浅井健一の歌い方・発声|細い声が激しいロックに負けない理由

2024年の浅井健一のポートレート シンガー

浅井健一さんの歌声は、いわゆる「声量で圧倒するロックボーカル」とは少し違います。
太く大きな声でバンドを押さえ込むのではなく、細く甘い声のまま、激しいギターの中央をすり抜けて言葉を残します。

その原点をよく表すのが、浅井さんがボーカルになったきっかけです。
最初から自分を歌手だと思っていたわけではなく、別のボーカルを支えてコーラスを歌ったところ、自分の声のほうがよく通った。
そこで歌う役を引き受けたと本人は振り返っています。

大声だから通ったのではありません。
ほかの音に似ていない声だったから、演奏の隙間から姿を現したのです。
浅井健一さんの歌い方を理解する鍵は、高音の種類を当てることより、この「細いのに消えない」という矛盾にあります。

ボーカルになった理由は「歌がうまかったから」ではない

若い頃の浅井健一さんは、ギタリストとしてバンドに加わりました。
当時のボーカルを助けるためにコーラスを入れたところ、自分の声のほうが前へ届いたため、歌も担当する流れになったと語っています。

この話は、浅井さんの声を考えるうえでかなり面白い出発点です。
一般に「通る声」と聞くと、太く張った大声を想像します。
ところが浅井さんの魅力は、重量感よりも輪郭にあります。

ファンの感想を追うと、声を「鋭い」「少年のよう」「甘い」と好意的に受け取る人がいる一方で、「かわいく聞こえる」「癖が強い」と戸惑う人もいます。
同じ声が正反対に評価されるのは、欠点ではありません。
きれいなロック声の基準から外れているからこそ、一音で浅井健一だと分かるのです。

歌唱力を、音域の広さやロングトーンの強さだけで測ると、この個性は見落とされます。
浅井さんの歌は、自分の声を大きく見せる競技ではなく、曲の中に登場人物を立たせる仕事に近いものです。

甘い声と危険な物語が同居するから忘れにくい

BLANKEY JET CITYの世界には、オートバイ、銃、冷たい街、奇妙な人物といった、映画の断片のような言葉が現れます。
そこへ重く威圧的な声を乗せれば、音楽全体が一方向へ傾いていたかもしれません。

実際に響くのは、どこか幼さを残した細い声です。
危険な景色を歌っているのに、声の奥には無防備さがある。
この不釣り合いが、単なる不良の物語では終わらない寂しさを生みます。

浅井さんは、歌詞に嘘を入れたくないという趣旨の考えを繰り返し語っています。
また、その時々の精神状態が自然に歌へ表れるとも話してきました。
言葉を技巧の材料として処理するより、自分が信じられる景色だけを歌う姿勢です。

だから、発音の癖だけをまねても浅井健一らしさには近づきません。
声の奥にあるのは、珍しい音色と、本人が本気で信じられる言葉を結びつける作業です。
この二つが揃うことで、短い一節が説明の多い文章より強く残ります。

ギターを持つ浅井健一

日本語を整えすぎないことが言葉の速度を守る

浅井健一さんの日本語には、教科書の朗読とは違う独特の流れがあります。
すべての音を同じ明瞭さで発音するのではなく、一続きの言葉として前へ送り、印象を残したい語だけを浮かせます。

本人は、日本語より英語のほうが歌に乗せやすいと話したことがあります。
英語は音をつなげやすい一方、日本語は一音ずつ区切れやすいため、旋律の流れを止めない工夫が必要になります。
浅井さんの歌詞に口語、英語、固有名詞のような音の強い言葉が混ざるのは、物語だけでなく歌の推進力にも関係しています。

ここを「滑舌が悪い」とだけ片づけると、本来の面白さを失います。
一字ずつ正確に届ける歌ではなく、文全体の温度と速度を先に届ける歌だからです。

ただし、崩しているように聞こえる発音にも、何を残すかという選択があります。
全部を曖昧にすると言葉は消えます。
浅井さんの場合は、人物や場所を想像させる語が突然くっきり現れるため、聴き手は足りない部分を自分の頭で補えます。

