藤井怜央の高音はなぜ印象に残る?Omoinotakeの歌い方・発声を分析

Omoinotakeの藤井怜央 シンガー

Omoinotakeの藤井怜央さんは、単に高い音をきれいに出せる歌手ではありません。
作曲者、鍵盤奏者、ボーカリストが同じ人物だからこそ、声が最も印象に残るようにメロディと演奏の側まで組み立てられる人です。

その原点をたどると、意外にも最初から歌手を目指していたわけではありません。
中学生の頃はドラマーとしてバンドを始め、Omoinotakeで初めて鍵盤を弾きながら歌う役を担いました。

高音だけを切り取って「地声かミックスボイスか」と考えると、この歌声の面白さは半分しか見えません。
まずは、藤井さんの歌が広く知られるきっかけになった「幾億光年」の公式歌唱を見てみましょう。

目立つ声を持っていたのではなく、歌が目立つ音楽へ変えてきた

藤井さんは幼い頃にピアノへ触れていましたが、思春期に夢中になったのはパンクやエモのバンドでした。
担当はドラムで、歌を前に立って届ける役ではありませんでした。

2012年にOmoinotakeを結成した時も、鍵盤ボーカルは本人にとって初めての形です。
初期の曲は福島智朗さんが中心になって作り、藤井さんはすぐに現在の作曲者兼ボーカリストになったわけではありません。

結成から数年後、バンドの音楽性が変わる中で藤井さんも曲を書くようになります。
ここで、歌声とメロディと鍵盤を別々に考えない現在の形が生まれました。

声に合う既製品の曲を探すのではなく、自分が歌った時に言葉が立ち上がる旋律を作ることができます。
さらに、その旋律を邪魔しない鍵盤の音色やリズムまで自分で選べます。

藤井怜央さんの高音が耳へ残る最初の理由は、喉の技術だけではありません。
作曲と編曲の段階から、歌が主役になる場所を用意できることです。

路上ライブで「いい演奏」より「人が止まる歌」を覚えた

転機になったのは、渋谷で続けた路上ライブでした。
ライブハウスなら、客は最初から音楽を聴くつもりで会場へ入っています。
路上では、ほとんどの人が別の目的地へ向かう途中です。

演奏が上手いだけでは足を止めてもらえません。
最初の数秒で声と言葉が届かなければ、その人は通り過ぎてしまいます。

当時の本人は、以前はグルーヴを格好よくすることへ意識が偏っていたものの、次第に「どうすれば自分の歌が前に出るか」へ考えが移ったと振り返っています。
暗い短調の曲ばかりだった選曲も、通行人の表情が明るくなる反応を見て、明るい響きの曲へ広がりました。

ここで変わったのは、声量ではありません。
自分たちが気持ちよく演奏する音楽から、知らない人へ一度で伝わる音楽へ視点が移ったのです。

路上ライブとステージ経験を重ねた藤井怜央

高音が長く続く曲でも、伴奏が歌と同じ場所を埋め尽くさなければ、声をむやみに張る必要はありません。
鍵盤の余白、ベースの動き、言葉を置く拍まで含めて歌を前へ出すため、音の高さ以上に存在感が生まれます。

「幾億光年」の難しさは、高さより一度で覚えられることにある

「幾億光年」は、高い音が続く難曲として知られました。
別の音楽家からも、サビが高く、歌いたくなる一方で簡単には再現できない曲だと語られています。

ただし、制作時に藤井さんが最初に考えていたのは、高音を披露することではありません。
ドラマの短い予告で流れても、サビの一節が耳に残る構造を意識していました。

歌詞が先にあり、その言葉が自然に生きるメロディを後から作った部分もあります。
つまり高音は、歌唱力を見せるための山ではなく、遠く離れた相手を思い続ける言葉を、一度で記憶へ残すための場所です。

この曲の発声については、解説者の間でも呼び方が一致していません。
地声の成分が強いミックスボイスと見る説明もあれば、裏声寄りの軽さや、曲中で複数の声を切り替えている点を重視する説明もあります。

