山崎育三郎さんの歌声というと、帝国劇場の奥まで届く、明るく伸びやかな声を思い浮かべる人が多いでしょう。
ところが本人は、声楽の教えを忠実に吸収した結果、オペラのような声しか出せなくなり、かえって演じられる役が狭くなった時期があったと明かしています。
この失敗を知ると、山崎さんの本当の強みが見えてきます。
一つの完成された声で何でも歌うのではなく、役、客席、マイクとの距離に合わせて、声質や息の使い方まで選び直せることです。
舞台では二階席、三階席の最後列へ向けて歌い、ポップスではイヤホンを着けた一人へ話しかける。
山崎さんの歌い方を理解する鍵は、声の高さや大きさより先にある、この「届け先の切り替え」です。
「正しい声」を身につけすぎて、役の幅が狭くなった
ミュージカル俳優が声楽を学ぶのは、揺るぎない正解へ近づくためだと思われがちです。
山崎さんも高校からクラシックを学び、音楽大学へ進みましたが、教わったことをすべて受け入れた時期には、どの役でもオペラの声になってしまいました。
遠くへ届く厚い声は、大劇場では大きな武器になります。
しかし、現代的なロックミュージカルの青年まで同じ響きで歌えば、役より先に訓練された歌声が見えてしまいます。
そこで山崎さんが目指したのは、クラシックを捨てることでも、ロックの荒々しさだけへ寄せることでもありませんでした。
『レ・ミゼラブル』のような大きなドラマと、『RENT』のような現代的な作品の両方へ入れるよう、身につけた声を役に応じて出し入れする方向へ進みます。

声が美しいかどうかだけでなく、その人物が本当にその声で話しそうかを考える。
山崎さんの発声は、正しい声を一つ選ぶ技術ではなく、正しさを役へ従わせる技術として育ったのです。
2000人へ飛ばす声と、イヤホンの一人へ置く声は違う
舞台とポップスの違いを、山崎さん自身は届ける人数で説明しています。
ミュージカルでは二階席、三階席の一番奥まで届くように歌う一方、2016年のカバーアルバム『1936 ~your songs~』では、一対一の関係を意識しました。
これは単純に声量を下げたという話ではありません。
大劇場では、離れた客席にも言葉と感情が同時に届くよう、母音の輪郭を保ち、フレーズの方向を大きく示す必要があります。
反対に、イヤホンでは声がすでに耳元へ届いています。
同じ圧力で歌えば、上手さより先に「近すぎる」と感じさせるため、細かな息や語尾を残し、聴き手の暮らしへ入り込む余白が必要になります。
「君は薔薇より美しい」のように華やかな曲でも、アルバム全体の基準は舞台の最後列ではなく、車内やイヤホンで聴く一人でした。
派手な高音を出せる人が、あえて声を引く判断をした点に、この作品の面白さがあります。
同じく舞台とJ-POPで声の距離を変える歌手でも、生田絵梨花さんの歌い方では、グループ歌唱からソロへ移る過程が切り替え方へ影響しています。
山崎さんの場合は、大劇場で完成させた声を日常の距離まで戻すことが、ポップスへの入口になりました。
発声を先に決めず、「誰として歌うか」から声を作る
役によって変えるのは、音量だけではありません。
山崎さんは、声質、声の出し方、息の使い方まで、人物ごとに変えると説明しています。
その出発点は、台本に書かれた背景です。
人物の心ができていれば、セリフと歌が別々の芸ではなくなり、その人が感情を高めた結果として歌い始められます。
この順番なら、「高音だからミックスボイスにする」「ロックだから荒くする」と、技術名から役を作る必要がありません。
同じ高さでも、若者の不安、王子の気品、追い詰められた人物の叫びでは、必要な息と声の硬さが変わります。
第三者の歌唱評でも、山崎さんは滑舌、呼吸、声量の基礎に加え、曲調へ柔軟に応じる点を評価されています。
基礎が目立つのではなく、役ごとの差を成立させるための下側で働いているのです。
日本語を遠くへ届けるため、母音に奥行きを作る
山崎さんは、日本語を大劇場で歌う難しさにも触れています。
普段の日本語は口の前側だけでも意味が通じやすく、そのまま歌うと声の線が細くなり、遠くまで届きにくいという考えです。
舞台では、日本語の母音を英語の母音に近い奥行きで発声する工夫をしてきました。
これは日本語を英語のように発音するという意味ではなく、言葉を崩さず、口や喉の中へ声が通る空間を残すイメージに近いでしょう。
初心者が表面だけ真似して口を大きく開けると、顎が固まり、かえって高音が苦しくなることがあります。
参考にしたいのは形の大きさではなく、子音を言った後も母音がつぶれず、言葉の最後まで響きを運べる点です。
高音で母音を変える考え方でも扱っているように、母音は完全に別の音へ交換するのではありません。
聞き取れる言葉を守りながら、苦しくなる形だけを少し調整するものです。
長期公演が作ったのは、瞬発力より再現性だった
三時間の舞台を一日に二公演行い、それを数か月続ける現場では、一度だけ出せる大声に価値はありません。
翌日も同じ役として歌えることが必要になります。
山崎さんは長期公演の生活をアスリートにたとえ、規則正しい生活、ストレッチ、声の出し方の研究を続けてきました。
発声を誤れば一度で声を傷めかねないため、感情が高まった場面ほど、勢いだけへ任せられません。
現在も少なくとも一日に一度は声を出し、イタリア歌曲などの伴奏を使って状態を確かめています。
華やかな舞台声の裏にあるのは、毎回限界へ挑む練習ではなく、身体が歌う感覚を忘れないための地道な確認です。
山崎さんらしい太い高音を真似しようとして、最初から大音量へ上げるのは本質から外れます。
公演を支えているのは「今日だけ強く出た声」ではなく、役の感情を保ったまま何度でも戻れる声だからです。
ポップスと映像へ出たことで、声の引き算を覚えた

