青山新さんの歌声は、若手らしい爽やかさと、昭和歌謡のような哀愁を同時に持っています。
その中心にあるのは、声を前へ出し、長い音をまっすぐ保つ力です。
ただし、現在の魅力は「張りのある声」だけでは説明できません。
青春歌謡では口元の表情で声を温め、女唄では自分とは違う人物を演じ、外部の作家からは強すぎる癖まで個性として認められました。
青山さんの歌い方は、一本の強い声に感情を足したのではなく、同じ声を役に応じて別の距離から届ける方法を覚えたところに面白さがあります。
青山新の発声は「叫べば出る」という考えを捨てたところから始まった
青山さんは、中学二年生で作曲家の水森英夫さんの門下に入りました。
それまでの主な経験は、カラオケのマイクを通して歌うことでした。
ところが修業で向き合ったのは、ギター一本を伴奏に、マイクの助けへ頼らず声を届ける歌い方です。
最初に思い知らされたのは、大きく叫ぶことと、通る声を出すことは違うという事実でした。
声をどこへ出すかという感覚をつかむまで、本人の実感では三、四年。
昭和の名曲を百曲以上与えられ、合う曲と合わない曲を選びながら、自分の声が生きる場所を探しています。
そこで見つかった柱が、声を前へ当てる感覚とロングトーンでした。
ロングトーンとは、一つの音を長く保つ歌い方です。
ただ長く伸ばすのではなく、出だしの勢いが落ちても音程と言葉の芯を残す必要があります。
青山さんの声が若くても頼りなく聞こえないのは、この「一度出した声を最後まで運ぶ」土台があるためです。
若い顔から古い哀愁が出るのは、昭和を真似したからではない
幼い頃の入口は、ものまね番組でした。
歌手の声が別人のように変わる面白さから歌そのものへ惹かれ、祖母とカラオケやコンサートへ通ううちに、八代亜紀さんや青江三奈さんをはじめとする昭和歌謡を聴き込んでいきます。
修業中には、石原裕次郎さんや小林旭さんの曲も課題になりました。
そこで師匠が見いだしたのは、古い歌手の声色を似せる能力ではなく、青山さんの歌い方に初めからあった哀愁です。
明るく整った声なのに、伸ばした音の先へ少し寂しさが残る。
デビュー曲「仕方ないのさ」は、その矛盾が日活映画を思わせる男歌の世界と結びついた作品でした。
本人は普段、感情を強く表へ出すタイプではなかったと振り返っています。
歌うとさまざまな人物になり、日常では見せない感情を表せることに惹かれた。
青山さんの哀愁は、暗い声を作る癖というより、普段は内側に置く感情を長い一音へ預ける性格と結びついています。
「君とどこまでも」では、口角一つで声の温度を変えた
張りのある声は、悲しい男歌では大きな武器になります。
一方、2022年の「君とどこまでも」は、恋人へまっすぐ思いを伝える温かな青春歌謡でした。
同じ発声のまま歌うと、短調のメロディーに引かれて必要以上に暗く聞こえてしまいます。
録音で与えられた助言は、少し口角を上げることでした。
笑顔に近い口元になると、声まで無理に明るく作らなくても、言葉の表情が柔らかくなります。
声帯の仕組みを大きく変えるような難しい話ではありません。
聴き手に向ける顔が変わると、同じ声量でも一音の受け取られ方が変わるということです。
速い流れの中で歌詞に追われないよう、一小節ごとに息を取り直す考えも本人が示しています。
青山さんの長い声は、息を限界まで使い切る歌ではありません。
次の言葉へ必要な息を残すから、曲の終わりまで声の張りが保たれます。

