ロニー・ジェイムス・ディオの歌声の変遷|Elf・Rainbow・Black Sabbathで変えた歌の役割

2009年、パリでのロニー・ジェイムス・ディオ シンガー
Fredamas / CC BY-SA 4.0

1983年、ロニー・ジェイムス・ディオは「Rainbow in the Dark」をアルバムから外しかけました。
耳に残る鍵盤の旋律が、作ろうとしていた重い音楽には軽く響くと感じたからです。
仲間に止められ、その曲は残りました。

意外なのは、ディオ自身が、若い頃のElfではピアノのある演奏だから自由に歌えた、と振り返っていることです。
鍵盤が嫌いになったのでしょうか。
ElfからRainbow、Black Sabbath、そして自分のバンドへ進む間に変わったのは、声の高さより、伴奏の中で歌にどんな仕事をさせるかでした。

1972年――Elfのピアノには、歌い回す場所があった

ディオがいたElfの音楽には、のちのメタルの印象だけでは捉えきれない、ブルースやソウルに通じる軽やかさがあります。
1972年のアルバム『Elf』に収められた「Never More」も、その時期の歌です。

後年ディオは、ミッキー・リー・ソウルのピアノが中心にあるElfでは、歌に表情をつける余地が多かったと説明しました。
重いギターが密に鳴る曲より、ブルースやソウルに近い歌い回しを使いやすかったというのです。
若い頃の声が未完成だったのではなく、その編成に合う声の動かし方をしていました。

ただ、Elfの歌い方が心地よかったから、そこにとどまりたかったわけでもありません。
ディオは、重い音楽の力強さも好み、その方向へ進もうとしていました。
歌う場所が変われば、細かな節回しを重ねる代わりに、歌が曲を支える別の方法を探すことになります。

1975〜76年――Rainbowで、声の先に物語が生まれた

1975年、ディオはリッチー・ブラックモアとRainbowの最初のアルバムを作ります。
そこにはElfのメンバーも参加し、曲のすべてが一度に重く変わったわけではありません。
ディオ自身も、この最初の一枚にはElfから続くものがあると振り返っています。

「Catch the Rainbow」のゆったりした歌は、Rainbowが初めから激しい曲だけを目指したバンドではないことを示します。
ブラックモアがディオに見いだしたのも、力任せの高音だけではありません。
古いヨーロッパの音楽を思わせる旋律まで歌える声が、二人の曲の世界を広げました。

翌1976年の『Rising』では、演奏する顔ぶれが変わり、歌が担う物語も大きくなります。
「Stargazer」でディオが歌うのは、塔を建てさせる魔法使いの側ではなく、働かされる側の人間です。
強い声を、単なる勝者の威勢ではなく、苦しみや願いを抱えた人物の声として使いました。

Elfで自由に歌い回すことと、Rainbowで曲の人物を浮かび上がらせることは、同じ歌手の別々の選択です。
「Stargazer」で歌う人物と声の関係は、ロニー・ジェイムス・ディオの歌い方で詳しく扱っています。

1980年――Black Sabbathでは、歌がギターを動かした

1980年、ディオを歌手に迎えたBlack Sabbathは『Heaven and Hell』を発表しました。
オジー・オズボーンが歌っていた曲をそのまま再現するのではなく、トニー・アイオミらと新しい曲を作る立場です。

その相性は、大きなスタジオへ入る前に見えていました。
アイオミが振り返ったのは、ロサンゼルスの家のガレージに設けた録音場所へ、ディオを招いたときのことです。
作りかけのリフを弾き、そこへディオが歌うと、互いに顔を見合わせて手応えを感じた。
Rainbowでの声を知っていても、自分たちの音に重なったときの力は、また別の驚きだったといいます。

アイオミによると、ディオはギターのリフやコードに対して、別の旋律を重ねられました。
ギターの短い反復に歌を同じ形で沿わせるだけではない。
歌が動くことで、アイオミにも次の展開が見えてくる。
歌手が完成した伴奏の上に声を乗せるだけではなく、曲の作り方そのものに加わったのです。

『Heaven and Hell』の「Children of the Sea」は1980年の歌です。
現在配信されている2021年リマスターも、この年のアルバムの録音に基づきます。
曲にはディオ加入前からの原型もあったため、すべてを彼一人がゼロから作ったとは言えません。
それでも、歌の旋律が加わって曲が進むという、アイオミとの共同作業が始まっていました。

