櫻井敦司の歌声はどう変わった?初期の高い声から『異空』まで

Atsushi Sakurai vocal evolution シンガー

櫻井敦司さんは、最初から低く深い声の「魔王」だったわけではありません。
デビュー初期には高く張る歌唱も目立ち、そこから暗い世界を自分の意思で選び、曲ごとに別の声を使うボーカリストへ変わりました。

大きな転機は、単に年齢で声が低くなったことではありません。
『TABOO』で歌い方を作品の一部にし、過去曲の再録で解釈を変え、ソロ活動と舞台的な作品を経て、終盤には囁きから多重コーラスまで一人で物語を作るようになったことです。

初期と2023年を比べると、別人のように聞こえる瞬間があります。
それでも、言葉を曲の世界へ置き、自分自身より歌の人物を前へ出す姿勢は最後まで残りました。

1987〜1988年、元ドラマーは高く張る声で正面に立った

櫻井さんは、BUCK-TICKの前身バンドでドラムを担当していました。
最初から歌手として選ばれたのではなく、自分から歌いたいと申し出て、バンドの正面へ移ります。

後年の低い声だけを知っていると、デビュー初期の印象は意外です。
当時を知る音楽記者は、モニターに足をかけて甲高い声で歌っていたと振り返っています。

1988年の「JUST ONE MORE KISS」が広く知られた時点では、華やかな衣装と大きな動きもBUCK-TICKの重要な魅力でした。
まだ「静かな低音で世界を支配する人」という完成像が先にあったわけではありません。

この未完成さは弱点であると同時に、後の変化を可能にしました。
歌い方の型を守るより、バンドの音楽が変わるたびに、自分の声も作り直す余地が残っていたのです。

1989〜1991年、『TABOO』で暗さを選び、『狂った太陽』で自分の言葉を持った

3作目の制作へ向かう頃、櫻井さんは今井寿さんへ「暗いものをやりたい」という意思を初めてはっきり伝えました。
それまで与えられた曲を歌うだけだった人が、どんな世界を見せたいかをバンドへ提案したのです。

ロンドン録音の『TABOO』では、曲によって歌い方と発声を変え、退廃的な歌と攻撃的な音の間にBUCK-TICK独自の色が生まれました。
続く『惡の華』では、絶望を一種類の暗さにせず、突っ走る感覚と内側へ沈む感覚の両方を歌へ入れます。

『狂った太陽』では、11曲中10曲の作詞を櫻井さんが手がけました。
ツアー中に母を亡くした経験から生まれた「JUPITER」と「さくら」は、暗い美学を演じるだけでなく、自分の喪失を言葉にする転機になります。

この時期に低い声が急に完成した、と決めることはできません。
ただ、声の高さより先に「何を歌う人なのか」が定まり、歌唱が見た目とは別の深さを持ち始めました。

1992〜1996年、再録と実験が「同じ曲を同じように歌わない」人を作った

1992年の『殺シノ調べ This is NOT Greatest Hits』は、既発曲を新しいアレンジで録り直した作品です。
すでに知っている曲を、過去の歌唱へ忠実に戻すのではなく、新しい解釈で歌い直しました。

この経験は、櫻井さんの変遷を考えるうえで重要です。
歌声の成長を高音域や声量だけで測らず、同じ言葉を別の人物として言い直す方向へ進んだからです。

1995年の『Six/Nine』では、今井さんと櫻井さんの双方にBUCK-TICKを変えたいという思いがありました。
「唄」の強いロック、「Loop」のポエトリーリーディング、無駄を削った歌詞など、ボーカルは一人の美しい低音像へ収まらなくなります。

初期の華やかさを捨てて暗くなった、という一方向の歴史ではありません。
過去曲を壊して組み直し、話す声まで音楽へ入れたことで、歌唱の役割が広がった時期です。

2004〜2005年、ソロと『十三階は月光』で歌手が舞台の中心になった

2004年、櫻井さんは初の本格的なソロ活動へ進みました。
BUCK-TICKの五人で作る音から一度離れ、国内外の作曲家の曲を歌い、単独のライブと映像作品にも挑みます。

ソロ活動期の櫻井敦司

ソロは、バンドを抜けて別の歌手になる試みではありませんでした。
櫻井敦司という声だけで、曲の人物と舞台をどこまで背負えるかを試す時間になりました。

翌2005年、BUCK-TICKはゴシックへ大きく振り切った『十三階は月光』を発表します。
「ROMANCE」では、低音の魅力だけでなく、歌、衣装、物語が一つの劇として見える形が前へ出ました。