同じく言葉をロックの推進力へ変える歌手でも、チバユウスケさんの歌い方は短い語を演奏へ撃ち込む感覚が強いタイプです。
浅井さんは、細い声で言葉を線のようにつなぎ、現実と空想の境目を曖昧にします。

高音を「地声かミックスか」だけで決めると魅力を落とす

浅井健一さんの高音については、地声、裏声、ミックスボイスなど、さまざまな説明が見つかります。
しかし、本人が声区を発声学的に分類した公的資料は確認できませんでした。
公開音源だけを根拠に、すべての高音を一種類へ決めるのも適切ではありません。

曲や時期が変われば、必要な音量、音の長さ、母音、感情の強さも変わります。
短く鋭い音と、柔らかく伸ばす音を、同じ仕組みだと断定することはできません。

それでも、浅井さんの高音が印象に残る理由は説明できます。
低音から突然別人のような太い声へ変えるのではなく、細い声の輪郭を保ったまま、言葉の緊張を上げていくからです。
高さそのものより、危うさが途切れないことが大切になっています。

高音を強くするために喉を締めたり、ざらつきを加えたりする発想は、本人の表現を表面だけまねることになります。
浅井健一さんの声から学べるのは、太さを無理に足さなくても、声の違いと言葉の選び方で存在感を作れるという点です。

昔の「必死さ」は消えず、自然な歌へ形を変えた

浅井健一さん自身は、昔の歌い方について「必死になりすぎていた」という趣旨で振り返っています。
一方、近年のSHERBETSの制作では、2000年頃と比べて歌い方が大きく変わり、より自然に歌えるようになったとも話しています。

ここでいう自然さは、勢いを失ったという意味ではありません。
毎回限界まで力を入れなくても、浅井健一という人物と言葉がすでに声へ乗るようになった、と考えると分かりやすいでしょう。

転機の一つとして本人が挙げたのが、アコースティック編成のツアーです。
大きなバンド音で声を押し出す必要がない環境の中で、迷いなく歌える感覚をつかみ、それが録音にも反映されたと語っています。

これは、初期の歌を否定する話ではありません。
追い詰められたような必死さはBLANKEY JET CITYの音楽に必要だったし、その時代にしか出せない切迫感でした。
現在は同じ個性を、大声だけに頼らず運べるようになったのです。

近年の浅井健一

歌声の変化を年代と活動ごとにたどると、浅井健一さんの歌唱変遷で、BLANKEY JET CITYからSHERBETS、AJICO、ソロまでの違いが見えてきます。

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まねるなら声の傷ではなく「自分の違い」を残す

浅井健一さんの歌声は、万人が同じ意味で「うまい」と答える声ではありません。
評価が割れる音色を、直さずに作品の中心へ置いたから強いのです。

参考にしたいのは、細い声を無理に太くしなかったことです。
自分の声が一般的なロックボーカルと違うなら、その違いがどの言葉、どの速度、どの曲調で最も生きるかを探す。
浅井さんの歩みは、その発想の価値を示しています。

甲本ヒロトさんの歌い方も、整った歌唱より先に言葉と人物が届く例です。
ただし、二人の声の作り方が同じという意味ではありません。
他人のかすれや鼻にかかった音をコピーするより、自分の声で何を残せるかを見るほうが安全で、本質にも近づきます。

痛み、強いかすれ、話し声の異常が出る歌い方は続けないでください。
不調が長引く場合は練習を止め、耳鼻咽喉科などの専門機関へ相談しましょう。

浅井健一の歌は、声の弱点を消さずに主役へ変えた

浅井健一さんは、巨大な声でロックバンドを制圧したのではありません。
コーラスでも前へ届いた細い声を、自分だけの言葉と結びつけ、ほかの誰にも置き換えられない主役へ育てました。

甘い声で危険な景色を歌う。
日本語を整えすぎず、物語の速度を守る。
若い頃の必死さを捨てるのではなく、力を抜いても届く自然さへ変えていく。

「太くないからロックに向かない」「癖があるから直すべき」という考えを、浅井健一さんの歌はひっくり返します。
声の欠点に見えるものが、正しい言葉と出会った瞬間、その人にしか作れない音楽になるのです。

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