女唄では、女性らしい声より「やりすぎる寸前」を選んでいる
2023年の「女のはじまり」は、青山さんの歌い方を大きく変えた作品です。
きっかけは、女性歌手の曲を番組で歌ったことでした。
その歌唱から新しい可能性が見いだされ、複数の女唄をレッスンした後、初めてのオリジナル女唄へつながります。
興味深いのは、男性が女性らしい細い声を作る方向へ進まなかったことです。
主人公の心情を大きく想像し、むしろ感情を誇張するほど込めながら、声そのものは青山新のまま残しました。
ところが、感情を足しすぎれば歌は重く、くどくなります。
録音ではフレーズごとの強弱や歌い回しを細かく変え、「大きく演じること」と「重くしないこと」の境目を探しています。
こぶしも同じです。
音を細かく揺らせば演歌らしくなるわけではなく、主人公が言葉をのみ込む場所、思いがあふれる場所にだけ置くから意味が生まれます。
女唄で増えたのは新しい声色より、感情を見せる量を一行ごとに変える判断でした。
「身勝手な女」は、きれいな声へ本音の意地悪さを入れた歌
「女のはじまり」以降、青山さんは女唄を一度きりの企画にせず、「女がつらい」「身勝手な女」と掘り下げました。
この三作で面白いのは、悲しさを同じ色で塗っていないことです。
「身勝手な女」の主人公は、別れた相手の幸せを素直に願えません。
可憐な声だけでは本音の刺が消え、強く責めるだけでは未練が見えない。
青山さんは、一曲へ自分の個性とインパクトをすべて入れるつもりで、最後の盛り上がりを大きな聴かせどころにしました。
ここで初期のロングトーンが別の役割を持ちます。
「仕方ないのさ」では、若い男の決意を遠くへ放つための長い声でした。
女唄では、言葉にできない気持ちを音の終わりまで残す時間になります。
同じ長所が、曲の主人公によって強さにも未練にも変わるのです。
外から見た「癖の強さ」が、青山新の署名になった
2024年末に発表された「TOKYOメトロブルース」は、青山さんが初めて師匠以外の作家による作品へ本格的に向き合った一曲でした。
録音を聴いた所ジョージさんは、最初は青山さんの癖が強すぎると感じたものの、繰り返すうちにもっと欲しくなったと伝えています。
これは、歌唱技術が「癖をなくすこと」だけでは完成しない好例です。
修業では百曲以上を歌い、無駄な力や独りよがりな歌い回しを削りました。
その後に残ったロングトーン、哀愁、こぶし、言葉の押し出しは、別の作家の曲へ入っても青山新だと分かる署名になっています。
若い歌手が昭和の型を再現しているだけなら、癖は古さとして聞こえるでしょう。
青山さんの場合は、青春歌謡、女唄、都会的なブルースへ移っても同じ特徴が別の感情を運びます。
型を覚えた先で、自分の癖を消すのではなく使い分けられるようになったのです。

青山新の歌唱力は、大声より「同じ声の役替え」を聴くと分かる
初めて聴くなら、まず「仕方ないのさ」と「君とどこまでも」を比べてみてください。
声の芯と長い音は共通しているのに、一方は決意が前へ進み、もう一方は相手へ微笑みかけるように届きます。
次に「女のはじまり」か「身勝手な女」を聴くと、同じ声が自分とは違う人物の内面を運んでいることが分かります。
注目したいのは、高い音でどれだけ声が出るかではありません。
フレーズの最初をどの強さで置き、長く伸ばした先にどんな感情を残すかです。
表面だけ真似して、喉で声を押したり、すべての語尾へ大きなこぶしを入れたりする必要はありません。
参考にできるのは、曲が変わるたびに声を別物へ交換せず、口元、息の区切り、感情の量で伝わり方を変える考え方です。
痛みや強いかすれが出る発声は、青山さんの張りとは違うため中止してください。
青山新さんの歌声の変遷では、男歌、青春歌謡、女唄、外部作家との出会いを年代順にたどっています。
新浜レオンさんの歌い方と比べると、同じ若手演歌でも「抑えることで温度を作る声」と「長く前へ運ぶ声」の違いが見えてきます。
まとめ|青山新のまっすぐな声は、役を変えるたびに深くなった
青山新さんの発声の土台は、叫ぶのではなく前へ当てる声と、最後まで芯を保つロングトーンです。
百曲を超える修業の中で、自分に合う哀愁のある歌を見つけました。
その声は固定されたままではありません。
「君とどこまでも」では口角で温度を上げ、「女のはじまり」以降は感情を大きく演じながら、重くしすぎない境目を探しました。
「TOKYOメトロブルース」では、かつて直す対象にもなり得た癖が、もっと聴きたい個性として受け止められています。
強い声を持っているから印象に残るのではありません。
同じ強さを決意、優しさ、未練、情念へ役替えできる。
そこまで含めて、現在の青山新らしい歌い方です。






コメント