ブルーノ・マーズは、「When I Was Your Man」を歌うのはつらいと話しています。
歌うたびに、大切な人を失いそうになったときの感情へ引き戻されるからでした。
華やかなステージで観客を踊らせる人にも、歌えば平気ではいられない曲があるのです。
2012年の『Unorthodox Jukebox』に収められたこの曲は、ピアノと歌だけのバラードです。
ブルーノの強い高音も、ここでは自信のある男の見せ場にはなりません。
自分の過ちを認める場面で声が高まり、歌える人の強さと、後悔する人の弱さが一緒に伝わってきます。
なぜ、その組み合わせが切ないのでしょうか。
歌っているのは、恋人を取り戻したヒーローではない
この曲の主人公は、別れた相手に十分なことをしてあげられなかったと振り返ります。
相手の心を奪い返すための立派な宣言よりも、自分がしなかったことのほうが、次々と出てくる歌です。
ただし、歌の中の別れと、ブルーノ自身の出来事は分けて考えたいところです。
制作の背景には当時の恋人との関係を失う不安がありましたが、二人はそのとき実際に別れたわけではありません。
失うかもしれないという怖さから、失ったあとの男の歌が生まれたのでした。
この前提が分かると、歌の受け止め方も少し変わります。
ブルーノが過去の失恋を淡々と報告している、と決め付ける必要はありません。
まだ避けられるかもしれない結末を思い描き、その結末に立った人物として歌っている、とも捉えられます。
本人の体験が出発点でも、完成した歌には、聴き手が自分の後悔を重ねられる人物がいる。
実際の出来事をそのまま説明する代わりに、一人の男の話として歌にする。
私生活を詳しく知らなくても、歌の中で何を悔やんでいるのかは伝わります。
ピアノだけにしたのは、声の上手さを試すためではない
共同制作者のフィリップ・ローレンスは、ブルーノとともにビリー・ジョエルやエルトン・ジョンを好んでいたと話しています。
二人が惹かれたのは、歌手がピアノに向かい、飾らない感情を表す場面でした。
「When I Was Your Man」の簡素な編成には、そんな歌を自分たちも作りたいという願いがありました。
ピアノだけで歌うと、歌声に注意が集まります。
ただ、その理由を「ごまかしが利かないから」で終えると、歌唱力の試験のようになってしまいます。
この曲では、主人公が言いにくいことを一人で話している、という状況にも合っているのです。
大勢のコーラスが代わりに気持ちを盛り上げたり、ドラムが勢いよく場面を進めたりはしません。
一つの言葉をどれくらい引き延ばすか、次の言葉へどう進むかが、そのまま主人公の話し方に近づきます。
聴き手は声の大きさだけでなく、告白の進み方にも耳を向けることになります。

それでも、伴奏が少ないことと、歌が単調であることは別です。
作曲家のキャット・コーエンは、この曲でピアノと歌がリズムをずらしながら動くことや、各部分の旋律に対比があることを指摘しています。
静かな編成の内側にも動きがあり、同じ調子で悲しみを説明し続ける曲にはなっていません。
余計な音を足さずに、歌の変化を目立たせる。
ピアノと声の二つに絞ったことで、ブルーノが強く歌う場面にも、それまでとの違いが生まれます。
声が高まるところで、自分の間違いを認める
「When I Was Your Man」では、最後のサビへ進む前に、主人公が自分の非を認める場面があります。
そのブリッジは、歌の感情が強く表れる部分としても評されています。
ブルーノの滑らかな声に切迫感が加わることが、告白の重さと結び付く箇所です。
高音だけを取り出すと、難しいフレーズを堂々と歌い切る場面に見えるかもしれません。
けれど、主人公がそのとき認めているのは、自分が間違っていたということです。
声は強くなっても、立場が強くなるわけではありません。
むしろ、言い訳を続けられなくなった人の切実さとして受け取ると、あの力強さに納得がいきます。
弱っている人を描く方法は、小さな声で歌うことだけではないのでしょう。
何かを取り返したい気持ちが大きければ、後悔も大きな声になる。
この曲では、歌声の力と主人公の弱さが反対向きに見えるからこそ、感情が単純な「悲しそうな声」に収まりません。
しかも、強く歌えば歌の中の問題が解決するわけでもありません。
最後に主人公が願うのは、自分ができなかったことを、相手の新しい恋人がしてくれることです。
自分が幸せにしてあげると歌いたいはずの人が、別の男にその役目を託す。
そこまで歌っても、主人公の後悔は残ります。
盛り上がりを成功や勝利と結び付けずに聴くと、ブルーノの高音は、もっと痛みを含んだものに感じられるはずです。
甘いバラードでも、旋律から作り直した
では、ブルーノは感情さえあれば、そのまま歌にすればよいと考えているのでしょうか。
2016年の『24K Magic』に入る「Versace on the Floor」の制作には、別の一面が表れています。
こちらは後悔の告白ではなく、恋人との甘い時間を描くバラードです。
ブルーノはこの曲を何度も作り直しました。
初期の版は聴かせた人が笑顔になる出来でも、彼には、くつろいだ雰囲気に収まりすぎていると感じられました。
伴奏を壮大なものへ変えた版にも満足せず、やがて旋律と歌詞まで書き直しています。
しっかり歌い上げるバラードにしたいのに、まだ自分の歌にその力を出せていない、と考えたからでした。

伴奏を豪華にすれば、歌まで情熱的になるわけではない。
この作り直しでブルーノが求めたのは、恋人に何をするかと説明するだけの歌から、歌声そのものに熱を感じられる曲へ変えることだった、と読めます。
完成度の高い歌い手が、用意された旋律を上手に歌うだけでなく、自分の声をどう生かすかというところから曲を組み直していたのです。
「When I Was Your Man」のピアノだけの歌にも、同じ視点を向けられます。
簡素な伴奏を選ぶことも、高く盛り上がる旋律を置くことも、主人公の気持ちをどんな順序で伝えるかという問題です。
その後、別の歌手と一緒に曲を作ることで生まれた変化は、ブルーノ・マーズの歌声の変遷でたどっています。
あの高音を、後悔の言葉と一緒に聴く
「When I Was Your Man」のブルーノは、強い声で自分の強さを示しているのではありません。
相手にしてあげられなかったことを振り返り、自分の間違いを認める人物を歌っています。
ピアノだけの伴奏がその告白を近く感じさせ、声の盛り上がりが、認めることのつらさを大きくします。
あの高音が切ないのは、音の高さに悲しみが決まっているからではないのでしょう。
そこへたどり着くまでに、主人公が何を話してきたかがあるからです。
歌い上げる瞬間だけでなく、その前の言葉から続けて聴くと、見事な声を出せる人が、どうにもならない後悔を歌う面白さが見えてきます。
こちらの記事もおすすめ






コメント