マイルズ・ケネディ(Alter Bridge)の歌声の変遷|憧れの高音から、自分が好む低い声へ

2017年、Nova Rockで歌うマイルズ・ケネディ シンガー
Alfred Nitsch / CC BY-SA 4.0

Alter Bridgeの最初のシングル「Open Your Eyes」を作っていたとき、マイルズ・ケネディは曲の途中で歌詞のない高い声を出しました。
ギタリストのマーク・トレモンティによると、マイルズはそのまま通り過ぎようとしましたが、トレモンティが一節を曲に残そうと提案しました。
いまでは客席も一緒に歌う、バンドを代表する場面です。

そんな高音で知られるマイルズが、近年は低い声の響きも好み、高い音は強調したい場面に置くと話しています。
高音を失ったから低く歌うようになった、という単純な話ではありません。
憧れの歌手の声を追い、別のバンドでは荒い声を試し、自分の言葉を歌うために音域を選ぶ。
どこで何を歌いたいかが変わるにつれ、同じ声の使い道が広がっていきました。

1994~2002年|高い声に道を見つけても、自分の声はまだ探していた

1994年の終わり、マイルズはジェフ・バックリィのアルバム『Grace』を聴きました。
当時のロックには低めの声で歌う人が多いと感じていた彼にとって、高い声を伸びやかに使うジェフの音楽は励みになりました。
マイルズ自身は高い声の持ち主で、それを古い型の模倣ではなく、自分の音楽に使ってよいと思えたのです。

ただ、進む方向を見つけることと、自分らしく歌えることは別でした。
マイルズはThe Mayfield Fourの最初のアルバム『Fallout』(1998年)を後から聴くと、ジェフの影響が強く、自分が何者かまだ分かっていない歌手の声に聞こえると話しています。
当時の制作中には、新しいRadioheadのアルバムをすぐに聴きたがったマイルズへ、プロデューサーのジェリー・ハリスンが、録音が終わるまで待つよう勧めたこともありました。
好きな歌手を吸収しすぎると、その人の声や作風に引っ張られるからです。

バンドは2001年に二作目『Second Skin』を出します。
その制作中、プロデューサーのピーター・コリンズから、低い声も使うと高音がいっそう効果を持つと勧められたことを、マイルズは後になっても覚えていました。
やがてバンドは活動を終えます。
スラッシュから別のバンドの歌手を探していると連絡が来たのは、マイルズが自分の曲や将来に自信を持てずにいた時期でした。
本人は、その大きな役割を引き受ける心の準備ができていないと考え、参加しませんでした。
目立つ声を持っていても、どこで歌うかは、声が出るだけでは決められなかったのです。

2004~07年|高音の見せ場を、バンドの曲に育てる

その後、トレモンティたちからデモを受け取ったマイルズは、新しいバンドなら自分の声と曲作りが合うかもしれないと感じます。
2004年1月にトレモンティのもとへ行き、数か月の制作を経て、Alter Bridgeのデビュー作『One Day Remains』ができました。
加入前からメンバーが考えていた曲の素材はありましたが、完成した歌をただ渡されたわけではありません。
二人は「Open Your Eyes」のサビを一緒に作り、冒頭で触れた歌詞のない声も、その作業の中で見つかりました。

ただし、その録音のマイルズが、すでに力を抜いて歌う方法を身につけていたわけでもありません。
後年、当時は何時間も声を温め、うまく出ないところを力で押そうとしていたと振り返っています。
その後、学んでいた発声の方法を、自分の歌の中で使えるようにしていきました。
最初のアルバムに高い声を記録した後も、本人にとって歌い方を探す時間は続いていたのです。

2007年の二作目『Blackbird』では、ギターを弾く役割も広がりました。
マイルズは一作目からトレモンティと曲を書いていましたが、二作目では全曲の共作に加わり、ギターの演奏も録音に残しています。
「Ties That Bind」を含む二作目では、高い声を聞かせる歌手であると同時に、曲とギターを担う存在になっていました。

2008年のマイルズ・ケネディ
2008年のマイルズ・ケネディ。写真:albes83 / CC BY-SA 2.0

2009~12年|スラッシュとの活動では、荒い声も試した

2002年に断ったスラッシュから、2009年に再び連絡が来ます。
今度は送られた曲にマイルズが旋律と歌詞をつけました。
翌年に出たスラッシュのソロ作で「Starlight」と「Back from Cali」を歌い、共に公演するようになります。

