく、その声で歌そのものを歌えると気づいた、と振り返っています。

「Nights on Broadway」の時点では、裏声は曲に加わる新しい部分でした。
その発見を、次の曲でどう使うかが重要になります。
バリーたちは新しいリズムや録音の方法を試し、「You Should Be Dancing」では高い声を曲の勢いに結びつけました。
『Saturday Night Fever』に収められた1977年の「Stayin’ Alive」では、その声が曲の中心を担います。

以前の「Words」を知らない人には、この高い声こそバリーの普段の声に思えるかもしれません。
実際には、主旋律に加えられる新しい選択肢が、短い間にグループを象徴する歌い方になったのです。

1978年|裏声は主役だけでなく、重ねる声にもなる

高い声の仕事は、ダンス曲を引っ張ることだけではありませんでした。
1978年に発表された「Too Much Heaven」では、バリーの歌を何度も録り重ね、さらに兄弟の声を合わせています。
一人の高音が前へ出る曲とは違い、複数の声が重なってバラード全体を作る方法です。

バリーは裏声を、歌詞を歌う主役にも、和音を厚くする一部にも使いました。
「You Should Be Dancing」で楽器のフレーズに声を重ねたことや、声を編曲に生かす方法は、バリー・ギブの歌い方で詳しく扱っています。
ここで大事なのは、一つの高い声が、曲によって違う役割を持ち始めたことです。

重ね録りが豊かになっても、兄弟がその場で声を合わせる方法は続いていました。
1980年代末から制作に加わったジョン・マーチャントは、三人が一つのマイクを囲み、ハーモニーを一緒に決めていたと説明しています。
その方法では、一人の声だけを後から大きくしたり、音程を直したりすることは難しい。
バリーが高い声を使う時も、周りの声との釣り合いまで、歌う段階で整える必要がありました。

2016年|「自分の話」を歌うとき、裏声を主旋律にしなかった

2003年にモーリス、2012年にロビンが亡くなり、バリーは兄弟と歌ってきた曲を一人でも歌うようになりました。
2016年の『In the Now』は、息子のスティーヴン、アシュリーと書いた新しいソロアルバムです。
兄弟から息子たちへ共同制作の相手は変わりましたが、家族の中で意見を交わしながら曲を作る方法は続いていました。

息子たちは、父の案をそのまま受け入れるだけの存在ではありません。
本人によれば、気に入らないところがあれば率直に指摘し合い、そのやり取りは兄弟との制作にも似ていました。
一人の名で発表する作品でも、別の耳に聴いてもらい、意見を受けて曲を選ぶ相手がいたのです。

ただ、歌の中心に置く声は違います。
本人によれば、このアルバムでは裏声を曲の途中に使っても、裏声だけで主旋律を通す曲は作りませんでした。
インタビューで「意識して減らしたのか」と問われると、考えていなかった、ただ裏声の主旋律を歌わなかったと答えています。

彼が説明したのは、自分の目から見た人生を歌う作品だということでした。
たとえば「End of the Rainbow」には、兄弟を失った思いが込められています。
高い声を作品から消したわけではなく、本人が語るように曲中ではときどき使っています。
このアルバムでは、その声で歌い通すことより、自分の何を語るかを曲ごとに選びました。

本人が「End of the Rainbow」をカントリーの曲だと捉えていたことも、次の作品を考える手がかりになります。
裏声の登場回数だけでこの時期を見ると、自分の好む曲の形へ戻り、失った人たちへの思いを歌にしようとした選択が見えにくくなります。

2014年、Mythologyツアーのハリウッド・ボウル公演
2014年、Mythologyツアーのハリウッド・ボウル公演。
写真:Louise Palanker from Los Angeles/Santa Barbara, USA / CC BY-SA 2.0(掲載用に縮小)

2021年|「Words」を選んだのは、今度はドリーだった

次の『Greenfields』では、バリーはビージーズ時代などの曲をカントリーやアメリカーナの歌手と録音しました。
制作は2019年にナッシュビルで行われ、アルバムは2021年に発表されています。
昔の曲をもう一度歌う企画ですが、共演者の選ぶ余地も大きいものでした。
バリーは、それぞれに歌う曲を選んでもらったと話しています。

プロデューサーのデイヴ・コブに仕事を頼みたいと思ったきっかけも、息子のスティーヴンでした。
携帯電話で聴かせてもらったクリス・ステイプルトンの曲を気に入り、誰が制作したのかを尋ねたのです。
そうして始まった録音では、いつも自分が制作を率いる立場を離れ、コブに任せることに緊張したといいます。
新しい歌い手を迎えるだけでなく、自分も別の制作者の判断を受けながら歌う側へ回りました。

ドリー・パートンが選んだのは「Words」でした。
1968年のテレビ出演ではバリーが主旋律を担った曲に、半世紀以上を経てドリーの声が加わります。
コブも、古い名曲を作り替えることに緊張したと振り返りました。
バリー自身も今回は全てを自分で決めるのでなく、制作者と共演者の中に入って歌っています。

1968年の映像はテレビ番組での歌唱、2021年の曲はアルバムのためのスタジオ録音です。
声の年齢差を単純に測る組み合わせではありません。
むしろ、バリーが主旋律を担っていた「Words」を、別の歌手が選び、二人で歌う曲にしたことが、この再録の新しさです。

裏声を見つけた人は、裏声だけの歌手ではなかった

1975年の「Nights on Broadway」で加えた高い声は、やがて「Stayin’ Alive」の主役になり、「Too Much Heaven」では重ねる声の一部にもなりました。
2016年には裏声の主旋律を使わずに自分の物語を歌い、2021年には昔の「Words」をドリー・パートンと分け合っています。

裏声が消えたから次の時代へ進んだのではありません。
バリーは高い声を見つけた後も、誰と歌い、どの声を曲の中心に置くかを、その都度変えてきました。
初めの「Words」を知ってから再録に戻ると、長い時間を経ても残った曲と、そこへ迎えた新しい声の両方が見えてきます。

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