レキシ(池田貴史)の歌唱変遷|自分が歌うことへの遠慮は、どう変わったのか

2018年の取材に掲載されたレキシ(撮影:YAMA 山添雄彦) シンガー
2018年の取材に掲載されたレキシ(撮影:YAMA 山添雄彦)

あれほど自由に歌い、客席を笑わせるレキシにも、自分が歌うことをためらっていた時期がありました。
2016年、池田貴史は、以前はその遠慮からゲストに歌を頼んでいたのに、今では自分が自然に歌っている、と振り返っています。

声の高さが変わった、力強さが増した。
そんな物差しだけでは、この歌い手の歩みは捉えきれません。
自分の声で曲を引き受けることと、共演者や客席へ歌を開いていくこと。
その両方から、レキシの変化をたどってみましょう。

歌う喜びは、キーボード奏者になる前にあった

池田の音楽の始まりには、幼稚園の頃の結婚式があります。
親戚の前で、さだまさしの「関白宣言」を一曲歌い切り、大きな拍手を受けた。
その嬉しさが今の活動にもつながっている、と本人は話しています。
中学生ではビートルズに衝撃を受け、高校では教師から借りたブーツィー・コリンズの音楽に引き込まれました。

物語を歌って人を喜ばせることと、身体が動く音楽に夢中になること。
後のレキシにある二つの楽しさは、別々の体験として彼の中に入ってきたのです。

2007年には、最初のアルバム『レキシ』を発表します。

SUPER BUTTER DOGの頃から続けていた、自分が面白いと思う遊び。
それを長く続けられる、自分の活動として形にしたのがレキシでした。
当初から大きな会場を目指すというより、まずは自分が楽しめることが出発点だったのです。

初作では、いとうせいこうやハナレグミらが、それぞれの個性を持ち寄っています。
ファンクやソウル、ヒップホップを土台に、歴史の言葉を音楽にする。
宮本英夫は、後にこの作品を振り返り、客演者が入れ替わりながら曲を彩る方法がすでに出来上がっていたと評しています。

自分の作品を作ることと、すべてを自分一人で歌うことは同じではありません。
さまざまな声を曲へ招き入れるところに、レキシの出発点がありました。

「狩りから稲作へ」が、客席と育つ歌になる

2011年の『レキツ』を経て、ライブは歌の重要な居場所になっていきます。

2013年のSWEET LOVE SHOWERでは、「狩りから稲作へ」が即興と客席との掛け合いを交え、10分を超える演奏になりました。
この日の演奏は三曲で、35分に及びました。
一曲の中を、その場のやり取りで大きく広げていたことが分かります。

録音された長さのとおりに歌うのではなく、声を投げ、返ってくる反応に応じて次へ進む。
曲をよく知る人だけが完成形を受け取るライブとも違います。
客席が参加することで、その日の歌の時間が作られていくのです。

2013年8月31日、SWEET LOVE SHOWERに出演したレキシ
2013年8月31日、SWEET LOVE SHOWERに出演したレキシ。
画像出典:画像掲載元

2014年の『レシキ』制作時には、武道館のステージを意識した曲も生まれました。
一方で本人は、実験的なこともしたいという気持ちを残しており、その例として「Takeda’」を挙げています。
ライブを重ねて自由に脱線できる場が育ち、作品ではポップさとのバランスが取れてきた、と考えていました。

歌を広く届ける方向と、予想から外れる遊び。
どちらかを諦めて進んだのではなく、録音とステージで、それぞれの余地を広げてきました。

2016年、自分が歌うことが当たり前になっていた

五作目『Vキシ』の頃、池田は慣れてしまうことへの警戒も、笑いを交えながら口にしています。
この作品はライブの仲間と作った感覚が強く、冒頭の「牛シャウト!」もステージを思い描いた曲でした。

アルバムはシャウトで始まり、最後の「最後の将軍」では松たか子とデュエットします。
松の声が第一声から曲の印象を変えることも、池田は期待していました。
自分で自然に歌うようになった後も、他の歌い手を迎える意味は失われていません。

前へ出ることに遠慮がなくなっても、予定どおりにうまく歌えば満足、とはならない。
自分の声を中心に置きながら、何が起こるか分からない面白さを保とうとする。
歌い手としての変化には、そんな二重の動きが見えます。

2018年、共演の緊張も、語る声も作品へ

『ムキシ』の「SAKOKU」では、上原ひろみとビッグバンドを迎え、総勢18人で一緒に録音しました。
池田は互いの姿が見えるブースで歌い、四、五回のテイクを重ねています。
途中でテンポが上がり、歌とピアノが応酬する構成。
相手の豊富なアイデアについていくのに必死だった、とも話していました。

ここでの歌は、出来上がった伴奏へ後からきれいに載せるものとは条件が違います。
同じ時間を演奏者と共有し、相手の動きも受けながら曲を成立させる。
ライブで育った応答する面白さが、録音の方法にも見える場面です。

同年のシングル『S & G』には、昔話を語る「BANASHI」も収録されました。
ステージでは寸劇をしていた池田ですが、音源でこうした語りに取り組むのは初めて。
複数の人物を演じ分け、編集せずに通して録り、少し言いよどんだ箇所も残しています。

旋律を歌うだけでなく、話す声で時間を作る。
自分の声を作品にする方法は、歌の外側へも広がっていました。

2018年『ムキシ』取材に掲載されたレキシ
2018年『ムキシ』取材に掲載されたレキシ。
画像出典:画像掲載元

2020年代、歌い込んで育つ曲と、残り続ける原点

2020年の「ギガアイシテル」では、いま誰かが描いた絵が、何百年も先の人の宝物になるかもしれない、という想像を曲にしていました。

歴史上の言葉を面白く響かせるだけでなく、時間を超えて誰かへ届くものを歌う。
ポップな歌の中に置く気持ちも、身近な人の営みへつながっています。

『レキシチ』を出した2022年、池田は歌の上達について、もともとの感覚は大きく変わらなくても、何度も歌ってうまくなった曲はある、と説明しています。
このアルバムで旋律を重く見る面が出たことには、ビートルズやさだまさしを好きになった原点とのつながりも感じていました。

活動年数とともに歌のすべてが一様に変わるわけではない。
同じ曲と付き合う中で、歌い手の手になじんでいく部分がある。
この見方なら、初期の感覚を保つことと、長く歌うことによる変化を、無理なく一緒に捉えられます。

笑いの中で、真っすぐ歌う場所を失わない

2025年7月22日の東京国際フォーラム公演では、冗談や芝居が続く中、「アケチノキモチ」をピアノに乗せて歌い、場内の空気を変えました。
最後には、最初のアルバムの「LOVEレキシ」をじっくり届けています。
新しい曲や演出が増えても、初期の歌は現在のステージに残っていました。

同年の新曲「YO.JIN.BO.」でも、池田が求めたのは、物騒な題名をそのまま怖い音楽にすることではありません。
少し陽気で軽やかな曲にするため、ピアノの旋律とビートの組み合わせを探しています。

レキシの歩みは、ふざけた歌から真面目な歌への交代ではありません。
自分が歌うことへの遠慮が薄れ、客席と歌を育て、共演や語りにも声の居場所を増やしてきた。
笑っていた人が、次の歌では静かに聴き入る。
その行き来を、一人の歌い手として引き受けるようになった歩みなのだと思います。

裏声や言葉のリズムなど、一曲ごとの声の使い方は、レキシ(池田貴史)の歌い方で詳しく見ています。

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