初期にはバンドの勢いに乗っていたフロントマンが、この頃には舞台の時間を支配する語り手になります。
声の変化は、音色だけでなく、歌っていない瞬間にも人物を保てるようになったことに表れました。

2007〜2010年、迷いを通って力が抜け、曲ごとの声が増えた

『十三階は月光』の明確な世界のあと、ストレートなバンドサウンドへ向かった時期に、櫻井さんは「迷い」に入ったと振り返っています。
飾りを減らすことは、簡単に素直になることではありませんでした。

2009年の『memento mori』では、録音時に十分な達成感を持てなかったものの、ツアーを続ける中で身体と声の使い方に変化を感じたと語っています。
翌年の『RAZZLE DAZZLE』では、力が抜けたことで、異なる曲へ対応できる自信を持つようになりました。

ここで重要なのは、力を抜いた結果、弱い歌手になったのではないことです。
低く重く歌う、コミカルに歌う、囁く、踊るように言葉を置くという選択を、曲の側から決められるようになりました。

ファンの記録にも、初期より響きが増えた、ライブで同じ曲の印象が変わったという見方があります。
それを身体内部の変化として断定はできませんが、受け手にも「声の種類が増えた時期」として認識されていました。

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2017〜2020年、低音のカリスマから何人もの登場人物へ広がった

30周年以後のBUCK-TICKは、『No.0』や『ABRACADABRA』で重い題材を扱いながら、曲調を一色にしませんでした。
物語を語る歌、感情を爆発させる歌、明るく跳ねる歌が同じライブに並びます。

ステージで歌う櫻井敦司

ステージ上の櫻井さんは、歌手本人の感情をそのまま見せるだけでなく、曲ごとの人格を演じる存在になりました。
2010年前後に増えた歌い分けが、衣装、動き、映像と結びつき、一本の舞台を作る力へ育ったのです。

この時期の変化を「声が低くなった」「高音が減った」とだけ見ると、多くを見落とします。
明るさ、怖さ、滑稽さ、痛みを別々の声へ割り当てられるため、一曲ごとの音域以上に表現の幅が広がっていました。

櫻井敦司さんの歌い方・発声分析では、元ドラマーの言葉の配置と、声を張らない時間が存在感を作る理由を詳しく整理しています。

2023年、『異空』では35年分の声が一つの物語になった

2023年の『異空 -IZORA-』は、先行曲の明るさに反して、戦争、子ども、閉塞感、生と死を扱う重い作品になりました。
それでも曲ごとのリズムや声の形は多彩で、暗い低音だけへ戻った作品ではありません。

「愛のハレム」では、主旋律、異なる高さの声、囁き、重ねたコーラスが短い範囲に組まれています。
初期に一人で正面へ立ったボーカリストが、一曲の中で何人もの声を演じるところまで来ました。

ツアーでは、新作と過去曲を一本の物語へつなぎ、主人公の生と死を描きました。
過去の経験が現在を補い、30年以上前の曲が新曲の意味を広げる構成だったと評されています。

櫻井さんは2023年10月19日に亡くなりました。
そのため、歌声の変遷を「現在も進化中」と書くことはできません。

一方で『異空』を、死を予告した作品や到達点へ単純化することも適切ではありません。
最終期に残したのは、長年扱ってきた暗さだけでなく、その中に明るさ、怒り、救い、複数の人物を同時に置ける歌唱でした。

櫻井敦司の歌声は、低くなったのではなく役を増やし続けた

櫻井敦司さんの歌声は、初期の高く張る歌唱から、暗い世界を選ぶ声、自分の喪失を書く声、過去曲を解釈し直す声へ変わりました。
ソロと舞台的な作品を経た後は、力を抜き、曲ごとに異なる人物を演じる選択肢を増やしています。

変わらなかったのは、自分を説明するより、歌の世界へ入る姿勢です。
元ドラマーとして言葉を音の中へ置き、目立つことが苦手だった人が、曲の人物になることで中央に立ち続けました。

初期と『異空』の違いは、若い声と年齢を重ねた声の差だけではありません。
一人の歌手が、低音のカリスマという完成像に留まらず、歌うたびに配役を増やし続けた36年の差です。

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