マイケル・ボルトンの歌い方|力強い声で、恋愛の弱さを歌う

マイケル・ボルトンの歌を思い浮かべると、まず、かすれを含んだ太い声と、長く張り上げる高音が浮かびます。
ところが、その声で歌っているのは、いつも自信に満ちた人物ではありません。
相手を失うことが怖い。恋が終わっても、気持ちを切り替えられない。そんな心細さを、大きな声で歌う人でもあります。

なぜ、強い声で歌うほど切実になるのでしょうか。
1991年の「When a Man Loves a Woman」と、彼自身が書いたバラードをたどると、ボルトンの熱唱が何を伝えようとしているのかが見えてきます。

強い声の主人公が、強い人とは限らない

「When a Man Loves a Woman」は、パーシー・スレッジが1966年にヒットさせた曲です。
ボルトンは、この曲を恋の素晴らしさだけを歌ったものとは捉えていません。誰かに夢中になるほど傷つきやすくなり、その人に人生を左右されてしまう歌だと説明しています。

この前提があると、あの熱唱の受け取り方も変わります。
声の大きさを、主人公の余裕や自信と結びつける必要はありません。相手をそれほど必要としているから、訴えも大きくなる。力強い声から、恋愛の心細さを聴くことができるのです。

一方で、ボルトンの歌い方は、聴き手の好みがはっきり分かれます。
胸に迫る熱唱と受け取る人がいれば、声の圧力が強すぎて、曲の繊細さを味わいにくいと感じる人もいます。「How Am I Supposed to Live Without You」にも、声が伴奏を圧倒しているという批評がありました。

その好き嫌いを、高音が出るかどうかだけで説明するのは難しいでしょう。
歌の主人公が抱えた感情を、どのくらい大きく表に出してほしいか。ボルトンの歌では、聴き手の好みがそこまで問われます。

1990年、グラミー賞でのマイケル・ボルトン
1990年、グラミー賞でのマイケル・ボルトン。写真:Alan Light / CC BY 2.0

サビで叫ぶ前に、何を失いそうなのか

「How Am I Supposed to Live Without You」は、ボルトンとダグ・ジェイムズの共作です。
1983年にローラ・ブラニガンが先に発表し、ボルトン自身も1989年の『Soul Provider』で歌いました。

この曲の主人公は、好きな人が別の誰かを選んだことを知ります。
相手を責め切れる立場でもなく、それでも、自分の希望がなくなった痛みは消えない。そんな状況から、相手のいない毎日をどう生きればよいのかという問いが生まれます。

ボルトンは、男性歌手としても強い表現を求められる曲が自分の持ち歌には多い、と話しています。
ただ、その歌唱力を最後の高音だけで判断すると、サビが切実に響く理由を見落とします。サビまでに、主人公は相手の決断を確かめ、自分の望みがかなわないことを理解している。そのうえで抑えられない気持ちを歌うから、サビの訴えに理由ができるのです。

実はこの曲、当初はエア・サプライが録音する話もありました。
ところが、レコード会社側からサビの歌詞を変えるよう求められ、ボルトンたちは断ります。その後、ブラニガンへと曲が渡りました。
まだ歌手として大成功する前のボルトンにとって、他の人気歌手に歌ってもらえる機会は貴重だったはずです。それでも、サビの言葉を変えてまで実現させることは選びませんでした。

高音を披露できるメロディさえ残ればよい、という曲ではなかったのでしょう。
何を訴える言葉なのかが決まり、その言葉を歌う声がある。ボルトンを「バラードを大声で歌う人」とだけ捉えると、歌を作る段階から大切にしてきたことが抜け落ちてしまいます。

シナトラの曲でも、ボルトンの熱さが残る

恋愛を歌う男性歌手にも、さまざまな表現があります。
ボルトンは、敬愛するフランク・シナトラが、歌詞をよく理解し、作り手の意図を歌にする人だったと話しています。彼が尊敬したのは、声そのものだけではありません。

2006年の『Bolton Swings Sinatra』では、シナトラで知られるスタンダード曲に取り組みます。
最初からシナトラの作品集を作ろうとしたのではなく、ビッグバンドと歌う曲を選んでいたら、シナトラが歌った名曲が何度も候補に上がったことから生まれたアルバムでした。

ここでの歌唱は、シナトラの涼やかな余裕をそのまま再現するものにはなりませんでした。
ボルトンは旋律に強く感情を込め、その熱さとビッグバンドの軽快な演奏との組み合わせが、作品の特徴として評されています。「Fly Me to the Moon」や「I’ve Got You Under My Skin」でも、歌手が変われば、同じ曲の人物像まで変わってくるわけです。

好きな歌手の曲を歌うことと、その歌手そっくりに振る舞うことは別なのでしょう。
ボルトンはシナトラから言葉への向き合い方を学びながら、自分の感情の強さを持ち込んでいます。恋愛をさらりと語るより、思いの大きさを隠さずに歌う。その姿勢は、自作のバラードからスタンダード曲へ移っても残りました。

2006年、フロリダ州の公演で歌うマイケル・ボルトン
2006年、フロリダ州の公演で歌うマイケル・ボルトン。写真:Carl Lender at https://www.flickr.com/photos/clender/ / CC BY-SA 3.0

大声で歌うだけでは、曲は伝わらない

とはいえ、ボルトンがどんな曲にも同じ熱唱を当てはめているわけではありません。
2023年の『Spark of Light』に入った「Running Out of Ways」では、共作者エイジア・ホワイトテイカーが歌った解釈を参考にしています。本人は、難しい歌唱を要求される曲だと感じながらも、その歌に説得力を認めていました。

すでに自分の歌い方で長く成功している人が、他の人の歌い方を手掛かりにする。
ここには、声を強く出せばそれで完成するとは考えていない、歌い手としての姿勢があります。自分の声で歌うことは大切でも、その曲がどんな歌を必要としているかは、そのつど考えるのです。

長年の代表曲についても、本人の捉え方は変わっています。
客席には、その曲とともに恋をした人、家族を持った人、つらい時期を過ごした人がいる。ボルトンは、そうした聴き手の経験を意識して歌うようになったと話しています。

「When a Man Loves a Woman」では、恋をするほど傷つくのが怖くなる。「How Am I Supposed to Live Without You」では、好きな人を失っても諦められない。
ボルトンは、そんな弱さを小さく隠すより、声を張って訴える歌手です。高音の迫力に驚いたあとで、何をそんなに切実に訴えているのかへ耳を向けると、熱唱の意味がいっそうはっきりしてきます。

その声を長く使うために、成功後も歌い方を学び直していました。ロック時代からパヴァロッティとの共演へ至る転機は、マイケル・ボルトンの歌声の変遷でたどっています。

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