ジェフ・バックリィの歌を「きれいな高音」で覚えている人は、多いと思います。
けれど、その声はきれいなまま一定の形に収まっているわけではありません。柔らかな声が強い叫びに変わり、一つの言葉が長く伸び、歌詞のない声まで曲の一部になる。音の高さだけを追っていると、彼が一曲の中でしていることを取りこぼしてしまいます。
彼にとって歌うことは、決めたメロディーを再現するだけでなく、その場でもう一度曲を作っていくことでした。
客の話し声がする小さな店でも、バンドと入った録音スタジオでも、歌の形を試すのをやめなかった。その積み重ねから、あの自由な歌い方をたどってみましょう。
1994年のアルバム『Grace』に収められた「Hallelujah」は、レナード・コーエンの曲です。アルバム制作中のベアズヴィルで歌う姿には、声とギターだけで一曲に向き合うジェフが残っています。
聴いてもらおうと力むのを、やめた
1990年代初め、ジェフはニューヨークの小さな店、Sin-éで一人で歌っていました。
客が数十人も入ればいっぱいになるような場所です。楽器は主にエレキギター。弾き語りといっても、アコースティックギターで静かに歌うだけの人ではありませんでした。
彼は子どもの頃から、車のラジオに合わせて母親とハーモニーを歌っていたといいます。それでも、人前に立てば最初から全員を黙らせられた、というわけではありません。

Sin-éでは、客がおしゃべりを続ける時期が何か月もありました。
ジェフは聴いてもらおうと頑張り、演奏のあとに頭が痛くなったこともあったそうです。そこで変えたのは、客を静かにさせようとする姿勢でした。話し声も、その部屋で鳴っている音の一つとして受け入れるようになったのです。
本人は、食器洗い機の音まで覚え、その響きに合うように曲のキーを選んだという話もしています。ここで面白いのは、機械の音がうるさいから歌を中断するのではなく、演奏のほうを変えてしまったことです。
聴衆も場所も毎回同じではない。だから、用意した歌い方を押し通すだけではうまくいかない。
彼の即興は、大きな見せ場で突然思いつくものだけでなく、目の前の状況に合わせて歌う日々の中にもありました。
一節を歌い終えても、まだ先がある
Sin-éでの歌を知るうえで面白いのが、ヴァン・モリソンの「The Way Young Lovers Do」です。
1993年のライブ録音では、10分を超える演奏になっています。ジェフ自身も、モリソンのスキャット――歌詞の意味より、声の音やリズムを使って自由に歌う表現――を思い浮かべ、それをさらに広げようとしたと話していました。
一節を歌い終えたら、すぐ次の歌詞に進む。それだけが、曲を進める方法ではありません。
同じ言葉を別の調子で繰り返したり、言葉から離れて声を動かしたりすることで、一つのメロディーの周囲を探ることもできる。ジェフの歌は、曲の長さそのものを変えるところまで進んでいました。
ただ、こうした歌い方が誰にでも歓迎されたわけではありません。当時から、凝ったカバーが原曲の模倣に近づきすぎるのではないか、巧みに歌えることと聴き手を動かすことは別ではないか、という見方もありました。
この引っかかりは、彼の歌を楽しむうえでも残しておきたいところです。
長く歌えば深い表現になる、という決まりはありません。声を自在に動かせるぶん、歌の寄り道を長すぎると感じる人もいる。それでもジェフは、原曲を手際よく歌い切るより、自分がその歌の中で何をできるかを試そうとしていたのでしょう。
高音は、その試行錯誤の一部分です。高い音に届いた瞬間だけでなく、そこまでの一節がどれくらい伸び、どんなふうに次へ進むのかにも、彼らしさがあります。
自由に歌うために、バンドが必要だった
一人なら、歌を伸ばすのも止めるのも自分で決められます。
それなのに、ジェフはソロの演奏だけで満足しませんでした。自分一人でできることには限りがあり、録音にはほかの人のアイデアが必要だと話しています。
『Grace』でバンドと演奏した経験についても、彼が喜んでいたのは音を大きくできることだけではありません。瞬間ごとの強弱や即興を、ほかのメンバーと一緒に作れることでした。
自分が思いついた歌い方に伴奏を付けてもらうだけなら、歌の発想は一人分のままです。相手の演奏から思いがけないメロディーが生まれるところに、バンドで歌う意味がありました。
その関係がよく表れているのが、ギタリストのマイケル・タイと共作した「So Real」です。
タイがギターのフレーズを弾くと、ジェフはドラムを叩きながら歌い始めました。まだ歌詞は完成していません。まず、ギターに反応した歌のメロディーがあったのです。
その後、ジェフは夜中に散歩へ出かけ、約2時間後に戻ってきました。タイの回想では、戻ったジェフは曲の最後まで歌詞を歌い、2回のテイクで録音したといいます。
この話の面白さは、思いつきだけで一曲できたことではありません。
まだ歌詞の定まっていなかったメロディーが、散歩のあとには一曲分の歌になっていた。歌声は完成品を仕上げる最後の飾りではなく、曲ができていく途中から働いていました。
Sin-éでは一人で既存の曲を広げていたジェフが、今度は相手のギターを受けて、新しい歌を作っている。即興で歌う力は、カバーの長い見せ場だけに使われていたわけではないのです。
一度うまく歌えても、そこで録音を終えない
その場で生まれる歌を大切にした人、と聞くと、最初に歌った勢いをそのまま録音していたようにも思えます。
けれど、完成した『Grace』の「Hallelujah」の音源には、何度も歌い直したなかから、複数のテイクが使われています。一度の演奏を最初から最後まで、そのまま残した録音ではありません。
周りが心を動かされた演奏でも、本人はさらに次を求めました。
自由に歌えることと、自分が満足する歌を録音できることは、同じではなかったのでしょう。歌うたびに違う形が出てくるからこそ、どれを作品に残すかという判断も必要になります。
プロデューサーのアンディ・ウォレスも、ジェフには次々とアイデアが浮かぶため、誰かが方向を定めなければアルバムは完成しなかったと振り返っています。
発想を広げるジェフと、一枚の作品にまとめるウォレス。『Grace』には、歌い続ける自由だけでなく、そこで生まれた歌を選ぶ仕事も含まれているのです。
歌い終わってから、打ち明けすぎたと感じる
これほど自由に声を使える人なら、ステージでも自信に満ちていたように想像します。
ところがジェフは、ライブから帰ると、前の晩に知らない人へ私生活を話しすぎた朝のような、妙な気持ちになると語っていました。人前で深いところまで歌うことには、本人にとっても気恥ずかしさがあったのです。
彼は、歌詞が経験を言葉で説明するのに対して、声の響きそのものに歌の内容があると考えていました。
一語を長く伸ばすことも、静かな声から叫びへ向かうことも、その言葉にどんな気持ちを込めるかを試す方法だった、と読むとつながります。
そんな歌は、別の歌手が自分の声を受け入れるきっかけにもなりました。トム・ヨークは、ジェフの公演を見て、自分の柔らかい声にも居場所があると感じたと振り返っています。トム・ヨークの歌声の変遷では、その後、彼が声の使い方をどう広げたかをたどっています。
ジェフ・バックリィの歌い方を特徴づけるのは、高い音を出せることに加えて、一つの歌を完成済みの形として扱わないことでした。
店で一節を伸ばし、相手のギターからメロディーを見つけ、録音でも別の歌い方を探す。だから同じ曲でも、別の日の演奏を聴く理由がある。次はどこまで声を伸ばし、どこで歌を切り上げるのか。その予想しきれなさまでが、彼の歌の楽しみになっています。
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