マイルズ自身は、スラッシュとの音楽には、ブルースやソウルから吸収した節回しをより多く持ち込み、Alter Bridgeでは歌をまっすぐに進める傾向があると説明しました。
二つの活動で同じ高音を繰り返すのではなく、曲の土台に合わせて声の曲げ方を変えていたのです。

スラッシュと組み始めた2010~11年ごろには、荒さのある声も試しました。
しかし本人によれば、それを続けると音程を保ちにくくなったため、澄んだ声を選ぶようになりました。
荒い声が使えなくなったと断じたのではなく、自分の歌で何を優先するかを決めたということです。
若いころに憧れた高音も、スラッシュとのロックに合わせた節回しも、無条件に増やしていくものではありませんでした。

2018年|父のことを歌うため、低めの声を選んだ

最初のソロアルバム『Year of the Tiger』で、マイルズは幼いときに亡くした実の父と家族の経験を歌います。
Alter Bridgeの大きなギターの音や、スラッシュとの華やかなロックとは違う場所で、個人的な言葉をどう届けるかを考えました。

本人は、音を詰め込まないアコースティック中心の編成と、低めの声がその話に合うと判断しています。
歌にしたい出来事が先にあり、その言葉を伝えるために声と楽器の量を選んだのです。

マイルズは、家族の話をどこまで公にしてよいか、不安も感じていました。
それでも正直に歌えば、似た経験を持つ人に届くかもしれないと考えます。
初期に憧れた高い声が彼の道を開いたなら、この作品では、低い声が自分の話を自分の言葉で語る助けになりました。

2018年7月、ミラノのソロ公演で歌うマイルズ・ケネディ
2018年7月、ミラノのソロ公演で歌うマイルズ・ケネディ。写真:SuperVirtual / CC BY-SA 4.0

2019~24年|低い声も好み、ソロでは再びロックへ

低い声で『Year of the Tiger』を歌ったあとも、ソロ活動を静かな曲だけに限ったわけではありません。
2019年の取材では、デヴィッド・ボウイの歌を聴くうち、これまで自分の低い音域を十分に使っていなかったと気づいたと話しています。
この取材で、マイルズは二作目の制作時に受けた低音への助言も振り返りました。
家族の物語に合うため選んだ低い声は、その響き自体を本人が好む声の一つにもなっていました。

二作目『The Ides of March』(2021年)は、公演が止まった2020年の経験から人々が抱いた感情を歌詞に取り入れ、本人の説明では、前作よりロックとブルースの色が強くなりました。
タイトル曲はAlter Bridgeで使う案も出ましたが、マイルズは、その曲がなければソロアルバムが完成しないと考えて残しました。
バンドごとに曲を振り分けるだけでなく、自分の名前で何を歌うかを決めていたのです。

三作目『The Art of Letting Go』(2024年)では、さらにギターのリフを中心にした曲を作ります。
本人によれば、以前のソロ作ではAlter Bridgeやスラッシュの活動と重ならないよう、ロックの強い曲を控えていました。
やがて、ソロでもそれをやってよいと考え直します。
同時に、ライブで三人の編成のまま演奏できるよう、録音で楽器を重ねすぎないことも意識しました。

2026年|歌う場所を、仲間とも分け合う

Alter Bridgeは2026年に八作目のアルバムを発表し、前年に先行公開した「Silent Divide」も収めました。

同作の「Trust in Me」では、マイルズが主にサビ前の部分を、トレモンティがサビを歌うと本人が説明しています。
マイルズ本人は、別の歌手の声が入ることで自分にも公演中の一息ができると話し、仲間が歌手として成長したことも喜んでいます。
2004年に高い声の一節を残そうと提案したトレモンティとマイルズが、今は一曲の歌う場所も分け合っているのです。

マイルズが声をどう配分し、一晩の公演をどう歌い切るかは、マイルズ・ケネディの歌い方で扱っています。
この変遷で見えてくるのは、出せる最高音の数字より、歌う場所と曲に合わせて、何を前に出したいかを決める歩みです。
かつて高い声に自分の道を見つけた歌手は、今もその高さを使いながら、低い声や仲間の声が生きる場所も選んでいます。

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