HAKUEIさんの歌声は、1990年代の鋭いハイトーンを失わずに、滑らかな旋律、低い語り、極端な役柄まで選べる声へ変わりました。
変化を「昔より太くなった」「年齢で低くなった」だけで説明することはできません。
大きな転機は三つあります。
1998年の「ロマンス」で一つの声のイメージが世間へ定着したこと、2016年と2024年に声帯手術を受けて声と向き合い直したこと、そして30周年以降も過去を保存せず新しい曲へ更新していることです。
現在の声までたどると、HAKUEIさんの歴史は高音を維持した記録ではありません。
同じ個性を持ちながら、何を強く出し、何を引くかを変え続けた記録です。
- 1992年の結成期は、完成した声を売るよりライブへ立つことが先だった
- 1996年のメジャーデビューと「ロマンス」が、HAKUEIの声を一つの印象へ固定した
- 2000年代は、速さと派手さの外へPENICILLINの輪郭を探した
- 2015年の歌謡曲カバーで、原曲へ寄せずに自分たちへ変える方法を知った
- 2016年の最初の声帯手術は、声を押し広げるより滑らかに使う転機になった
- 25周年から30周年は、過去を若く歌い直すのではなく現在の表現へ置き直した
- 2024年の2度目の声帯手術では、歌えること自体が当たり前ではなくなった
- 2025年の「阿修羅」から2026年の「Lady god」へ、声は再現より新作を選んでいる
- HAKUEIの歌声に残ったのは高さではなく、PENICILLINへ戻れる輪郭だった
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1992年の結成期は、完成した声を売るよりライブへ立つことが先だった
PENICILLINは1992年に結成されました。
HAKUEIさんは後年、最初はライブをしたいというところから始まり、オーディションライブ、ワンマン、CD、ツアーへ目標が広がったと振り返っています。
1994年の『Missing Link』には、初期の等身大の独白を形にした「螺旋階段」が収録されました。
この時期は、後のヒット曲に合わせて声を整える前です。
初期の価値は、現在より上手いか下手かではありません。
曲の構成も表現も荒々しいまま、PENICILLINという劇場を自分たちで作ろうとした勢いにあります。
後年のHAKUEIさんが過去曲を歌い直す時にも、この出発点の感情を消さないことが課題になりました。
1996年のメジャーデビューと「ロマンス」が、HAKUEIの声を一つの印象へ固定した
1996年に「Blue Moon/天使よ目覚めて」でメジャーデビューし、1998年の「ロマンス」が大きな転機になります。
最高4位、90万枚という規模で広がり、PENICILLINを知らない層にもHAKUEIさんの高音が届きました。
成功はバンドへ入口を作る一方、「HAKUEIの声とはこの鋭い高音である」という強烈な型も作りました。
長く活動するほど、その型を再演するだけでよいという期待が生まれます。
しかし本人は、ヒットした曲名をそのままアルバム名へ使う案に反発したことを後に明かしています。
売れた一曲へバンド全体を縮めたくなかった。
この態度が、声についても「ロマンスの人」で終わらない変化を促しました。
2000年代は、速さと派手さの外へPENICILLINの輪郭を探した
2000年代には、メロディアスなロック、重い曲、コミカルな曲まで作品の幅が広がります。
2007年にGISHOさんが脱退した後も、HAKUEIさん、千聖さん、O-JIROさんの3人で活動は続きました。
この変化は、ボーカルがバンドサウンドの空白を一人で埋めるという意味ではありません。
3人の音とタイミングがそろえば、別ジャンルの曲でもPENICILLINになるという感覚が、次第に輪郭を持っていきました。
ソロやmachineなど別の場へ出た経験も、本体の声を薄めませんでした。
異なる作曲家や演奏者と組むほど、PENICILLINで無意識に選んでいた言葉の置き方や劇的な声の立ち上がりが、自分の個性として見えるようになります。
2015年の歌謡曲カバーで、原曲へ寄せずに自分たちへ変える方法を知った
2015年の『Memories ~Japanese Masterpieces~』は、女性歌手の昭和歌謡や演歌を含むカバー作品でした。
高音ロックのイメージから遠い曲を歌うことで、HAKUEIさんは意外な確信を得ます。
