グレン・ヒューズの歌声の変遷|「Burn」の後に静かな曲を置いた理由

2018年、パリ公演のグレン・ヒューズ グレン・ヒューズ(Glenn Hughes)
MaxVaudous / CC BY-SA 4.0

2014年、かつてDeep Purpleで共に演奏したジョン・ロードをしのぶ公演で、グレン・ヒューズは自分の出番の曲順を変えてほしいと頼みました。
代表曲「Burn」の後に、静かな「This Time Around」を歌って終えたいという希望でした。
熱狂を呼べる曲を最後に置かず、なぜ声をじっくり聴かせる歌を選んだのでしょうか。

ヒューズの変化は、高い声が出なくなったから穏やかな曲へ移った、という話ではありません。
激しいロックも歌い続けながら、何を歌の中心にするかを考え直してきました。
その選択に至るまでを、本人たちの発言と、それぞれの時期に残された歌からたどります。

1974年――「Burn」で期待される声になった

1974年のDeep Purpleのステージで、「Burn」を歌うヒューズの声は、バンドの強い演奏に負けない存在感を持っています。
曲の主な歌唱を担うデイヴィッド・カヴァデールと、ヒューズの高い声が入れ替わり、重なる。
この掛け合いも、当時のバンドを特徴づけました。

後年ヒューズ自身も、二人の声にはそれぞれの役割があったと話しています。
カヴァデールの低く太い声に、自分の高い声が加わる。
その組み合わせを抜きにして、彼のDeep Purple時代を「高音を出す歌手が一人いた」とだけ捉えることはできません。

とはいえ、「Burn」で知られることは、その後も聴き手が彼に何を求めるかに影響しました。
1996年のインタビューでヒューズは、過去の代表曲から先へ進みたい気持ちを話す一方、観客が自分のシャウトを期待していると考えていたことも明かしています。
歌えることを見せる声が、いつしか応えなければならない期待にもなっていたのです。

「Burn」での二人の歌い分けや、ヒューズのソウル音楽からの影響は、グレン・ヒューズの歌い方で詳しく扱っています。

1990年代――叫ばなくても、観客は立ち上がった

1996年、ヒューズは身近な人に言われたことをインタビューで振り返りました。
客は叫び声だけではなく、あなたの声そのものを聴きに来ている、という指摘です。
本人には意外だったようで、そこで思い出した公演がありました。

それより前、ロサンゼルスで朝のラジオ放送に向けて「A Whiter Shade of Pale」を歌ったとき、彼はシャウトを入れませんでした。
それでも観客は立ち上がり、拍手を送ったといいます。
1996年はこの出来事を語った年であり、公演の年と同じとは限りません。

高音で驚かせなくても、聴き手は歌に動かされる。
その体験は「Burn」の声を捨てる理由ではなく、別の伝え方を選んでもよいと思える理由になりました。
ただ、この時点で一度の公演が歌い方をすべて変えた、と決めつけることもできません。
次の作品の頃、本人はまだ、技巧を見せようとする自分について話しています。

仕事として選べる曲にも、期待は関わっていました。
当時のヒューズは、ソウルやファンクへ関心を広げる一方、レコード会社からはロックを歌う自分を求められたと話しています。
自分の声で別の聴き手にも届きたい。
しかし、昔からのファンが喜ぶ歌もある。
声の可能性に気づいた後にも、何を作品として届けるかという迷いは残っていたのです。

2001年――一音の音色を信じる

2001年のアルバム『Building the Machine』をめぐる取材で、ヒューズはこの数年を振り返り、うまい歌手だと証明することに気を取られていたと話しました。
長く伸ばす音、鮮やかな歌い回し、叫び声。
どれも自分にはできる。
けれど、一音を歌うだけでも声の色は伝わるし、良い旋律から離れなくてもよい、と考えたのです。

ここで彼が手放そうとしたのは、技巧そのものではありません。
歌の中で必要だから使うことと、自分の力を示すために次々と使うことは違います。
『Building the Machine』では歌の多くを初期のテイクに近い形で録ったとも語っており、練り直し続ける以外の手応えも得ていました。

