レキシの歌で、つい歴史の言葉や冗談に耳を奪われてしまう。
けれど、言葉の意味だけでこの歌の楽しさが出来ているわけではありません。
声の軽さ、音節の弾み方、誰かと声を交わす間合い。
そこへ目を向けると、踊れる曲と切ない歌が、同じ人から生まれる理由も見えてきます。
裏声で踊らせるときと、旋律をじっくり歌うとき
2022年7月20日の東京国際フォーラム公演では、「たぶんMaybe明治」「大奥~ラビリンス~」で、裏声を使った抜けのよい歌唱が記録されています。
高いところへ届かせるだけでなく、ファンクのリズムの中で声を軽く運ぶ選択として、裏声を捉えたい場面です。
同じ公演の「ほととぎす」は、渡和久とのデュエットでした。
伴奏を簡潔なピアノに絞ることで、二人の声の重なりが前に出ています。
強く声を張り続けることだけが、歌の存在感になるわけではない。
周りの音が減ったときには、相手と旋律を共有する響きそのものが聴かせどころになります。
また、同年9月25日の横浜アリーナでは、「マイ草履」をカネコアヤノと共に歌っています。
二人の声が交わす情感に続き、「だって伊達」では池田の歌をピアノが支えました。
共演するバラードと、一人で切なさを届ける歌。
隣り合う曲でも、声が引き受ける役割は変わります。
レキシを歌うとき、すべての曲に陽気な声を当てはめると、この違いが平らになってしまいます。
踊りを生む軽さがほしいのか、旋律の気持ちを残したいのか。
まず曲が求める役割を分けることが、歌い方を理解する入口になります。
![2022年7月20日、東京国際フォーラムでのレキシ(撮影:聖徳太郎[田中聖太郎])](https://hightonelab.jp/wp-content/uploads/2026/11/rekishi-style-body1.webp)
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「用心棒」は、意味の前に口に出したい言葉だった
「YO.JIN.BO.」の始まりには、用心棒という言葉を発声すると気持ちがよい、という感覚がありました。
池田は、語呂や語調のよさを大事にしています。
子どもの頃から耳に残る口上やCMの言葉も、その例に挙げていました。
この曲では、言葉とピアノのフレーズに合うビートを考え、自分と成田ハネダが作ったリズムを組み合わせています。
ジャンルの型へ歌を当てはめたのではなく、自分の中で鳴る言葉に合う音を探した結果でした。
歌詞を音にする場面でも、意味を説明しようとするだけでは十分ではありません。
どの音をひとまとまりに言いたくなるか、どこに弾みが生まれるか。
声にして楽しい言葉が、そのまま曲の運動につながっていくのです。
「Takeda’」では、声が打楽器を引っ張る
2014年の「Takeda’」は、タブラ奏者U-zhaanとの曲です。
打楽器の奏法を声で伝える音節が、池田には武田という名前のように聞こえた。
そこから、この曲の発想が生まれました。
制作では、歌詞と打ち込みのタブラを入れたデモを用意し、ある程度の形を決めています。
その先では池田が自由に歌い、U-zhaanが声を追うように演奏しました。
歌がいつも伴奏を追いかけるわけではなく、声の出方が打楽器へ次の動きを求める。
言葉の意味を運ぶ声が、リズムを作る楽器にもなる曲です。
この面白さを、早口でたくさん言えることだけに縮めたくはありません。
相手がどう返すかで、声の一節も違ったものになる。
歌の技巧を見せることと同じくらい、声を交わす出来事そのものが大切なのです。
ハーモニーの気持ちよさが、失恋の歌を作る
「出島で待ってる」では、上がっていくハーモニーの気持ちよさが先にありました。
2018年の『ムキシ』に入った曲ですが、制作は『Vキシ』を作っていた2016年春頃までさかのぼります。
歌詞を厳密に物語へ組み立てる前から、サビにはドラマチックな響きがあったのです。
本人は、歌を入れるときにも、この歌は何の話なのかと思っていた、と笑っています。
それでも、声を重ねる気持ちよさと、会えない相手を待つイメージが、ひとつの歌として結びつきました。
ここでは、ひとつの声の音色だけを追うより、重なった声がどこへ進むかに耳を向けたい。
言葉では説明しきらない未練を、和声の動きが引き受ける。
レキシの歌に切なさを感じるのは、歌詞の内容と同じくらい、声を配置する音楽の力によるのでしょう。
似た声との掛け合い、ヨーデルから生まれる発想
「たぶんMaybe明治」でatagiを迎えた際には、声の質感の近さもあり、一フレーズずつ交互に歌う形を選びました。
「つれづれ」では、池田が夢中になったヨーデルが、間奏のコーラスの着想になっています。
ウイリー沖山の歌を知ったことが、伊勢参りへつながる言葉の発見にもなりました。
2022年の横浜アリーナでは、atagiは「年貢 for you」にも参加しました。
録音版で秦基博が歌った部分を、この日はatagiが担当しています。
さらに池田の希望でディスコ曲を挟む場面もありました。
元の歌い手の声をそのまま再現することより、いま目の前にいる相手が持つ声を生かす。
歌の分担も、その日の共演から考え直せるものなのでしょう。
声の違いを大きく見せる共演もあれば、近い質感を受け渡す共演もある。
また、気になる歌い方から言葉が生まれ、言葉から曲の物語が進むこともある。
声は、完成した歌詞を最後に乗せるだけのものではないのです。

手前がレキシ、奥が秦基博。
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ソウルらしさを、借りものの声にしない
池田は、自分の歌をソウル歌手らしく見せようとは、あまり意識していないと話しています。
表面だけをなぞるより、自分が育った環境から無理なく出てくるものを大切にする。
その姿勢が、本人にとってのファンクでもありました。
歌詞と旋律の関係でも、池田が理想にしているのは、面白いと思う題材に自然にメロディーが乗ることです。
旋律だけを先に進めすぎると、後から日本語を入れたときに面白さが失われることがある。
だから言葉も思い浮かべながら作る、と説明しています。
発声だけを切り離して、太い声、軽い裏声と並べても、レキシの歌の全体には届きません。
自分の口で言いたい言葉に、どの声が似合うか。
そのつながりまで見えてくると、歌唱の選択に納得が生まれます。
ライブでどこまで準備するかにも、面白い考えがあります。
秦基博は、共演のリハーサルで面白い流れが出来始めると、池田がその先を残しておこうとする、と振り返っています。
一方の池田は、本番前に会場のいちばん遠い席へ行き、その人にどう届くかを想像すると話しています。
新鮮な反応を残すことと、離れた場所の一人まで思い描くこと。
気ままに見える歌のやり取りも、その両方に支えられているのでしょう。
レキシの声が運ぶのは、歴史の知識だけでも、上手な歌の見本だけでもありません。
その場で言葉が弾み、人と人の間に音楽が生まれる楽しさです。
自分が歌うことへの意識がどう変わったかは、レキシ(池田貴史)の歌唱変遷でたどっています。






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