デーモン閣下の歌声と聞けば、鋼のように太い高音や、聖飢魔IIの大げさなまでに劇的なシャウトを思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし、その声の正体を知る手掛かりは、最も激しい曲より、むしろ静かな歌の中にあります。
2017年、デーモン閣下は正反対の二枚を続けて発表しました。
先に出た「EXISTENCE」はハードロック、後の「うただま」は楽器を極力減らした穏やかな作品です。
大音量のギターが消えれば、声は楽になるように思えます。
実際には逆で、音程、言葉、息の揺れを隠してくれる場所がなくなります。
その条件でも歌が小さくならなかったことに、デーモン閣下の発声の本体が見えます。
強さの源は、常に叫べることではありません。
大きな声を一度手放しても、言葉の輪郭と一人の人物を残せることです。
悪魔の声を丸裸にしたのは、静かな一枚だった
「うただま」では、伴奏を必要最小限にすることで、歌そのものを前へ出す方針が取られました。
デーモン閣下自身も、演奏が少ないぶん、歌唱力が問われる作品だと捉えています。
そこで選ばれたのは、声量を抑えたバラードだけではありません。
明るい曲、童謡に近い曲、昔から知られる歌まで含まれ、悪魔という強烈な外見と、柔らかな言葉が同じ場所に置かれました。
意外なのは、本人が明るい長調の歌を難しく感じていたことです。
聖飢魔IIでは短調の曲を長く歌ってきたため、明るい旋律を自然に運ぶには、声の気分を作り直す必要がありました。
高音が出る人なら、低く穏やかな歌は簡単だという見方は、ここで崩れます。
激しい曲には、勢い、衣装、演奏、舞台の物語が声を押し出してくれる瞬間があります。
静かな歌では、一語の置き方だけで温度が変わります。
デーモン閣下は大声を封じられたのではなく、大声以外にも歌を成立させる役を持っていたのです。
太い高音は「ずっと同じ重さの地声」ではない
聖飢魔IIの高音は、低い話し声の力をそのまま上まで運んでいるように聞こえることがあります。
そのため、地声のまま出している、太いミックスボイスである、頭声寄りであるなど、第三者の説明は一致しません。
これは、どれか一つだけが正しく、残りが間違っているという話ではありません。
高音の入り口、伸ばしている途中、語尾で、声の重さと響きが動くため、聞く場所によって別の名前を付けたくなるのです。
重要なのは、太さが「低い声と同じ力を保った証拠」とは限らないことです。
音が上がるほど不要な重さを減らしながら、言葉の芯や音色の暗さを残せば、聞き手には地声のような迫力が届きます。

ミックスボイスと地声の違いを考える時も、名称を先に決めるより、音量を下げても音程が保てるか、語尾で急に別人の声にならないかを見る方が実用的です。
デーモン閣下の高音が太いのは、声を一種類に固定しているからではありません。
軽くなる瞬間を外から見えにくくし、曲の人物を途中で失わないためです。
シャウトの迫力は、澄んだ声へ戻れることで生まれる
デーモン閣下の声を真似しようとすると、最初にかすれや叫びへ注意が向きます。
ところが、荒い音だけを切り取ると、本人の歌とは反対のものになりやすいです。
迫力のあるシャウトは、ずっと喉を荒らしている音ではありません。
歌の前後に澄んだ音程があり、言葉が聞こえ、必要な瞬間だけ質感が変わるため、荒さが事件として聞こえます。
もし一曲を通して同じ粗さしか出ないなら、それは色の選択ではなく、戻れなくなっている状態かもしれません。
デーモン閣下の魅力は、悪魔的な音を出せることより、人間味のある声へ何度でも戻れることにあります。
この往復があるから、「蝋人形の館」の脅しと、「少年時代」の懐かしさが同じ歌手の中で成立します。
強い声が看板でありながら、看板を外した時にも人物が消えません。
遠藤正明さんの歌い方・発声も太い高音が中心ですが、遠藤さんが言葉をまっすぐ柱にする歌なら、デーモン閣下はその柱へ芝居、皮肉、語りを次々に着せ替える歌です。
歌う前に、声の「役」を決めている
聖飢魔IIでは、歌手は単に曲を正確に再現する人ではありません。
悪魔が人間へ語りかけ、脅し、笑わせ、時には哀しみを見せるという物語の中心にいます。
そのため、同じ高音でも役割が変わります。
命令する声は子音が鋭く、嘆く声は母音が長く残り、客席を巻き込む声は語尾が外へ開きます。
声の高さだけをそろえても、この違いは生まれません。
何を言う声なのかが先にあり、その目的に合わせて音量、言葉の長さ、響きの暗さを選んでいます。

劇団☆新感線の作品で長く劇中歌を担ってきたことも、この特徴とつながります。
舞台では、歌が上手いだけでは場面が進みません。
登場人物の運命を、短い時間で客席へ渡す必要があります。
2019年の「うた髑髏」では、長年の劇中歌が一枚に集められました。
ロックの声量が演劇へ持ち込まれたのではなく、もともと演劇的だった声が、別の舞台で役を得たと考える方が自然です。
倍音の多さより、声のコントラストが耳をつかむ
デーモン閣下の声は、倍音が豊か、響きが前に集まる、地声感が強いなどと説明されます。
こうした言葉は、音色を比べる助けにはなります。
ただし、倍音という一語だけで歌の面白さを説明すると、大切な動きが抜け落ちます。
同じ人が暗い低音、明るい高音、澄んだ声、荒い声を並べるため、差が互いを大きく見せているからです。
黒だけを置くより、白の隣に置いた方が黒く見えます。
デーモン閣下の太い高音も同じで、直前に細い語りや柔らかな母音があるほど、次の一音が巨大に感じられます。
声量を常に最大にする歌では、このコントラストが消えます。
本人がハードロックと「うただま」を同じ年に並べたのは、二つの別人格を見せるためではなく、一つの声が持つ両端を同時に示す試みでした。
真似するなら、悪魔の声ではなく切り替わる瞬間を見る
デーモン閣下らしく歌うために、最初からシャウトや歪みを再現する必要はありません。
安全に参考にしやすいのは、荒い声へ入る前と、そこから澄んだ声へ戻る瞬間です。
どの言葉で音量が変わるのか。
母音を長くする前に子音をどれだけ短く置くのか。
高音の直前に、あえて声を小さくしているか。
こうした関係を追うと、迫力が一音だけで作られていないことが分かります。
高音で喉が痛くなる原因も確認し、痛みや翌日まで残るかすれを「悪魔らしさ」と取り違えないでください。
デーモン閣下の発声を一言で表すなら、太い声ではなく、太さを必要な場所へ配置できる声です。
静かに歌っても人物が残るため、叫んだ瞬間だけに頼らず、曲全体を劇として動かせます。
悪魔的なシャウトは入口として強烈です。
しかし、聞き続けるほど面白くなるのは、その裏にある穏やかさ、言葉の明瞭さ、そして澄んだ声へ戻れる自由でしょう。
デーモン閣下の歌声の変遷では、聖飢魔II初期、女性曲カバー、邦楽と演劇、病気からの復帰、40周年以降まで、声に任される役がどう増えたのかを追っています。
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