食い違いが起こるのは、誰かだけが間違っているからとは限りません。
同じサビでも、音の高さ、母音、声量、言葉の強さによって、地声らしい芯と裏声らしい軽さの割合が動くからです。

初心者向けに言い換えるなら、ずっと同じ太い声で押し上げているわけではないということです。
芯を残す場所、息を混ぜて軽くする場所、語尾をすっと引く場所を細かく変えるため、高い音が続いても一色に聞こえません。

鍵盤を弾きながら歌うことで、声の居場所が見える

藤井さんは、メロディがジャンルの印象を大きく決めると考えています。
同じリズムでも、旋律の形が変われば、R&Bにも歌謡曲にもポップスにも聞こえます。

一方、鍵盤では一台の音だけで曲を埋めず、複数の音色を重ねて役割を分けています。
どの音を強く弾くか、どの帯域を空けるかを調整すれば、ボーカルが無理に大きくならなくても前へ出ます。

ここに、ドラマー出身であることもつながります。
歌の一音一音を均等に伸ばすのではなく、子音を拍へ当てる場所、短く切る語尾、次の言葉までの空白をリズムとして扱えます。

「One Day」では、急いで感情を説明せず、長い旋律を静かに渡す歌が中心です。
「EVERBLUE」では、速く動くバンドの中で言葉の輪郭を失わない歌が必要になります。
「幾億光年」では、その二つをつなぐように、高い場所でも切なさと推進力を同時に保ちます。

曲ごとに声が違っても、歌が演奏の上へ偶然載っているようには聞こえません。
声を含めた全員分のリズムを、作曲者と鍵盤奏者の視点で見渡しているからです。

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太い高音へ固定しないことが、歌詞の距離を変える

藤井さんの歌声を説明する時には、ミックスボイス、ファルセット、息声、声帯閉鎖など多くの用語が使われます。
しかし、読者が最初に注目したいのは名称ではなく、同じ人の声がどれくらい近く、あるいは遠く感じられるかです。

低い音を息の近い声で歌うと、独り言をすぐそばで聞くような距離になります。
サビで芯を増やすと、個人的だった言葉が広い場所へ開きます。
語尾を軽く抜けば、言い切れない気持ちが残ります。

この距離の変化があるため、高音は単なる盛り上がりになりません。
声が高くなるたび、歌詞の相手へ近づこうとする意志まで強く感じられます。

鍵盤の前で歌う藤井怜央

専門的な分類は、声の使い方を詳しく比べる時には役立ちます。
ただし、一音だけを地声か裏声かに決めても、曲全体がなぜ印象に残るかは説明できません。

重要なのは、声を太く保ち続けることではなく、言葉に合わせて芯と息と距離を動かせることです。

真似するなら高音より、歌を一番よく聞かせる選択

藤井怜央さんらしさを再現しようとして、最初から原曲の高音を大きな声で追うのは危険です。
高い声の強さだけを真似すると、伴奏との余白や語尾の軽さが消え、むしろ歌が平らになります。

参考にしやすいのは、すべてを同じ熱量で歌わない考え方です。
どの言葉を一番残したいのかを決め、その前後を少し引くと、声量を増やさなくても中心が見えます。

これは藤井さん本人の練習法を紹介する話ではありません。
路上ライブと作曲の経験から育った「歌が届く形を選ぶ」という姿勢を、自分の歌の見方へ借りる方法です。

高音の仕組みを知りたい人も、まず声だけを取り出さず、鍵盤やリズムがどこで歌へ場所を譲っているかを聴いてみてください。
苦しく聞こえない理由が、喉だけでなく一曲全体に隠れていると分かります。

藤井さんがこの考え方へどうたどり着いたのかは、藤井怜央さんの歌声の変遷で、ドラマー時代から「幾億光年」と武道館まで年代順に追っています。

藤原聡さんの高音長屋晴子さんの歌い方と比べると、同じ鍵盤を含むバンドでも、声を前へ出す設計の違いが見えてきます。

藤井怜央さんの高音が印象に残るのは、特別な声をどの曲にも押し通すからではありません。
歌が最も届くように、声、旋律、鍵盤、リズムを一つの設計として選び直しているからです。

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