岡林信康の歌声はどう変わった?フォーク、ロック、演歌、エンヤトットを巡った55年

デビュー55周年記念公演で歌う岡林信康 シンガー

岡林信康さんの歌声の歴史は、一本道ではありません。
社会を告発するフォークの声で頂点へ上がり、そのまま円熟する代わりにロックへ移る。
人気絶頂で山村へ消え、戻ってくると演歌を歌う。
さらにニューミュージックを通り、日本の祭りのリズムからエンヤトットを作りました。

普通の歌手史なら、最初の成功を基準に「変わった」「戻った」と整理したくなります。
しかし岡林さんは、過去の自分へ戻るために変化したのではありません。
その時々にまとわりついた期待を脱ぎ、まだ自分の言葉で歌える場所まで移動し続けました。

半世紀を越えた歩みを眺めると、変遷は迷走ではなく、一つの大きな円を描いています。
最後に戻ったギター一本の姿も、出発点の再現ではありません。
フォーク、ロック、演歌、エンヤトットをすべて通過した人だけが立てる、新しい原点でした。

1966~1968年|山谷の暮らしが、歌う理由を先に作った

岡林さんは牧師の父を持ち、同志社大学神学部へ進みました。
ところが大学の内側で考えるだけでは満足できず、東京・山谷で日雇い労働者の生活を経験します。

その頃に高石友也さんのコンサートから刺激を受け、独学で曲を書き始めました。
歌手になるために発声や舞台表現を先に整えたのではなく、見てしまった現実をどう言葉にするかが出発点です。

1968年のデビュー曲「山谷ブルース」には、その順番が表れています。
歌唱の見栄えより、現場で生まれた言葉を本人の声で出すことが先にある。
この直接性が、翌年までに発表された「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」などにもつながりました。

多くの作品が放送しにくい内容を持ちながら広がり、岡林さんは瞬く間に「フォークの神様」と呼ばれます。
二十代前半の歌手の声が、時代全体の代弁者として受け取られるようになったのです。

1969~1971年|はっぴいえんどとのロックが、神様を地上へ降ろした

成功の直後、岡林さんはロックへ向かいました。
当時まだ広く知られていなかった、はっぴいえんどを伴奏に迎え、「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などを発表します。

これは音を派手にするだけの転身ではありませんでした。
弾き語りの一人語りから、バンドが作る速度と衝突の中へ声を移すことで、歌手と聴衆の関係まで変えようとした時期です。

ところが、聴き手が求めるのはなおも「フォークの神様」でした。
社会に対する正しい答えを歌い続けてほしいという期待が、本人の変化を許さない。
岡林さんは1971年の大規模な舞台を境に、若者音楽の中心から姿を消します。

人気を失って消えたのではありません。
人気が本人の声より大きくなった時に、自分から舞台を降りたのです。
この出来事が、その後の歌声を考える最初の大きな分岐になります。

ギターを抱えてステージに立つ岡林信康

1971~1975年|山村で沈黙し、嫌っていた演歌に自分を見つけた

岡林さんは京都府下の山村で暮らし始めます。
畑や田んぼと向き合う生活は約5年に及びました。

この空白は、音楽から完全に離れた休暇ではありません。
都会の運動や音楽産業が作った速度から降り、自分が何に動かされる人間なのかを確かめ直す時間でした。

そこで大きく変わったのが、演歌や歌謡曲への見方です。
若い頃には体制や商業主義の側にある古い音楽と考えていた美空ひばりさん、三橋美智也さんの歌に、無視できない日本語の力を感じるようになります。

1975年、美空ひばりさんは岡林作品「月の夜汽車」「風の流れに」を取り上げました。
同じ年、岡林さん自身も演歌路線の『うつし絵』を発表します。

社会を真っすぐ切る若い声から、言葉を揺らし、人の暮らしや情念を抱える声へ。
この変化は思想を捨てた結果ではありません。
それまで敵側に置いていた音楽の中にも、自分の身体へ続く道があると知った転換でした。

1978~1980年代前半|ニューミュージックを通り、再びロックを深めた

1978年の『セレナーデ』以降、岡林さんはパロディー色のあるニューミュージックへ進みます。
その後は再びロック志向を深め、「君に捧げるラブ・ソング」「山辺に向いて」などを残しました。

初期の岡林さんを知る人にとって、この時期は最もつかみにくく見えるかもしれません。
社会の象徴だった歌手が個人的な愛や日常を歌い、音楽の装いも次々と変わったからです。

けれど、ここで試されたのは「何を歌えば岡林信康らしいのか」という問題でした。
政治的な主題だけに戻れば分かりやすい。
演歌の発見だけを守っても一つの完成形にはなります。
岡林さんは、どちらにも定住しませんでした。