2015年のドラマ出演は、芝居だけでなく歌い方にも影響しました。
客席の反応を受けながら表現する舞台と違い、カメラの前では、向かい合う相手へ届く小さな声でも感情を見せられます。
その感覚が翌年のカバー作品へつながり、2018年のオリジナルアルバム『I LAND』では、歌手とミュージカル俳優を分けず、「歌うように演じ、演じるように歌う」方向がはっきりしました。
舞台声を封印したのではなく、近距離の表情を新しい選択肢として加えたのです。
2024年の『The Handsome』では、外部の作家が作る世界へ自分を投げ込み、従来の整った歌声だけではない表現にも踏み込みました。
高い位置で感情を荒く放つよう求められた曲では、役を作る方法を使いながら、本人にも未知だった声を探しています。
声の幅は、音域を何音広げたかだけでは測れません。
きれいに歌える人が、必要な場面で美しさを崩し、それでも声を失わないことも、表現の幅です。
「ミュージカルらしさ」は長所にも、距離の壁にもなる
山崎さんの歌への受け止め方は、聴き手によって分かれます。
伸びやかで気品があると感じる人がいる一方、ポップスでは圧が強い、整いすぎて遠く感じるという声もあります。
どちらか一方が間違いとは限りません。
大劇場へ設計された輪郭と大きな感情は、舞台なら物語を支える長所になり、耳元で聴く曲では距離を生むことがあります。
だからこそ本人も、すべてを同じ声で押し通していません。
作品が求める距離を見極め、舞台の声を残すか、暮らしへ寄り添う声まで引くかを選びます。
声優、舞台、ポップスを横断する宮野真守さんの発声と比べると、同じ「役を作る声」でも違いが見えます。
宮野さんが人物の細かな動きから声色を広げるのに対し、山崎さんは劇場と聴き手の距離そのものを設計し直す比重が大きいのです。
参考にするなら、声量ではなく届け先を変える
山崎さんから学びやすいのは、ミュージカル風のビブラートや大きな口の形ではありません。
歌い始める前に、どこにいる誰へ届ける曲なのかを決める考え方です。
同じ一節でも、遠い客席へ物語を渡す時と、隣の一人へ打ち明ける時では、必要な声の圧が変わります。
声量だけでなく、子音の明瞭さ、母音を伸ばす長さ、語尾を強く閉じるか残すかまで変わるでしょう。
反対に、太い高音や荒い叫び声だけを切り取って真似するのは避けたいところです。
長年の声楽訓練と公演経験を前提にした表現であり、痛みや強いかすれが出る方法を続ける理由はありません。
舞台向けの声とポップス向けの声を比べて聴く時も、「どちらが本当の声か」ではなく、「この曲では何人へ歌っているように感じるか」と考えると、違いをつかみやすくなります。
山崎さんの歌い方は、声を分類するより、届ける距離から見ると急に分かりやすくなります。
まとめ
山崎育三郎さんの強みは、よく通るミュージカル声を一種類持っていることではありません。
クラシックへ寄りすぎて役の幅を狭めた経験から、役、言葉、客席、マイクに合わせて声を選び直してきました。
大劇場では最後列へ届く母音と輪郭を使い、ポップスではイヤホンの一人へ寄り添う距離まで声を引きます。
人物が変われば声質や息も変え、長期公演では一度の迫力より翌日も戻れる再現性を優先します。
「ミュージカル界のプリンス」という呼び名の奥には、完成した声を守る人ではなく、作品ごとに完成を壊せる歌手がいます。
ボーイソプラノ、変声期、声楽、テレビ、ソロ活動を経て、この切り替え方がどう生まれたのかは、山崎育三郎さんの歌唱変遷で詳しくたどります。






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