NOKKOさんの歌声は、若い頃の勢いを少しずつ弱めたのではありません。
日本語をロックにするため全身で突き進んだREBECCA期から、ダンスミュージックへ声を合わせたソロ期、自然な歌へ向かった休止前後を経て、現在は過去の曲を力で再現しない歌唱へ変わりました。
変化の中心にあるのは、声の高さより「何をNOKKOらしさと考えるか」です。
一度はREBECCAの歌い方から離れたからこそ、再結成後には昔のコピーではない声で「フレンズ」へ戻れました。
1984年、NOKKOは日本語をロックへ押し込む方法を探していた
REBECCAは1984年にメジャーデビューしました。
当時のNOKKOさんは、女性ボーカルのロックバンドがまだ珍しい時代に、洋楽から受けた刺激と日本語の歌詞を同じ曲の中で成立させようとしていました。
本人が後から語った最大の難題は、日本語の母音です。
英語より母音がはっきり並ぶ日本語を一音ずつ発すると、速いロックの上では言葉が重く聞こえます。
言葉を崩しすぎれば意味が消え、整えすぎれば勢いが止まる。
初期の歌唱は、その間を全身で探していた時期でした。
1985年の「フレンズ」が大きな転機になります。
高い声だけでなく、短い言葉が前へ転がり、感情が拍を追い越すような歌唱が、NOKKOさんをロックボーカリストの象徴へ押し上げました。
1980年代後半、成功と同時に歌声の負担も大きくなった
「RASPBERRY DREAM」「MOON」などのヒットが続き、録音とツアーが生活の中心になります。
小柄な体を大きく使う舞台と、緊張感の高い歌声はREBECCAの魅力でしたが、その強度を保つ仕事量は増え続けました。
NOKKOさん自身は、昭和が終わる1990年頃には体力が追いつかず、いっぱいいっぱいになっていたと振り返っています。
1991年の解散は、人気がなくなった末の出来事ではありません。
大成功した歌い方を同じ速度で続けられなくなった地点でした。
この時期を「全盛期の声」とだけ呼ぶと、後の変化が衰えに見えてしまいます。
実際には、強い声を失ったのではなく、一種類の歌い方だけでは次へ進めなくなっていました。
1992年、ソロ活動でREBECCAの声をいったん手放した
ソロ活動の準備で向かったニューヨークでは、ハウスやダンスミュージックが盛り上がっていました。
バンドの前へ声を投げるREBECCAとは、リズムの感じ方も、歌が入る場所も違います。
NOKKOさんは新しいサウンドへ合わせるため、自分の歌い方と使う音域を試行錯誤したと話しています。
英語で作られた曲へ日本語を載せる難しさもあり、若い頃とは別の形で言葉とリズムに向き合いました。

ここで重要なのは、REBECCAの歌い方を小さくしたのではなく、別の歌手として出発しようとしたことです。
それでも周囲からは、何をしてもNOKKOに聞こえると言われました。
消そうとしても残る声の輪郭を知ったことが、後の自己受容につながります。
1994年の「人魚」で、力を抜いた声もNOKKOの代表になった
「人魚」は、REBECCAの疾走感とは別の場所でNOKKOさんの声を広く知らしめました。
言葉を前へ跳ねさせるより、長い母音の余韻を残し、旋律の間へ静けさを作る曲です。
ここで聞こえるのは、ロックを捨てた弱い声ではありません。
大きく押し出さなくても、言葉の入り方と揺れにNOKKOらしさが残ることを証明した歌です。
ソロ期には海外制作やクラブミュージックだけでなく、次第にアコースティックで自然な歌へも関心が移ります。
1998年頃には、声をサウンドへねじ込むより、自分の生活と近い場所で歌う方向が強くなりました。
活動から離れた時間が、過去の声を守る義務を薄くした
結婚と出産を経て、NOKKOさんは長く活動の中心から離れます。
この空白は、代表曲を毎年同じ形で歌い続ける時間ではありませんでした。
復帰後に昔の曲へ戻った時、若い頃の激しい動きや声量をそのまま再現するのではなく、現在の体と声で曲を組み立て直す必要がありました。
後年の本人は、REBECCAを離れて別の歌い方を見つけたから、現在の歌い方があると説明しています。
歌わなかった時間まで含めて、声の選択肢が増えました。
過去を保存するより、一度そこから距離を取ったことが再結成を可能にしたのです。
2015年の再結成は、全盛期の声を複製する企画ではなかった
2015年、REBECCAは20年ぶりの再結成ライブを行いました。
横浜アリーナ公演には、かつての勢いを知る観客が集まりましたが、NOKKOさんが向き合ったのは1985年の録音をそのまま再現する仕事ではありません。
現在の本人は、若い頃より負担の少ない発音や声の出し方が分かると話しています。
22歳の自分に会えるなら、もっと楽に歌える方法を教えられるという振り返りは、再結成後の声をよく表しています。

高音の質感や息の長さが時期によって違っても、言葉が突然跳ねる動きや、感情が整いすぎない面白さは残りました。
変化を隠さず、変わらない癖を曲の側へ合わせ直した復帰です。
2022年以降、日本語との格闘が現在のグルーヴへ変わった
2022年のビルボードライブでは、観客とメンバーの距離が近い空間で複数公演を重ねました。
NOKKOさんは、この経験によってバンドが過去のコピーではない新しいグルーヴを得たと振り返っています。
同じ頃、日本語でロックを歌う長年の苦しさにも折り合いがつきました。
日本語の響きや民族性は消すものではなく、歌い続ければ自然ににじむものだと受け入れられるようになります。
2024年の「Daisy Chain」と「アシデケトバセ」は、その二つが形になった作品です。
前者はREBECCAらしい記憶を呼び起こし、後者は過去の型へ収まらない現在の生命力を示しました。
昔らしさと新しさを別々に選ばず、同じ時期に両方を出せることが現在の強みです。
若い頃は日本語をロックへ押し込もうとし、現在は日本語から逃げずにバンドのリズムを作っています。
変わらず残ったのは、声色ではなく言葉が動く瞬間
初期REBECCA、90年代のソロ、再結成後では、編成も曲調も声の重さも異なります。
同じ動画条件ではないため、年齢だけを理由に声の変化を断定することはできません。
それでも本人の発言から確かに追えるのは、歌い方と音域を新しい音楽へ合わせ、負担を減らし、日本語への考え方を変えてきたことです。
一方で、何をしてもNOKKOに聞こえると言われた根底の個性は残りました。
その個性は、毎回同じ高音を出すことではありません。
静かな「人魚」でも、疾走する「フレンズ」でも、言葉が予想外の場所で弾み、感情がきれいに整う直前で動くところです。
NOKKOさんの現在の歌い方・発声では、この日本語の扱いと負担を減らした発声を中心に説明しています。
年代ではなく、今の声の特徴を知りたい場合はあわせて読むと違いがつながります。
まとめ
NOKKOさんの歌声は、1980年代の全身で突き進むロックボーカルから、ソロ期のダンスミュージックと自然な歌を経て、現在の負担を減らした歌唱へ変わりました。
1990年頃の疲労と1991年の解散は、一種類の成功した歌い方から離れる転機になります。
1992年以降は新しいリズムと音域を試し、「人魚」によって静かな声でも個性が消えないことを示しました。
2015年の再結成後は昔の声を複製せず、2022年以降には日本語の響きそのものを現在のREBECCAの力へ変えています。
変わったのは、声の重さ、使う音域、過去との距離です。
変わらなかったのは、言葉が跳ね、感情が突然動くNOKKOさんの時間感覚でした。






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