向井秀徳の歌を、勢いよく叫ぶ歌、とだけ呼ぶのは少し惜しい。
裏声、唸るような声、話しかけるような節回し。
声の手触りが変わると、言葉の意味だけでなく、聴き手との距離まで変わってきます。
その使い分けを考えるとき、手がかりになるのが「何を、どの音に載せて伝えたいか」という順番です。
裏声と唸り声を、同じ表現の中に置く
2004年の取材で鈴木喜之が注目したのは、裏声と唸り声の対照や、「自問自答」での高さを変えた声との掛け合いでした。
向井が語った出発点は、多い言葉を明確に出したいという欲求。
声の使い分けは、まず言葉を届けるためにあったのです。
この対比では、柔らかい響きと荒い響きが、互いの存在を際立たせます。
ずっと強い声が続く場合と、別の質感を挟んで強い声へ戻る場合とでは、届く印象も違う。
向井の歌を捉えるには、声の強さと同時に、声が切り替わることで何が起こるかを見る必要があります。
2021年のボロフェスタで「ポテトサラダ」を見た梶原綾乃は、客席へ唸るように歌う姿と、腕を上げて合いの手を入れる姿の落差を記しています。
ひとつの曲の中でも、言葉を強く届ける役と、その場を賑わせる役を行き来する。
声の荒さだけを取り出すと見えにくい、可笑しさと迫力の組み合わせです。

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大声で歌う理由は、強い自分を見せることだけではない
「DANBIRA」の歌に圧力がある理由を、向井は、自分の恥を知っていると大きな声で言う気持ちと結びつけています。
年齢を重ね、気づかずにいたことも見えてくる。
世の中を何でも知ったという自信ではなく、自分のことから逃げられなくなる感覚が、その声にはあるのです。
荒い声は怒り、柔らかい声は優しさ、と決めると、この歌の向き先を読み違えます。
大きな声を外へ放ちながら、言葉は自分にも返ってくる。
歌声の強さと、歌っている人の心の強さは、いつも同じとは限りません。
向井の声に切実さを感じる理由を考えるうえで、本人のこの説明は大切です。
「バラクーダ」は、言葉の出だしからリズムになる
『らんど』の「バラクーダ」について、向井は冒頭の「バ」の打ちつけるような語感に触れています。
口にした瞬間に感じるリズムの快感から、曲が始まる。
同じ言葉を繰り返すうちに、意味の感じ方も変わっていくと話しています。
ただ、意味のない音なら何でもよいわけではありません。
実在する言葉同士が、その順番でつながる必要があるのです。
ここでは、歌詞を読むときの意味と、歌うときの音が二重に働きます。
言葉の出だしが拍を打ち、その後の母音が声の響きを運ぶ。
同じ一語でも、説明として聞く場合と、リズムの中で何度も聞く場合とでは、受け取り方が変わります。
向井の発音は、内容を伝えるだけでなく、バンドのビートを作る材料にもなっているのです。
「八方美人」を聴いたあっこゴリラも、言葉が意外な位置に来る面白さを挙げています。
笑ってしまう言葉の置き方なのに、寂しさや哀愁もある。
その感想は、向井の歌を、面白い歌詞か、激しい声か、どちらかに分けられないことをよく表しています。
「はあとぶれいく」では、動かない伴奏の上で歌が動く
「はあとぶれいく」の土台は、変わらず繰り返すリフです。
向井が考えたのは、その上で旋律を歌い、感情をどこまで出せるかということ。
難しい言葉を増やすより、単純な言葉を繰り返す面白さも、この制作では重視していました。
伴奏が細かく場面を変えてくれる曲では、歌もその展開に乗れます。
けれど同じ形が続くとき、前へ出るのは声の節や言葉の表情です。
繰り返しがあるからこそ、歌がどう感情を運ぶかに耳が向く。
向井の旋律の魅力を考えるなら、強烈な叫びの曲だけでなく、この曲がよい入口になります。
一方、「Asobi」では、つぶやく声とシンセサイザーの響きが組み合わされています。
この曲を評した加藤直子は、ハウスの音の中にある哀愁にも触れていました。
感情を表す方法は、声を強くすることだけではないのです。
歌が入って、ばらばらの音がひとつになる
「破裂音の朝」では、二本のギターとベースが、それぞれ違う動きをしています。
向井は、個々の音だけでは奇妙でも、全体に歌の旋律が加わると曲になる、その組み合わせを探ったと説明しています。
歌が伴奏に上手に乗る、というだけでは捉えきれない役割です。
歌もひとつの線として加わり、それまでの音の聞こえ方を変える。
だから、声だけを切り出して整っているかどうかを見るより、声が入ったときに周りの音とどんな関係になるかを考えたい。
向井の歌には、バンド全体の中で初めて意味が見えてくる部分があります。

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一人で歌うと、声が引き受けるものも変わる
ソロの弾き語りについて、向井はギターと自分の声だけで、すべてを引き受ける演奏だと話しています。
バンドと出発点が違うのではなく、外へ出す方法が違う。
一人になることは、ZAZEN BOYSを小さく再現することではないのです。
2025年の『tiny desk concerts JAPAN』では、アコースティックギター一本で歌いました。
取材者の渡辺彰浩は、「ポテトサラダ」で客席に笑いが起こり、そこからブルースを感じさせる演奏と声へ引き込まれていく様子を記しています。
日常的な題材が、声と節を通して、その場にいる人へ届いていきます。
声を取り囲む音が減るほど、言葉の可笑しさと、歌う人の切実さが隣り合って見える。
大きな音の中で受け取った向井の印象を、弾き語りが別の角度から照らしてくれます。
同じ収録で「はあとぶれいく」を共に歌ったアイナ・ジ・エンドには、意外な出来事がありました。
録音された旋律を覚えてきたのに、リハーサルで向井が違う節で歌ったのです。
そこで彼女も、自分の歌い方で歌ってみた。
そのやり取りを楽しかったと振り返っています。
ここには、自由な歌の形が具体的に見えます。
相手が覚えた旋律を忠実になぞるだけでなく、その場で生まれた歌へ応じて、自分も声を選び直す。
向井の歌は、録音の中だけで完結していません。
叫びが必要な言葉もあれば、つぶやきで届く言葉もある。
拍を打つ一語もあれば、旋律に乗せて気持ちを運ぶ一節もある。
向井秀徳の個性は、特定の荒い声だけでなく、その選択をひとつの歌い方に閉じ込めないところにあるのでしょう。
NUMBER GIRLの頃からの変化は、向井秀徳の歌唱変遷でたどっています。






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