一つの様式を自分の看板にするたび、その看板から外れる感情が出てくる。
この時期の振幅は、後に複数の経験を一つのリズムへ集めるための助走になりました。

1980年代半ば~1998年|エンヤトットに約20年を費やした理由

1980年代半ば、岡林さんはギターとハーモニカによる弾き語りツアーを始める一方で、日本の民謡や盆踊りに残るリズムを使ったロックを模索します。
その試みが「エンヤトット」でした。

韓国の打楽器集団サムルノリとの出会いも、方向を決める助けになります。
西洋の音楽を知らなくても、自分たちの土地のリズムなら世界へ出られる。
その姿勢に刺激を受け、岡林さんは日本の気候風土から生まれる音楽を掘り下げました。

1987年には自主制作テープ『エンヤトットでDancing』を発表します。
その後もレーベルを移りながら試行錯誤を続け、1990年代には海外公演や異分野との共演へ活動を広げました。

すぐに歓迎されたわけではありません。
昔の歌を待つ観客に対し、新しいリズムだけを演奏した時期もありました。
本人が後に振り返ったように、手応えを得て過去の歌も再び歌えるようになるまでには長い時間が必要でした。

ここで歌声は、若い頃のフォークへ戻ったのではありません。
フォークの言葉、ロックの推進力、演歌の揺れが、日本の祭りの拍の上で同時に動くようになります。
遠回りしてきたすべての時代が、初めて一つの身体へ集まったのです。

ギターとハーモニカで演奏する岡林信康

2007~2019年|昔の歌を封印せず、現在の声で歌い直した

2007年、岡林さんは36年ぶりに日比谷野外音楽堂の舞台へ立ちました。
1971年の公演が、期待から離れるための区切りだったのに対し、2007年はエンヤトットで得たものと初期の歌を同じ場所へ並べられる公演です。

過去を解禁したというより、過去の歌を現在の自分へ戻せるようになった、と考える方が近いでしょう。
二十歳で作った歌を六十歳でも当時と同じように歌う方が不自然だという本人の考えどおり、古い曲は記念品ではなく、生きて変わる曲になりました。

2015年からは、再び弾き語りを中心に全国を回り、約2年半でおよそ80公演を重ねます。
2018年の50周年作品『森羅十二象』では、各時代の代表曲を現在の声で録り直しました。

山下洋輔さん、矢野顕子さん、坂崎幸之助さん、サンボマスター、室内合奏団まで参加者は多彩です。
それでも録音は、過去を精密に復元する方式ではなく、演奏者が同じ時間に鳴らす同時一発録音でした。

出発点の弾き語りへ戻りながら、そこには半世紀分の他者と音楽がいる。
この帰還によって、初期の歌と現在の歌の間に優劣をつけず、一つの長い人生として並べられるようになりました。

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2020~2023年|新しい言葉を書き、55周年を「現在進行形」にした

2020年、コンサート活動が止まる中で、岡林さんは8年ぶりの新曲「復活の朝」をYouTubeで発表しました。
翌2021年には、23年ぶりとなる全曲書き下ろしアルバムへつながります。

題材は環境、生と死、老い、平凡な日常、社会の画一化などでした。
初期と同じ問題意識へ戻ったようにも見えますが、若者の代表として答えを叫ぶ形ではありません。
長く暮らしてきた一人の人間が、可笑しさや弱さも含めて同時代へ言葉を渡しています。

アルバムの最後には、初期の「友よ」から半世紀を隔てた「友よ、この旅を」が置かれました。
昔の呼びかけを再演するのではなく、旅を続けた現在から同じ相手へ声をかけ直す曲です。

2023年の55周年公演は、公式にも「現在進行形の歌」として告知されました。
伝説を保存する記念会ではなく、55年分の変化そのものを今日の舞台へ持ち込む公演です。

岡林信康の歌声は、同じ場所へ戻りながら別の人になってきた

岡林信康さんの変遷は、フォークから別ジャンルへ進んだ直線ではありません。

山谷の実体験から言葉を得て、フォークの神様と呼ばれる。
その役から離れるためにロックへ進み、山村で沈黙し、演歌に出会う。
ニューミュージックを通り、エンヤトットで自分の土地のリズムを作り、最後は再びギター一本へ戻りました。

ただし、一周して元通りになったわけではありません。
最初の弾き語りは、まだ何者でもない青年が社会へ言葉を投げた姿でした。
後年の弾き語りは、何度も神様にされ、そのたびに看板を脱いだ人が、すべての時代を連れて一人で立つ姿です。

各時代を貫く歌い方の核は、岡林信康さんの歌い方・歌唱力で詳しく整理しています。

声は若い頃より年齢を含み、間にはユーモアが増えました。
けれど、言葉が自分の現在から出てこなくなったら、そこに留まらない姿勢は変わりません。

岡林信康さんの55年は、正解の歌い方を見つけた歴史ではありません。
正解に見えた場所を何度も離れ、それでも歌う理由を失わなかった歴史です。
その円環があるから、初期の歌も近年の新曲も、懐メロではなく「いま誰が歌っているのか」が聞こえる歌として並んでいます。

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