今市隆二の歌声はどう変わった?100回以上の落選、三代目JSB、ソロR&Bまで

100回以上の落選から三代目JSBとソロR&Bへ進んだ今市隆二の歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

今市隆二さんの歌声は、デビュー時から完成していたように見えます。
しかし実際の変遷は、一直線に上手くなった物語ではありません。

歌手になる前に100回以上のオーディションへ挑み、2010年にようやく三代目 J SOUL BROTHERSのボーカルへ選ばれました。
そこで覚えたのは、一人で歌い切る技術ではなく、ØMIさんと声を分け、7人のために歌う責任でした。

2014年の『R.Y.U.S.E.I.』でグループの音楽が大きく動くと、歌声にも強いビートを抜ける速さが求められます。
そして2018年、ソロ活動でR&Bの原点へ戻った時、今市さんは再び一人の歌手として声を自由にしました。

この変化は、昔の声を失った歴史ではありません。
オーディション、ツインボーカル、EDM、ソロR&Bを通して、「自分の声を誰のために使うか」が変わってきた歴史です。

デビュー前、100回以上の落選が声より先に心を変えた

今市隆二さんは、歌手になる前に圧接工として働き、現場では親方も務めていました。
仕事を終えてからボイストレーニングへ通い、数多くのオーディションを受け続けています。

本人の記憶では、その数は100回以上です。
ただし、後に大きな意味を持ったのは、回数そのものではありませんでした。

2010年のVOCAL BATTLE AUDITION 2へ臨む頃、ボーカルレッスンやダンスだけでなく、ランニングや生活の見直しまで行っています。
本人は、その過程で最も変わったのは人への感謝や物事の価値観だったと振り返りました。

歌声が評価される前に、落選しても準備を続ける人間へ変わった。
この経験が、後の「声が続く限り歌う」という言葉につながります。

2010年、『Best Friend’s Girl』では二人の声を一つにすることから始まった

オーディションで選ばれた今市隆二さんと登坂広臣さん、現在のØMIさんは、三代目 J SOUL BROTHERSのツインボーカルになりました。
デビュー曲『Best Friend’s Girl』は、二人の歌声を競わせるより、一つの切ない物語へ重ねるバラードです。

2010年のデビュー曲Best Friends Girl公式MVに登場する三代目 J SOUL BROTHERS

初期の今市さんは、艶のある声を前へ出しながらも、一人で語尾を独占しません。
次の声が入れるようにフレーズを渡し、二人の音色が切り替わること自体を曲の表情にしました。

後年、今市さんは、グループでは「7人で三代目」であることを考え、ソロでは一人のボーカリストとして向き合うと説明しています。
その役割分担は、デビュー時から歌い方の土台にありました。

2014年、『R.Y.U.S.E.I.』が歌声の時間を速くした

今市さん自身が、グループの絶対的な転機として挙げるのが『R.Y.U.S.E.I.』です。
それ以前の三代目 J SOUL BROTHERSには落ち着いた曲が多く、このヒット以降はEDMの印象が強まりました。

音楽が変われば、同じ高音でも役割が変わります。
バラードでは母音を長く残せますが、EDMでは声がビートへ素早く乗り、次の動きへ場所を空けなければなりません。

今市さんの複雑なフェイクは消えず、短く拍をまたぐ形へ変わりました。
強い伴奏の中でも艶を失わず、踊る曲の速度を止めない歌へ進んだ時期です。

2018年、ソロ活動はR&Bの原点へ戻る出口になった

2018年、今市隆二さんは本格的なソロプロジェクトを始めます。
三代目 J SOUL BROTHERSとは別の世界を作る時、選んだ中心はR&Bでした。

『ONE DAY』では一人の声で情景を保ち、『Angel』では初めてファンクへ挑み、シャウトやフェイクを重ねました。
本人は『Angel』の制作で、自分でも知らなかった声を発見したと話しています。

ツインボーカルでは、次の声へ余白を渡します。
ソロでは、その余白を自分のアドリブで広げられます。
同じ歌手の中にあった二つの時間感覚が、ここで初めて別々の作品になりました。

ブライアン・マックナイトとの生活が、技巧より覚悟を前へ出した

ソロ初期のもう一つの転機が『Thank you』です。
今市さんは、敬愛するR&B歌手ブライアン・マックナイトのもとで約2か月生活し、家族のような関係の中で曲を作りました。

