スティーヴ・ペリー(元Journey)の歌声の変遷|「Open Arms」を磨き抜いた歌手が、粗さのある歌を残すまで

スティーヴ・ペリーは、Journeyの「Open Arms」を録音するとき、サビの一つの母音が思いどおりに響くまで、数日にわたって歌い直しました。
ところが、37年後のソロ曲「No Erasin’」では、もっと整えたいと思いながらも、粗さの残る歌をそのまま作品にしています。

かつて一音を磨き続けた人が、なぜ整い切らない歌を残したのでしょうか。
ライブで変わっていった「Open Arms」、ソロ制作で受けた助言、久しぶりの新作で選んだ歌声をたどると、ペリーが作品に何を残そうとしたかが見えてきます。

1981年|「Open Arms」の一音を磨き、ライブでは別の表情を見つけた

『Escape』の「Open Arms」は、静かな呼びかけから始まり、サビで声が大きく広がるバラードです。
ペリーが録音で気にかけたのは、ただ高い音に届くかどうかではありませんでした。
本人の回想では、サビの「Arms」に入る母音を思い描いた響きにするため、同じ箇所を数日間録り直しています。
伸ばす一音が、曲の気持ちを決めるほど大切だったのです。

けれど、レコードが完成したあとも、歌い方がそこで止まったわけではありません。
ペリーは後年、同じ1981年のヒューストン公演をスタジオ版と比べ、客席の前で繰り返し歌ううちに、声に粗さとソウルの感触が加わったと話しました。
原盤もライブ版も誇りに思うという本人にとって、磨き上げた歌と、公演のなかで育った歌は、どちらか一方を選ぶ関係ではなかったのです。

同じ『Escape』に収めた「Don’t Stop Believin’」で、物語を歌いながら最後の呼びかけへ進む作りは、スティーヴ・ペリーの歌い方で詳しく扱っています。

1984~90年代|ソロの録音で教わった「感情を届ける」という考え

Journeyで活動するペリーは、1984年に初のソロ作『Street Talk』を発表し、自分の名義で「Foolish Heart」などを歌いました。
作品には、若いころから好きだったソウルやR&Bの色が出ています。
ペリーは後年、作曲家ランディ・グッドラムと出会った最初の日に「Foolish Heart」を書き上げたと振り返っています。

1990年代のソロ制作では、忘れられない言葉を受け取ります。
「Forever Right or Wrong (Love’s Like a River)」の録音中、ペリーは一行の言葉か旋律を直すべきか悩み、そばにいたモータウンの作曲家ラモント・ドジャーに尋ねました。
ドジャーの答えは、要は聴く人に感情を届けることだ、というものでした。
ペリーはその言葉を書き留めたと語っています。

一音を納得するまで録り直した「Open Arms」にも、伝えたい感情はありました。
ドジャーの言葉は、歌の出来を判断するもう一つの物差しをペリーに示したのでしょう。
1994年のソロ・アルバム『For the Love of Strange Medicine』、1996年のJourneyとの『Trial by Fire』を経て、新しいソロ作まで長い時間が空きます。

2006年のスティーヴ・ペリー
2006年のスティーヴ・ペリー。
写真:Rev. Raikes / CC BY-SA 2.0

2018年|「No Erasin’」の生々しさを、完成版に残した

2018年の『Traces』は、前のソロ・アルバムから24年ぶりの作品です。
ペリーは長く音楽への情熱を失っていました。
恋人だったケリー・ナッシュとは、彼女を失っても再び孤立しないと生前に約束し、その後、曲を書くことへ戻ります。
当初は自分だけが聴くつもりで作っていた歌を、やがて人に届けるようになります。

「No Erasin’」は、長く会っていなかった人との再会を歌う曲です。
ペリーにとっては昔の恋人との再会にも、待っていた聴衆の前へ戻ることにも重なりました。
この歌の初期の歌唱には、整え切っていない部分が残っていたと本人は話します。
もっと完璧にしたい気持ちはあった。
それでも、整えることが感情を強めるとは限らないと思い、その歌を残しました。

同じアルバムの「We’re Still Here」でも、作曲中のデモで歌ったリード・ボーカルを完成版に使っています。
この曲をブライアン・ウエストと書き始めたころ、ペリーは夕食のために出たハリウッドの街で、若者たちが夜を楽しむ姿を見ました。
久しぶりの街にいた次の世代と、自分の若いころがつながったといいます。
長い空白の後のアルバムには、失った相手への思いとともに、今も続いている人々の営みを見つけた歌も入っていたのです。