原曲の歌い方へ似せなくても、3人で演奏すればPENICILLINになる。
むしろ遠いジャンルへ踏み込むほど、バンドの変わらない部分が分かるという発見です。
この経験以降、変化は自分の型を壊すことではなくなりました。
歌謡曲の長い旋律や言葉を生かす歌い方を通り、再び王道のロックへ戻っても、以前より選択肢が多い状態で歌えるようになります。
2016年の最初の声帯手術は、声を押し広げるより滑らかに使う転機になった
2016年、HAKUEIさんは声帯手術を受けたことを公表しました。
本人にとって、自分の声や歌へこれまでになく向き合った一年だったといいます。
手術後の『Lunatic Lover』では、喉の状態が良く、艶のある声で滑らかにメロディーを歌えたと説明しています。
負荷を強めて昔の鋭さを証明するのではなく、言葉と旋律をしっかり届ける方向へ感覚が変わりました。
同じ年のソロ20周年作品では、多数の作曲家から提供された曲を歌い、初期ソロ曲の新録も行っています。
一つのバンドサウンドに守られず、曲ごとに声の役を変える経験が、現在のHAKUEIさんへつながりました。

25周年から30周年は、過去を若く歌い直すのではなく現在の表現へ置き直した
25周年の頃、本人は声の変化は分かりやすい一方、メンバーの音やタイミングには変わらないものがあると話しました。
ここから、PENICILLINの変遷を「昔と今のどちらが良いか」ではなく、変わる声を同じバンドの体幹へどう戻すかとして見られます。
30周年では、年代ごとの曲を選んだベスト作品を作り、一部を現在の編成で録り直しました。
すべてを新録して過去を上書きするのではなく、オリジナル音源が持つ時間も残す選択でした。
2022年の「パライゾ」は、近年の歌声を示す一方、30周年版では音質とオーケストラ要素を加えて、同じ曲をよりドラマチックに整えています。
過去を保存する作品と、現在の声で更新する作品を分けたことが、長い歴史を一色にしない工夫でした。
2024年の2度目の声帯手術では、歌えること自体が当たり前ではなくなった
2024年のツアー前、HAKUEIさんは2度目の声帯手術を受けました。
回復は想定より遅く、本人は歌えなくなることや、ステージへ立てなくなることまで考えたと公演で話しています。
この出来事を、現在の声が以前より良くなったという単純な成功物語にはできません。
手術の詳しい内容や声帯内部の状態は、公表された範囲を超えて推測できないからです。
確認できるのは、声が戻った後、ステージへ立てる喜びを改めて語ったことです。
「No」を含むツアーでは、昔の高音を再現する証明より、今ここで曲を届けられることが歌唱の重みになりました。

2025年の「阿修羅」から2026年の「Lady god」へ、声は再現より新作を選んでいる
2025年の「阿修羅」は、幼少期、思春期、青年期という三つの顔を一つの作品へまとめた企画です。
HAKUEIさんは「青年期」に現在のPENICILLINの現実を、「思春期」に結成当時を重ねました。
歌唱の変遷を説明する作品を作ったのではなく、現在の自分が過去の時代を役として歌い分けています。
歴史を懐かしむだけでなく、33年以上の時間を新曲の材料へ変えた点が重要です。
2026年には「Lady god」を発表し、メジャーデビュー30周年の活動も続いています。
公式映像で確認できる現在の姿は、「ロマンス」を同じ声で繰り返す保存版ではありません。
変わった声も、手術を経た時間も、新しい曲の役へ使う現役のボーカリストです。
HAKUEIの歌声に残ったのは高さではなく、PENICILLINへ戻れる輪郭だった
HAKUEIさんの歌声は、初期の鋭さ、ヒット期の高音、歌謡曲を運ぶ滑らかさ、手術後に向き合い直した声、近年の極端な役柄へと変わってきました。
それでも別人に聞こえないのは、言葉を劇的に立ち上げ、曲をPENICILLINの世界へ連れてくる輪郭が残っているからです。
二度の手術を「高音維持の秘訣」として真似することはできません。
むしろ、声を失う不安まで経験しながら、過去の再現ではなく新作を選んでいることに、長く歌う人としての変化があります。
現在の声の使い分けと、表面だけ真似しない方がよい部分は、HAKUEIさんの歌い方・発声分析で詳しく整理しています。
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