歌詞に置いたのは、感謝と、声が続く限り歌い続けるという意思です。
『Angel』で自由な声を増やした直後に、『Thank you』では技巧を抑え、言葉をまっすぐ置いています。

個人の楽曲評でも、『ONE DAY』がアーティストとしての勝負なら、『Thank you』はシンガーとしての覚悟が見えるという受け止め方がありました。
声の変化は、音を増やすことだけではありません。
増やせるようになった後で、必要なものだけ残すことも変化です。

2022年、36公演の小さな夜が「ボーカリスト」を中心へ戻した

2022年、今市隆二さんは『RILY’S NIGHT』として36公演を完走しました。
大規模なドーム公演とは異なり、各地の客席へ歌を近く届ける構成です。

その活動を経た本人は、自分は結局のところボーカリストでありフロントマンだと語っています。
ØMIさんと自分のどちらが欠けても三代目のライブは成立しないとも話しました。

これは、ソロへ進んでグループから離れたという話ではありません。
一人で歌う時間が増えたことで、二人で背負う責任が見え直したのです。

2023年の『STARS』では、夢をつかもうとする若さだけでなく、何度でもやり直せるという経験を二人の声で届けました。
高音の強さより、長く続けた人の言葉が前へ出る歌へ変わっています。

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2024年の『R』で、借り物ではない名前を声へ戻した

2024年のアルバム『R』は、今市隆二さん自身の頭文字を掲げた作品です。
タイトルが示す通り、誰かの型へ近づくより、自分が何者かを作品の中心へ置きました。

2024年のREALLY LOVEでソロR&Bの現在形を示した今市隆二

『REALLY LOVE』では、ソロ初期にあった海外R&Bへの憧れを残しながら、日本語の言葉と現在の低い声をより前へ出しています。
若い頃の明るい高音だけを名刺にせず、声の影や話すような音域も曲の魅力にしました。

本人は、ソロとグループでどんな曲を選ぶかを一生のテーマだと捉えています。
『R』はその答えを固定した作品ではなく、今市隆二という名前で迷い続けること自体を作品にした一枚です。

2025年の停止と2026年の再開は、歌い続ける言葉を現実へ戻した

2025年、今市隆二さんは活動を自粛する期間に入りました。
所属事務所は同年11月、2026年から段階的に活動を再開すると発表しています。

そして2026年、4公演限定の『FIRST MOVE』が始まりました。
告知に掲げられたのは、ファンのもとへ会いに行き、歌を届けること、そして「ヴォーカリストとして歩むこれから」です。

この再開を、歌声だけで美談にすることはできません。
一方で、『Thank you』で語った「声が続く限り歌う」という意思が、順調な時だけの言葉ではなかったことも確かです。

100回以上のオーディションで落ちても準備を続けた人が、再び最初の一歩を名乗る。
2026年の声は、単に休養後の声ではなく、信頼と歌をもう一度積み上げる声として始まっています。

変わらないのは、歌手という役割を仕事より大きく考える姿勢

今市隆二さんの声は、初期バラードの明るい艶、EDMを抜ける速さ、ソロR&Bの自由、近年の低い語りへと広がりました。
時期によって響きが変わったという第三者の見方もあり、すべてが滑らかな成長だったわけではありません。

それでも、変わらないものがあります。
オーディションで心が変わったと語り、ブライアン・マックナイトとの曲で歌い続ける覚悟を示し、ソロを経て自分はボーカリストだと言い切ったことです。

現在の発声、高音、フェイクを年代から切り離して知りたい場合は、今市隆二さんの歌い方・発声分析で詳しく整理しています。

まとめ|今市隆二の歌声は、自由と責任を往復するたびに変わった

今市隆二さんの歌唱変遷は、昔より高音が出るかどうかだけでは語れません。
100回以上の挑戦で歌う覚悟を作り、三代目 J SOUL BROTHERSで二人の声をつなぎ、『R.Y.U.S.E.I.』で速い時代の歌を覚えました。

ソロではR&Bへ戻り、『Angel』で予定外の声を見つけ、『Thank you』で技法を引きました。
2022年以降は一人で歌うことによってグループの責任を見直し、2026年には再び「最初の一歩」から歌を始めています。

自由に歌うほど、誰かと歌う責任が見える。
責任を背負うほど、一人で声を試す時間が必要になる。
その往復こそが、今市隆二さんの歌声を現在まで動かしてきた力です。

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