ブルース・ディッキンソンは、若い頃の自分について、どれだけ高く叫べるか、どれだけ長く続けられるかを気にしていたと振り返っています。
Iron Maidenの初期の歌を知っていると、その気持ちも想像しやすいかもしれません。
1982年の「The Number of the Beast」には、彼の代名詞になった鋭い叫びがあります。
けれども、後年のディッキンソンは、同じ物差しで若い自分と競おうとはしていません。
歌い方の幅を広げ、ときには昔の自分がためらいながら歌った録音まで、新しいアルバムに残しました。
変わったのは声の響きだけでなく、どんな歌をよしとするか、という判断でもあります。
若い頃から、声の力だけでは通らない録音があった
Iron Maiden加入前のSamsonで、ディッキンソンはすでに、自分でも知らなかった声を引き出される経験をしています。
1981年の『Shock Tactics』を手がけたプロデューサー、トニー・プラットとの録音です。
周りは喜んだのに、本人はその結果を嫌っていたと振り返っています。
自分が気持ちよく出せる声と、周りが聴きたいと思う声は、必ずしも同じではなかった。
最初から、本人が自分の持ち味を全部理解していたわけではないのです。
続く「The Number of the Beast」の録音でも、マーティン・バーチは簡単には納得しませんでした。
最初の数行に人生を込めるよう求められ、ディッキンソンは、何を望まれているのか分からず苛立ったといいます。
高い声を持つ新人に求められていたのは、最初の言葉から聴き手を引き込む歌でした。
あの叫びだけを切り取れば、声の能力を見せつける若い歌手の姿が浮かびます。
しかし、その録音の前には、声の力をどのような表現にするかを巡る試行錯誤があったのでした。

ソロでは、ラップのような歌い方にも踏み込んだ
1993年にIron Maidenを離れたディッキンソンは、1994年にソロアルバム『Balls to Picasso』を発表します。
ここには、大きな旋律を歌う「Tears of the Dragon」だけでなく、ラップを取り入れた「Sacred Cowboys」もあります。
ラップを試してはどうかと提案されたとき、本人は、自分がやるのかと驚きました。
それでも、後年に聴き直した感想は好意的です。
高く伸ばす声で知られた歌手が、言葉をリズムに乗せて進める表現まで試していました。
「Sacred Cowboys」の2025年版は、ギターなどを加えて作り直したものです。
歌は新たに録り直しておらず、ここでも聴けるのは1994年当時の声です。
これを、メタルをやめて別の歌手になろうとした、とだけ見るのは少し窮屈です。
一枚のアルバムの中に、よく知られた壮大な歌と、言葉のリズムを生かす歌の両方がある。
得意な歌い方を持ったまま、それ以外の表現も試せるようになっていった時期なのです。
1996年の『Skunkworks』も、本人には歌について多くを学ぶ機会になりました。
その後、ロイ・Zと再び組んだ『Accident of Birth』『The Chemical Wedding』で重い音楽へ進んでも、以前と同じことを繰り返すだけではありませんでした。
ディッキンソンは『The Chemical Wedding』を、感情の深いところまで踏み込む重要性を認識した作品として振り返っています。

約25年前の、ためらいを含んだ歌を残す
2024年の『The Mandrake Project』には、「Sonata (Immortal Beloved)」という約10分の曲があります。
この曲の大部分は、発売の約25年前に生まれた録音です。
きっかけを作ったのは、ベートーヴェンを題材にした映画を見たロイ・Zでした。
映画から刺激を受けて作った長い伴奏には、まだ歌詞も歌の旋律もありませんでした。
それを聴いたディッキンソンは、目を閉じて場面を想像し、その場で歌い始めます。
次に何を歌うかが決まっていないため、声にもためらいが出る。
ディッキンソン自身が、その録音の歌をそう説明しています。
ここでためらっているのは、決まった歌を歌えないからではなく、まだ存在しない歌を探しているからです。
後年、当時の恋人にこの録音を聴かせると、彼女は強く心を動かされ、アルバムに入るか分からないという彼の言葉に驚きました。
その反応も、ディッキンソンが曲を見直すきっかけになります。
足りない歌詞などは加えましたが、本人の説明では、完成版の約8割は最初のテイクを使っています。
だから、この曲をそのまま「2024年の声」として、1980年代の録音と比べるわけにはいきません。
面白いのは、後年の彼が、昔の歌い直していない声を選んだことです。
ためらいを取り除いて堂々と歌い直すより、その瞬間にしか出なかった表情を生かしました。
高さや長さより、声に含まれる感情へ
2024年、ディッキンソンは、25歳の頃より何もかも上手く歌えるようになった、という見方には同意していません。
若い頃のようにはできないこともある。
一方で、自分の声をよく知り、以前より多くの表情を使えるようになったとも話しています。
声に厚みが増したことを、本人は好意的に受け止めています。
一つの言葉をどう口にするかで、伝わる感情は大きく変わる。
高い声の競争に夢中だった頃とは、歌を評価する基準が変わったのでしょう。
ただ、高音を捨てたという話ではありません。
ディッキンソンは、強い声を持っていることを今も自分の長所として語っています。
その声で競争に勝つことより、感情が本当に伝わることを望むようになったのです。
異なる声の表情を曲の中で使う例としては、3人の歌手を想定していた「Shadow of the Gods」を一人で仕上げた話があります。
その具体的な歌の組み立ては、ブルース・ディッキンソンの歌い方で扱っています。
残したいのは、最も高い声とは限らない
初期のディッキンソンには、自分でもまだ知らない声を引き出される経験がありました。
ソロでは、高音を伸ばす歌の外へ踏み出し、後年には、昔の即興に含まれるためらいまで作品に残しています。
この歩みを、昔の高音が今も出るか、という一点だけで比べると、重要な変化が抜け落ちます。
同じ強い声を持っていても、歌手が録音に残したいものは変わるからです。
「The Number of the Beast」の叫びに驚くことと、次の言葉を探しながら歌った「Sonata」に引き込まれること。
どちらもディッキンソンを聴く楽しみです。
彼自身が声の表情を選ぶようになったことで、聴き手にも、高さや長さ以外に追いかけたいものが増えたのだと思います。
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