セバスチャン・バックには、自分の得意な歌い方を、もう人は求めていないのではないかと感じていた時期があります。
Skid Rowの「I Remember You」で知られる、高く、澄んだ歌声です。
声が出るかどうかより先に、その声で歌ってよいのかを迷っていた。
そう考えると、彼の歌声の変遷は、若い頃の高音をどれだけ保てたかという話だけではなくなります。
歌いたい声を一度ためらい、別の舞台で、もう一度使おうと決めた人の歩みでもあるのです。
1989年の『Skid Row』に収められた「I Remember You」は、その得意な歌い方で知られる曲です。バックがこういう声をためらうようになったのは、その後の1990年代後半でした。
1989年――声で注目されても、使い方を知り尽くしてはいなかった
Skid Rowがデビューした頃のバックには、若さと勢いがありました。
ただし、本人の回想では、よい声を持っていることと、長い公演を歌い切れることは、最初から同じではなかったようです。
加入後は連日のリハーサルに取り組みながら、その負荷にも慣れていく必要がありました。
1989年のツアーについては、昼から夕方まで取材で話し、そのあとステージへ出て、なぜ声が疲れているのか分からなかったという話もしています。
客席から見えるのは、公演中の華やかな歌声です。
本人はその裏で、歌っていない時間の過ごし方まで、声に関わっていると覚えていったのでした。

この頃の声を「若かったから何でもできた」とまとめると、その試行錯誤が抜け落ちます。
バック自身、1987年からドン・ローレンスに学んだ練習を続けてきたと説明しています。
デビュー時の声も、ただ放っておけば出てきたものとして語ってはいません。
1990年代後半――得意な歌い方を、わざと避けていた
そのバックが、1990年代後半には、高く澄んだ声で歌うことに気後れしたと振り返っています。
グランジや、叫ぶような歌の存在感が強い時期に、「I Remember You」のような歌い方は求められていないのではないかと感じていたのです。
後年、本人がその例として挙げたのが、1999年のソロ作『Bring ’Em Bach Alive!』でした。
自分らしく歌おうとしていなかったため、聴き返すのが難しいとまで話しています。
同作には、スタジオ録音の新曲「Superjerk, Superstar, Supertears」も入っています。
ここで本人が悔やんでいるのは、高い声を失ったということではありません。
そう歌える自分を、十分に出そうとしなかったことです。
声の変化を考えるときには、出せなくなった声と、出そうとしなくなった声を分けておく必要があります。
若い頃に得意だったものが、その後もずっと自信になるとは限らない。
この時期のバックには、その得意な声が、時代に合わないもののように思えていたのでした。
2000年代初め――ミュージカルで、もう一度高音が必要になった
2000年、バックはブロードウェイの『Jekyll & Hyde』に出演します。
善良なジキルと、凶暴なハイドを演じる作品です。
ここで求められたのは、澄んだ声と恐ろしい声の両方を使い、役の違いを表すことでした。
慣れないのは、歌だけではありません。
分厚い台本にひるみ、発音や言葉の明瞭さを練習し、ジキルを演じるときには、ステージで暴れ回らずに歌うことも覚えました。
動きの激しいハイドと、落ち着いたジキルでは、舞台での振る舞いも違います。バックは、声の違いだけでなく、体の動かし方でも二人を演じ分けることになったのです。
さらに、『Jesus Christ Superstar』では、初期の録音でイアン・ギランが歌ったような高音に取り組みます。
バックは2002年頃を振り返り、役を歌うために、再び高く歌えるよう訓練したと話しています。
稽古でその声を出したときの手応えが、もうこの歌い方を手放したくないという気持ちにつながったそうです。
流行に合うかを考えていた声が、今度は、その役を歌うために必要になった。
役の歌を仕上げるために取り組むうちに、自分の高音への気後れも薄れていったと読めます。
バックが得意な声を使い直すうえで、この環境の違いは大きかったのでしょう。
2007〜2011年――自分の歌い方で、またロックの作品を作る
舞台の経験を経て、バックは『Angel Down』(2007年)、『Kicking & Screaming』(2011年)などのソロ作を発表します。
本人は、これらを、自分が知られるようになった歌い方へ戻った作品として挙げています。
『Kicking & Screaming』を作ったときの説明も、過去を捨てて別人になるというものではありませんでした。
Skid Row時代の作品と一緒に聴いてもらえる、勢いのあるロックを作りたい。
本人にとって初期作は、偶然うまくいった一枚ではなく、自分が好きな音楽を仲間と演奏した記録だったのです。

一方で、自分の声を扱う工夫は増えています。
同作の「Dream Forever」では低音を録る時間帯まで選び、「My Own Worst Enemy」では、自分でも少年のように聞こえる声になったと驚いています。
昔の高音へ戻れたかどうかだけでなく、いまの録音でどんな声を出せるかにも関心が向いていました。
言葉を伝える歌い回しや、「Dream Forever」の低音を録った工夫については、セバスチャン・バックの歌い方で詳しく扱っています。
2024年――一曲の中で、声の表情を大きく変える
2024年の『Child Within the Man』では、「(Hold On) To the Dream」を、バック自身がとくに誇る歌唱として挙げています。
穏やかで思いやりのある声から、恐ろしい声へ切り替わる。その大きな変化を、一曲の中で作れたことを喜んでいました。
この曲では、重い音楽への好みと、ハーモニーへの好みも一緒になっています。
バックは、プロデューサーのエルヴィス・バスケットと作ったサビのハーモニーについて、スティーリー・ダンのような音楽への愛着を語っています。
子供の頃に聖歌隊で他の声と合わせて歌った経験もあり、メタルを好きになる前から、自分は歌手だったという捉え方なのです。
高く歌うことを避けた時期を経て、ただ高音に戻るだけでは終わらなかった。
声を荒々しく変えることも、複数の声を重ねることも、自分の好きな音楽を作るために使っています。
『Child Within the Man』を、愛聴する1970年代のレコードのような作品にしたかったという話にも、その姿勢が表れています。
変わったのは、声を出す力だけではなかった
バックの歩みには、声をどう保つかという問題と、どんな声で歌いたいかという問題があります。
初期のツアーでは声の使い方を覚え、1990年代後半には得意な歌い方をためらい、ミュージカルでは、その声が役に必要になりました。
その後のソロ作では、高音に加えて、低い声やハーモニーも本人が喜ぶ歌の材料になっています。
「昔と同じように歌えるか」という問いだけでは、出せる声をあえて避けた時期は説明できません。
自分らしい声で歌いたいと思えるかどうかも、歌声を変える。
バックが舞台で高く歌う手応えを取り戻した話は、そのことをよく示しています。
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