残した歌を録ったマイクは、シュアのSM58でした。
気に入って集めた古いマイクを自宅スタジオに持つペリーですが、この歌には作曲中の機材で録った声を使っています。
ペリーによれば、曲を書いているときは反響する声を手掛かりに、まだ定まらない歌の行き先を探します。
その瞬間は音質の細部を気にしていませんでした。
どの機材なら最も整った声を録れるかより、歌が生まれるときの声を残す価値を、この録音では優先しています。

ペリーは後年、曲の第一印象を歌った声には、その時の気持ちが入るとも話しています。
「Open Arms」では繰り返し録り直したペリーが、この二曲では初期の歌を残すことを選びました。

2020年|歌を直すだけでなく、歌の周りの音を引く

『Traces』を発表して二年後、ペリーは収録曲を小さな編成で聴かせる『Traces (Alternate Versions & Sketches)』を出しました。
本人は、曲がメロディーと歌詞だけでも成り立つかを大事にしていると話します。
大きな伴奏で盛り上げた版とは違い、歌の最初の姿へ近づく試みでした。

なかでも「Most of All」は、ナッシュに出会う前に書いた曲です。
彼女を失ったあと、ペリー自身にとって歌の意味が変わりました。
簡素な版ではピアノやチェロのそばに声を置き、言葉と旋律が前に出る形を選んでいます。

彼が届け直したかったのは、ランディ・グッドラムと以前に書いた旋律と言葉でした。
大きな演奏を取り去っても、その曲の感情が残るかを試していたのです。

この作品には、以前の録音から取り出した歌も、新たに加えた歌や演奏もあります。
ペリーは歌を一律に取り直さず、どの声を残し、周囲にどの音を置くかを曲ごとに選びました。
2018年には初期の歌を残すことで守ったものを、2020年には伴奏を引くことで伝えようとしました。
声だけを聴き比べると見えにくい、歌の届け方そのものの変化です。

2019年4月、シアトルのPop Conferenceで話すスティーヴ・ペリー
2019年4月、シアトルのPop Conferenceで話すスティーヴ・ペリー。
写真:Joe Mabel / 色調補正:SilverBullitt / CC BY-SA 4.0

2024年|父の古い声と、今の自分で一曲を作る

2021年からの『The Season』では、子どもの頃に聴いて心に残った曲を選び、ピアノや弦を中心とした伴奏で歌ってきました。
2024年の『The Season 3』では、別の人が残した声を今の歌に迎えます。
父レイが1993年に送ってくれたカラオケ・カセットから歌声を取り出し、新しい伴奏をつけて「Call Me Irresponsible」を一緒に歌ったのです。
父はすでに亡くなっており、二人が同じ部屋で録音した作品ではありません。

ペリーは、子どもの頃に父が歌ってくれた声を、そのテープで再び聴きました。
かつて叶わなかった父との共演が、古い録音を生かすことで実現したと説明しています。
歌を新たに録るだけでなく、残されていた声に自分の声を重ねることも、彼にとって音楽を作る方法になりました。

2025年|「Faithfully」に、昔から思い描いていた声を迎える

翌2025年、ペリーはJourneyの「Faithfully」をウィリー・ネルソンと歌い直しました。
原曲を録った1983年から、ネルソンにも合う歌だと考えていたといいます。

40年以上を経て、スティールギターやハーモニカを加えた新しい演奏の中で、二人の声が並びました。

ペリーが特に挙げたのは、ネルソンにしかない声と歌い回しでした。
本人は、1983年版ではバンドのロック・バラードとして歌を押し出し、今回はネルソンが定めた落ち着いた調子に合わせて歌ったと振り返ります。
ずっと想像していた別の歌い手が加わり、馴染みの曲に新しい歌い方が生まれました。

「Open Arms」で一音を磨いたペリーは、後年そのこだわりを捨てたわけではありません。
ライブで歌が育つことを知り、録音では粗さの中にある感情を残し、伴奏を引き、別の声と歌う道を選びました。
昔の歌い方と今の歌い方をつなぐのは、曲の気持ちを届けるために、その時々の声をどう残し、誰と歌うかを選び続けてきた時間です。

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