イアン・ギランの高音には、初めて聴いたときに驚くような激しさがあります。
1970年のライブに残る「Child in Time」では、抑えた歌から始まり、言葉のない声が少しずつ高くなって、ついには叫び声へ届きます。その道筋があるから、最後の高音が強く響きます。
ギランは、高音を出す能力だけで曲を成立させていたのでしょうか。
本人の話をたどると、ほかの声にハーモニーを重ねる経験や、歌詞を離れすぎない即興、共演者に刺激されて歌が変わる瞬間が見えてきます。激しい声を一曲の見せ場にするまでに、何をしていたのかを見ていきましょう。
高い声へ、一段ずつ上がっていく
「Child in Time」は、1970年の『Deep Purple in Rock』に収められた曲です。
ギランが歌う背景には、当時の冷戦への不安がありました。歌詞で状況を説明し尽くすのではなく、恐怖や緊張を歌に託そうとしたといいます。
この前提があると、歌詞から言葉のない声へ移っていく展開も、高音の腕試しだけには見えなくなります。
初めの抑えた歌があり、そのあとで声が段階的に高まり、強さを増していく。言葉を歌う部分と、言葉では表さない部分が、一曲の中で続いているのです。
リッチー・ブラックモアも、録音を振り返ったとき、ギランが段階を追って高い声へ上がっていったことを評価しています。
ギラン本人は録り直したがったものの、ブラックモアとジョン・ロードは、すでに良い歌になっていると判断しました。
ここで聴きどころになるのは、最高音そのものと、そこへ向かう時間の両方です。
同じ高音でも、歌い出しから何度も使うのと、抑えた歌のあとで初めて届くのとでは、曲の中での重みが変わります。「Child in Time」の叫び声は、そこまでの静かな歌を受けて現れるからこそ、一つの出来事になるのです。
高音は、誰かの歌に重ねる声から育った
ギランの高音が育った場所も、少し意外です。
Deep Purpleに入る前、彼はEpisode Sixというバンドで歌っていました。そこで女性メンバーのシーラがリードを歌う曲では、ギランは鍵盤へ回り、バックコーラスを担当していたそうです。
彼はシーラの声に重ねる高いハーモニーを歌い、さらに上の音も使えることに気づきました。
その経験で広がった声の使い方を、やがて自分が主役として歌うときにも持ち込んでいったのです。

つまり、彼の高音は、最初から一人で目立つためだけの声ではありませんでした。
ほかの人のメロディーに、どの高さの音を重ねれば響きが豊かになるか。その面白さを知っていた。ギラン自身も、ハーモニーを歌うことがずっと好きだったと話しています。
この話からは、高い音を単独で出すことと、音楽の中で高い声を使うことの違いが見えてきます。
前者なら、どこまで上がるかが焦点になります。後者では、ほかの声や楽器が何をしているか、自分の声が加わると響きがどう変わるかも大事になる。ギランが後に主旋律の中で使った高音には、そうしたハーモニーの経験もあったのです。
イエス役にも、Deep Purpleでの歌い方が求められた
「Child in Time」を聴いた作詞家のティム・ライスは、ギランを『Jesus Christ Superstar』へ誘います。
ギランが参加したのは、舞台や映画に先立って作られた1970年のオリジナル・アルバム。役はイエスでした。
「Gethsemane」は、死を前にしたイエスが、なぜ自分がその運命を引き受けるのかを問い、葛藤する場面の歌です。
ただ立派に、迷いなく歌えばよい役ではありません。弱さや怒りを含む人物として歌う必要があり、ギランの声の激しさにも、物語の中で理由がありました。
録音前、作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーがピアノで旋律を示す一方、ライスは、譜面をかたくなぞるだけでなく、ギランらしく即興を加えてほしいと求めました。
ギランが2025年に振り返った話では、ウェバーも即興を否定はせず、やりすぎないようにと念を押したそうです。
この二つの注文が、彼の歌を考えるうえで面白いところです。
自由に声を伸ばし、激しく歌っても、曲のメロディーや言葉とのつながりは必要になる。ギランに期待されたのは、イエス役のためにロックの歌い方を捨てることではなく、その声で人物の葛藤を表すことでした。
一人で行き詰まった歌が、二人で歌うと動き出した
ギランは、強い声を持つ歌手であると同時に、相手から刺激を受けることを好む歌手でもあります。
Deep Purpleを離れ、Ian Gillan Bandで1976年の『Child in Time』を作っていた頃、「Down the Road」の録音では、一人で長く歌ってもうまくまとまりませんでした。
そこで提案されたのが、ベーシストで歌手でもあるジョン・ガスタフソンと、一緒に歌うことでした。
ギランの説明では、一人で苦戦した曲が、二人で歌うとほぼ一度で形になったといいます。自分がゆっくり声を揺らしているところへ、相手の荒々しい声が加わる。その取り合わせを、彼は喜んでいました。

歌の組み立ては、高い音をもっと正確に出すことだけで変わるわけではありません。
相手が思いがけない声を出せば、自分の歌も変わる。一人では決めきれなかった勢いが、二人の違う声によって生まれることがある。「Down the Road」は、ギランがそうした反応を大切にしていたことの分かりやすい例です。
本人は、バンドの誰かが目立てば、自分ももっと頑張りたくなると語っていました。
歌手だけが前へ出続けるのではなく、メンバー同士が刺激し合う。その感覚は、長いギターやオルガンのソロがあるDeep Purpleで、声をどう生かすかにもつながっています。
叫び声だけを切り取らず、その前の歌から聴く
「Child in Time」と「Gethsemane」は、どちらもギランの高音を代表する曲です。
でも、一方には冷戦への不安があり、もう一方には死を前にした人物の葛藤がある。同じ歌手の激しい声でも、曲の中で表しているものは違います。
静かに始め、声を高め、言葉から離れて歌う。それがただの声量の誇示にならないのは、そこまでの旋律や歌詞があるからです。
ハーモニーで身につけた高音、相手の演奏に反応する感覚、曲の形を保ちながら自由に歌う経験が、あの見せ場を支えていました。
後年のギランは、その高音のすべてを昔と同じようには扱えないことを認めています。「Child in Time」を歌わなくなった理由と、そのあとに選んだ表現は、イアン・ギランの歌声の変遷でたどっています。
初期のギランの歌に戻るなら、叫び声が出る瞬間だけでなく、その前の抑えた一節から聴いてみたくなります。
どれだけ高く歌ったかに加えて、そこへ着くまでにどれだけ期待や緊張を高めたか。ギランの高音の面白さは、一曲を通してこそ分かるものなのです。
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