すでにある音へ応じて歌うことは、歌手が受け身になることとは違います。
伴奏を変えなくても、新しい旋律が重なれば、そのリフの行き先は変わる。
ディオが加わった意味は、声の違う人が交代で前に立ったことだけではなかったのです。

2009年、サンパウロ公演のロニー・ジェイムス・ディオ
2009年、サンパウロ公演のロニー・ジェイムス・ディオ。
写真:Diego Torres Silvestre from Sao Paulo, Brazil / CC BY 2.0

1983年――自分のバンドでは、鍵盤をどこまで使うか決めた

Black Sabbathを離れたディオは、自分の名を冠したバンドで『Holy Diver』を作ります。
ギター、ベース、ドラムの力を前に出し、鍵盤で音を厚くしすぎない。
その方針を、本人は2005年の取材で振り返っています。
Elfで歌を自由にしたピアノと、『Holy Diver』で控えたかった鍵盤は、同じ楽器でも曲の中で果たす役割が違いました。

このときは、作品全体の制作もディオが担いました。
以前から信頼していたプロデューサーのマーティン・バーチに頼めず、新しい仲間が集まるところへ、さらに初めての制作者を入れることは避けたのです。
どんな声で歌うかに加え、どんな音を残し、どの組み合わせで一枚を作るかも、自分の判断になりました。

ディオは「Holy Diver」と「Don’t Talk to Strangers」を一人で書いてから、新しいバンドの仲間を迎えました。
しかしアルバムのほかの曲は、仲間の貢献が大きいとも話しています。
「Rainbow in the Dark」もその一つ。
ディオにはその鍵盤の旋律が軽く感じられ、テープを切って曲を外そうとしましたが、仲間たちが引き止めたのです。
後に本人も、鍵盤の独特な響きが、曲の重さを際立たせていたと認めました。

Elfでピアノの余地を好んだ人が、ただ鍵盤を嫌う歌手に変わったわけではありません。
1983年には、重い歌を支える音として鍵盤をどこに置くか、自分のバンドとともに選ぶ立場になったのです。
しかもその答えは、仲間の意見を聞いて変わりました。

2005年、公演で挨拶するDioのメンバー。中央がロニー・ジェイムス・ディオ
2005年、公演で挨拶するDioのメンバー。
中央がロニー・ジェイムス・ディオ。
写真:Shadowgate from Novara, Italy. / CC BY 2.0

2009年――昔の曲だけに戻らず、再び新しい歌を作った

Black Sabbathで共演したアイオミ、ギーザー・バトラー、ヴィニー・アピスと、ディオは後年、Heaven & Hellとして再び集まりました。
2009年には新作『The Devil You Know』を発表します。
かつての代表曲を演奏するだけで終わらず、新しい重い曲を作ることを選びました。

別のバンド名には、歌う曲を選び直す意味もありました。
アイオミは、Black Sabbathの名なら期待される初期の代表曲を演奏することになるが、今回はディオと作った歌を久しぶりに取り上げたかったと説明しています。
ディオも、当初は以前の名で活動すると思っていたものの、後にはこの変更をよかったと振り返りました。
過去とのつながりを保ちながら、この顔ぶれで歌う曲を中心に置き直したのです。

ディオは当時、再結成を懐かしさだけで済ませたくないと語り、「Bible Black」などの新曲では権力や世界の暗い面を歌うと説明しています。
昔と同じ声を再現できると示すことより、そのときの曲に言葉と旋律を与えることが、再びこの仲間と組む意味でした。

Elfではピアノが歌い回す余地を作り、Rainbowでは声が物語の人物を担い、Black Sabbathでは歌の旋律がギターとともに曲を進めました。
自分のバンドでは音の重さを自ら選び、かつての仲間と戻った後も新曲を作る。
ディオの歩みは「柔らかな声が太い声に変わった」という一方向の話ではありません。

「Rainbow in the Dark」を残した判断が、そのことをよく表しています。
目指す音を持ちながら、仲間の提案によって曲の可能性を広げた。
Elfで感じた歌の自由は、重い音楽へ進んで消えたのではなく、どんな伴奏と物語なら声が生きるかを選ぶ自由へ変わっていったのです。

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