レッド・ツェッペリンの「Black Dog」は、重いギターが鳴り続ける曲ではありません。
ロバート・プラントが歌い始めると、伴奏がなく、声だけになる。
そのひと節が終わると、今度はバンドが勢いよくリフを返してきます。
大きな音に負けない高音、というだけでは、この歌の面白さを説明しきれません。
伴奏が止まっている間、曲を前へ進めているのはプラントの声です。
そして声が止まったときに、演奏の迫力がもう一段はっきりする。
プラントは、声を出すことと同じくらい、周りの音をよく聴いて歌う人でもあります。
「Black Dog」の掛け合いから、ギターと競い、のちには別の歌手と細かく息を合わせるようになるまで、その歌い方を見ていきましょう。
歌っている間は、声がリズムを引っ張る
1971年の『Led Zeppelin IV』に収められた「Black Dog」。
歌の最初の掛け合いでは、プラントの声とバンドのリフを、交互に聴くことになります。
ここでいうリフは、ギターやベースが繰り返す、短くて印象的なフレーズのことです。
プラントの歌は、言葉を同じ長さで並べてはいません。
短く続けて歌うところがあり、最後の言葉では声を伸ばす。
伴奏が鳴っていないぶん、言葉を詰める勢いも、声を伸ばす時間も、そのまま曲の動きとして伝わってきます。
そのあとに返ってくるリフは、歌の旋律をそのままなぞるわけではありません。
別の形をした、重くうねるフレーズです。
声と演奏を同時に重ね続けず、片方ずつ聴かせることで、それぞれの強さがよく分かる仕組みになっています。
ギタリストのジミー・ペイジも、この曲の構成を「コール・アンド・レスポンス」、つまり呼びかけと応答として説明しています。
ここでは歌に対して、言葉ではなく楽器の音が答えるのです。
ギターが入ってきた瞬間が気持ちよいのは、その直前を声だけで引っ張っていたからでもあるでしょう。
歌が独立して聞こえるからといって、プラントがバンドと無関係に歌っているわけではありません。
歌のひと節とリフが一組になり、その組み合わせが繰り返されることで、次の声、次の演奏を待ちたくなる。
この曲では、歌い手が黙る瞬間も、歌のかっこよさの一部になっています。
あの高音は、きれいに伸びるだけではない

プラントの高音は、旋律をはっきり歌いながら、叫びのように荒々しく響くところがあります。
「Black Dog」でも、音を長く保つところだけでなく、言葉の頭を強く出したり、語尾を引っ張ったりするところに、歌の勢いが表れます。
一つひとつの言葉を均等に整えるより、今まさに相手へ声をかけているような歌です。
伴奏が途切れずに鳴っていたら、声の細かな形を追う前に、バンド全体の大きさに圧倒されるかもしれません。
この曲では声がむき出しになるため、声を出した瞬間の鋭さや、伸ばした音の揺れまで前に出ます。
高い音そのものに加えて、その高い音をどう始め、どう終えるかが印象に残るのです。
そして、歌詞を歌い終えても、声の出番は続きます。
本人はツェッペリン時代を振り返り、歌詞を歌い終えても歌い続けることが、自分の特徴になったと話しています。
言葉の意味を伝えたあとも、声の音そのものを使って演奏に加われたわけです。
歌詞のない声は、曲からはみ出した余分な叫びとは限りません。
ギターが言葉なしで気分を高めるように、プラントも声の上がり下がりや勢いで、次の展開を作ることができます。
「Black Dog」のはっきりした掛け合いを手がかりにすると、ほかの曲で声が楽器のように動く場面にも、目が向きやすくなります。
自由に歌えるのは、バンドが反応してくれるから
では、プラントが予定にない歌い回しをしたとき、周りのメンバーはどうしていたのでしょうか。
本人は1977年、初めて出てきた歌のフレーズにドラマーのジョン・ボーナムがすぐ反応し、ジミー・ペイジも加わったり、別のフレーズを始めたりすると説明しています。
歌手だけが自由に動き、伴奏が決まった形を守る、という関係ではなかったのです。
ドラムが歌の細かな動きを拾ってくれるなら、歌い手はもう少し違うことを試せます。
そこへギターも加われば、最初の声から、バンド全体の展開が生まれる。
プラントの大胆さには、自分の声に対する自信だけでなく、周りのメンバーが聴いてくれていることも関わっていたのでしょう。
一方で、すべてを行き当たりばったりにしていたわけでもありません。
長いギターの演奏にも、皆で次の展開へ進む場所があり、その少し前に音で合図があった、とプラントは振り返っています。
自由に動ける区間と、皆で次へ進む場所の両方があったから、長い演奏にも参加できたのです。
「Black Dog」の録音にある掛け合いと、ライブで展開を変えていく演奏は、同じことではありません。
それでも、声を一方的に乗せるのではなく、ほかの音が何をしたかを受けて歌う点には、共通する面白さがあります。
あの強い声の持ち主は、バンドの中で何が起きているかにも敏感でした。
別の歌手と重ねると、言葉の終わりまで変わる

こうした歌い方は、後年のアリソン・クラウスとの共演を考えると、また違って見えます。
クラウスは、ブルーグラスやカントリーで知られる歌手で、バイオリンも弾く人です。
二人が違う高さの音を同時に歌い、一つのハーモニーを作る場面では、プラントの声だけが勢いよく飛び出せばよい、とはいきません。
例えば、一人が単語の最後の母音をまだ伸ばしているのに、もう一人が子音を発音して終わってしまうと、二人の歌がそろって聞こえにくくなります。
音程が合っていても、言葉の終わり方がずれることはあるのです。
クラウスは実際に、単語の最後の子音をどうそろえるかを二人で話し合ったと説明しています。
プラント自身も、彼女との共演で、ハーモニーについて学んでいると話しています。
「Black Dog」では一人で歌を引っ張った声を、今度は相手と同時に響かせ、一つのまとまりとして聴かせる。
そのためには、どこまで音を伸ばし、いつ言葉を終えるかを、相手の声に合わせる必要がありました。
面白いのは、クラウスもまた、プラントの予測できない歌い方を楽しんでいることです。
細かく合わせる場面があっても、彼の自由さをすべて消す必要はない。
二人でそろえる部分と、その場で変わる部分を持つことで、違う歌い方をしてきた二人の声が一つの曲になっています。
この共演に至るまでに、ソロ作品でも歌い方は大きく広がりました。
1983年の「Big Log」から近年のSaving Graceまでの歩みは、ロバート・プラントの歌声の変遷でたどっています。
強い声を持つ人が、いつ歌い、いつ待つか
「Black Dog」に戻ると、高音そのものに加え、歌い終えたあとの演奏にも耳が向きます。
プラントの声が一人で曲を引っ張り、歌を止めたところでバンドが答える。
声の強さは、その前後の演奏や、音が途切れる時間と一緒に働いています。
そこから自由なライブの演奏へ進めば、彼の歌い回しにドラムやギターが反応する面白さがある。
別の歌手とのハーモニーでは、語尾をそろえる細かさが必要になる。
同じ人の歌でも、共演する相手によって、声を出すタイミングや終え方の意味が変わるのです。
プラントの高音は、それだけでも忘れがたいものです。
けれど「Black Dog」で一番待ち遠しくなるのは、高い音が出る瞬間だけではないでしょう。
声が終わってリフが返り、またあの声が入ってくる、その繰り返しごと好きになれる歌です。
こちらの記事もおすすめ






コメント