歌い回しを家で細かく決めて、そのとおりに再現する方法でもありませんでした。
本人は、歌いながらブルースのように形を見つけていく感覚を説明しています。
旋律を大切にすることと、その場で声を動かす自由は両立する。
技巧を抑えるだけでなく、出てきた歌を信頼することも、この時期の変化でした。

「Can’t Stop the Flood」でも、強い声は消えていません。
ヒューズが考え直していたのは声量の大小ではなく、どの場面で何を聴かせるかでした。
その問いが、のちに舞台で歌う曲の順番にもつながります。

2005年、ストックホルム公演のグレン・ヒューズ
2005年、ストックホルム公演のグレン・ヒューズ。
写真:Arthur shapoval at English Wikipedia / Public domain

2014年――「Burn」で終わらなかった出番

2014年4月4日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、亡くなったジョン・ロードをしのぶ公演が開かれました。
ロードはDeep Purpleのキーボーディストで、ヒューズにとって、かつて同じバンドで音楽を作った人です。

この公演は、有名な曲を年代順に並べるだけでは組み立てられませんでした。
クラシックの作品もロックも残したロードをどうしのぶか。
曲順は何度も練り直され、当日まで調整が続いていたといいます。
「Burn」もオーケストラ用に編曲されており、かつての舞台をそのまま再現する場ではなかったのです。

指揮をしたポール・マンによれば、ヒューズは自分が歌う「Burn」と「This Time Around」の順番を逆にするよう希望しました。
激しい代表曲を先に歌い、自分の出番を、より個人的な思いが伝わる曲で締めたのです。
公演全体の最後の曲を変えた、という意味ではありません。

「This Time Around」は1975年のDeep Purpleのアルバム『Come Taste the Band』に入っていた曲です。
この追悼公演ではオーケストラを伴い、ロックバンドの大音量で押し切る歌とは違う形で届けられました。
ヒューズは後年、この公演でのように伴奏に覆われず声が聴こえる場面を、自分の声について語る際に挙げています。

1974年の「Burn」を否定したわけではありません。
この日も、その曲を歌っています。
ただ、最後に残したい声として「This Time Around」を選んだ。
1990年代にシャウトなしで受けた拍手、2001年に語った一音の音色への信頼が、ここでは舞台の構成にも表れました。

2025年――重いロックを歌いながら、次の音を恐れない

2025年のアルバム『Chosen』で、ヒューズは再び重いロックを歌いました。
静かな歌へ一方向に進んだわけではなく、曲に合わせて強い声も使い続けています。

本人の説明では、この作品は旋律を大切にした重いロックであり、好きなR&Bをそのまま作品全体の方向にしたものではありません。
発売するレーベルの性格も踏まえ、今回はこの形で作ると選んでいました。
自分の中にある音楽を、一枚ですべて歌う必要はない。
ソウルへの好みを持ったままロックの作品を作ることも、ヒューズにとっては矛盾ではないのでしょう。

当時73歳だったヒューズは、歌声をどう保っているかを尋ねられた際、睡眠や本番前の準備とともに、次の高音を恐れなくなったことを挙げました。
以前は次の音が気になっていたが、いまはその場の歌に集中する、と本人は話しています。
これは本人の意識についての証言であり、年齢による声の変化をこちらが測定した話ではありません。

2024年、クラクフ公演のグレン・ヒューズ
2024年、クラクフ公演のグレン・ヒューズ。
写真:Фіксер / CC BY-SA 4.0

「Burn」で注目された高音は、その後もヒューズの歌の一部であり続けました。
しかし、聴き手を動かす方法をそれだけに限らなくなりました。
叫ばずに受けた拍手を思い出し、一音の音色を信じるようになり、ロードへの思いを伝える曲を最後に置いた。
2025年にもロックを歌いながら、次の音の成功を心配するより、いま歌う曲に向き合っていると話します。

あの追悼公演の曲順は、激しい声を失った人の選択ではありません。
激しい歌も歌える人が、それとは別の声を最後に残す。
長く自分の声を捉え直してきた歩みの中に置くと、あの曲順にも、代表曲の再演だけでは終わらない意味が見えてきます。

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