ジェフ・バックリィの声を「きれいな高音」だけで説明すると、いちばん面白いところを取りこぼします。彼の歌では、一節が予想より長く続き、言葉のない声が現れ、次の言葉へ行くタイミングまで曲ごとに変わります。
なぜ、一曲を決まった長さで歌い切らなかったのでしょうか。小さな店での「The Way Young Lovers Do」と、スタジオで録音した「Hallelujah」を手がかりに、声を自由に動かすことと、作品として歌を残すことの両方を見ます。
一節が終わっても、歌が終わらない
ヴァン・モリソンの「The Way Young Lovers Do」を、ジェフはニューヨークの店Sin-éで長く歌いました。1993年の録音は10分を超えます。本人はモリソンの即興的な声の使い方を意識し、それをさらに広げようとしたと語っています。
歌詞の一行を終えたら、次の行へ急ぐ必要はない。言葉のない声を挟み、同じ言葉の形を変え、まだその曲で言えることがあるかを探す。スキャットとは歌詞の意味を伝えるだけでなく、声の音やリズムそのものを使って歌う表現です。ジェフの場合、その寄り道が曲の長さまで変えてしまいました。
ただ、長く歌えば必ず心を動かすわけではありません。当時の評には、凝ったカバーが原曲の模倣へ近づきすぎるのではないか、巧みに歌うことと聴き手を動かすことは別だ、という見方もあります。その違和感があるからこそ、彼が何のために一節を延ばすのかを考えたくなります。
客を黙らせるために、声を強くしなかった
Sin-éでは、客が話し続ける時期もありました。ジェフは最初、聴いてもらおうと力み、演奏後に頭が痛くなることもあったそうです。ところが、部屋の音を敵にするのをやめました。食器洗い機の音まで覚え、その響きに合うキーを選んだという本人の話が残っています。
騒がしければ声量で勝つ、という発想から離れたのです。店の音が変われば、自分の歌の置き方も変える。決まった歌い回しを毎回そのまま出すのではなく、その日の部屋を一曲の条件にする。この姿勢が、ジェフの即興を単なる技巧の見せ場で終わらせませんでした。
「Hallelujah」で、自由な歌を選び取る
レナード・コーエンの「Hallelujah」では、声とギターを中心に一曲と向き合う姿が残っています。『Grace』に収める録音の際は、一度歌って終わりではありませんでした。完成版には複数のテイクが使われています。
その場で新しい形を見つける人だからこそ、録音では、どの歌を作品に残すか決めなければなりません。プロデューサーのアンディ・ウォレスも、次々とアイデアを出すジェフの演奏を、アルバムとしてまとめる仕事の難しさを振り返っています。「即興」と「何でも最初の一回で完成」は、同じ意味ではないのです。
声に、言葉で説明しきれない部分を任せる
ジェフは、歌詞が経験を言葉で表すのに対し、声の響きそのものにも歌の内容があると考えていました。だから歌詞のない声へ移ることも、一語を長く残すことも、意味から外れた飾りではありません。言葉だけでは終わらない感情を、声で続ける方法だったのでしょう。
本人は公演後、知らない人に私生活を話しすぎた翌朝のような気持ちになると語っています。声を自在に動かせることは、平気で何でもさらけ出せることではない。ためらいがあるのに、そこへもう一節踏み込む。その緊張も、ジェフの歌をただの技巧にしない理由です。
彼の歌い方を特徴づけるのは、高音の高さより、一曲を完成済みの形として扱わないことでした。一節を延ばす自由と、どの歌を残すか選ぶ厳しさが一緒にある。次はどこで歌を切り上げるのか、簡単には予想できません。
一人での独演からバンドとの歌へ、その自由をどう広げたかは、ジェフ・バックリィの歌声の変遷でたどっています。

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