尾崎紀世彦さんの歌を「ものすごい声量の歌手」と説明するのは簡単です。
しかし、それだけでは「また逢う日まで」が半世紀を越えて聴かれる理由も、洋楽やハワイアンまで自然に歌えた理由も見えてきません。
あの歌声の中心にあるのは、力で高音を押し切ることではなく、曲の言葉とリズムへ声の大きさを従わせる感覚です。
本人は自分を華やかなスターではなく「歌屋」と呼びました。
大きな声を見せる人ではなく、渡された歌を成立させる人。その考え方から見ると、太い高音の印象が少し変わります。
尾崎紀世彦は、なぜ自分を「歌屋」と呼んだのか
「また逢う日まで」で日本レコード大賞を受賞した歌手なら、自分の声を特別な才能として語っても不思議ではありません。
ところが晩年の尾崎さんは、歌手という肩書きよりも、求められた歌を歌う「歌屋」という言い方を好みました。
その背景には、ソロデビューより十年ほど長い下積みがあります。
十代の頃からハワイアンバンドに入り、カントリーの現場でも歌い、コーラスグループのザ・ワンダースでは一人で主役を取るのではなく、他人の声と重なる仕事を経験しました。
声が大きければ、合唱やコーラスでいつでも正解になるわけではありません。
前へ出る場面と、相手を立てる場面を選ぶ必要があります。
尾崎紀世彦の豪快な歌声に独りよがりな印象が少ないのは、ソロ歌手になる前に「自分の声をどこへ置くか」を覚えたことと無関係ではないでしょう。
「また逢う日まで」は、声量より先にリズムが新しかった
この曲の旋律には、尾崎さんが歌う前の姿がありました。
別の歌詞と題名で発表された曲を作り直し、尾崎紀世彦という歌い手に渡したことで、現在知られる「また逢う日まで」になっています。
重要なのは、立派な声に合う壮大なバラードとして作り直したわけではないことです。
公式資料では、当時の歌謡曲として新鮮だった16ビートの感触と、男女が対等に別れる歌詞が、この曲の新しさとして挙げられています。
尾崎さんの太い声は、重い伴奏の上で長く伸びるだけではありません。
短い言葉を拍の流れへ乗せ、サビへ向かって一気に景色を開きます。
だから迫力があっても、声だけが曲から飛び出しません。

同じ時代の男性歌手でも、布施明の歌い方は旋律を大きく描く魅力が前へ出ます。
尾崎さんはそこへ、ハワイアンやカントリーで身につけた軽快な運びを混ぜました。
似た「声量のある昭和歌謡の名手」でも、曲の進ませ方は同じではありません。
太いのに乾いて聞こえる声が、言葉を隠さない
尾崎紀世彦の声は、紹介する人によって表現が変わります。
公式資料は「乾いたパワフルなヴォーカル」と表し、発声を分析する記事には、響きが豊かで息漏れが少ない声、喉の奥行きを感じる声という説明があります。
「乾いている」と「響きが豊か」は反対のようですが、指している場所が違います。
前者は音色の印象、後者は声が痩せずに広がる様子を説明した言葉です。
息が大量に漏れる柔らかな声ではない一方、湿った重さで言葉が埋もれる声でもない、と考えると両立します。
一方で、高音を地声やミックスボイスの一語で断定することはできません。
専門的な解説でも、低い喉頭位置を強調する見方、鼻や喉の響きを強調する見方、厚いミックスと呼ぶ見方に分かれます。
外から聞いた音だけで、声帯の動きを確定できないためです。
初心者がつかむべき結論は、名称ではありません。
太く聞こえるからといって、話し声と同じ力をそのまま上へ押し上げてはいないことです。
表面の低さや強さだけを真似すると、尾崎さんの開放感ではなく、ただ動かしにくい声になります。
大きなビブラートは、歌を止める飾りではない
尾崎さんといえば、長く伸ばした音の大きな揺れも印象的です。
分析記事では、揺れの深さだけでなく、周期がそろっていることや、フレーズの入り口を少し下から持ち上げる歌い回しが指摘されています。
ここでも大切なのは量より位置です。
すべての音を同じように揺らすのではなく、言葉を届けた後の余白や、曲の山場へビブラートを置くから効果が出ます。
歌い始めから最後まで揺らし続ければ、旋律の輪郭は反対にぼやけます。
松崎しげるの歌い方にも大きな声とビブラートがありますが、松崎さんは共演者や客席に応じて歌を動かす即興性が中心です。
尾崎さんの場合、堂々とした一音の中に、洋楽のフレーズ感と日本語の明瞭さを同居させるところに個性があります。
裏声を好まなかった青年が、晩年にはきれいな裏声を誇った
尾崎さんの経歴には、声量のイメージと正反対の面白い話があります。
若い頃にハワイアンバンドへ入ったものの、当初は裏声で歌うことを好まなかったという回想です。
ハワイアンでは、力強い地声だけでなく、滑らかな高音や声の切り替えが求められます。
苦手意識のあった声まで仕事の中で使い続けたことが、後の選択肢を広げました。
2008年のインタビューでは、デビュー時から音域は変わらず、裏声もきれいに出ると本人が話しています。
若い頃から何でも簡単にできたのではありません。
好みではなかった歌い方まで通り抜けた結果、必要な時に選べる声になったのです。
これは「高音は地声で出せるほど偉い」という見方を崩します。
太い声を持つ人が、細く軽い声を捨てなかったからこそ、一曲の中で力を使い切らずに済みます。
地声と裏声の境目を整える考え方を読む際も、どちらか一方を勝たせるのではなく、両方を選べることが目的です。
洋楽カバーを聴くと「また逢う日まで」の外側が見える
尾崎紀世彦を一曲だけで知ると、昭和歌謡の大スターという像で止まりがちです。
実際には、ビートルズ、映画音楽、ジャズのスタンダードまで、英語曲を含む幅広いレパートリーを歌いました。
「Yesterday」では、巨大なクライマックスを作らなければ成立しない歌ではありません。
「Speak Softly Love」や「Till」では、旋律の長さと声の色を生かす別の役割が求められます。
曲ごとに声の大きさを変えられるから、「また逢う日まで」の迫力も選択として成立します。

1990年代には、テレビ番組で当時の新しいヒット曲を歌う機会が増えました。
自分の黄金期の曲だけに閉じず、世代の違う歌へ入っていく姿は、「歌屋」という自己紹介そのものです。
高音を学ぶ読者が参考にできるのも、声の大きさではなく、この可変性です。
一曲を原曲キーで押し切れるかより、曲に応じて太さ、音量、裏声の割合を変えられるかを見る方が、尾崎紀世彦の本質へ近づきます。
尾崎紀世彦の歌い方は、力を見せるより歌を成立させる
「また逢う日まで」の高音は確かに強烈です。
ただし、その強さは肺活量や声量だけから生まれたものではありません。
ハワイアンで覚えた声の切り替え、カントリーや洋楽で得たリズム、コーラスで身につけた声の置き場所が、一つの歌謡曲へ集まっています。
太い声なのに言葉が埋もれず、大きなビブラートが曲を止めないのは、その土台があるからです。
本人が最後まで「歌屋」と呼んだのは、謙遜だけではなかったのでしょう。
声を自慢するより、どんな歌でも自分の仕事として届ける。
尾崎紀世彦の歌唱力は、最も有名な一音よりも、その一音を必要な場所へ置けることに表れています。
ソロ以前から晩年までの変化は、尾崎紀世彦の歌声の変遷で詳しくたどります。
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