岸田繁(くるり)の歌い方|気合いを入れた本番より、素朴なデモがよかった理由

2018年の岸田繁 シンガー
2018年の岸田繁。撮影:須田卓馬/写真出典:音楽ナタリー

歌を録り直すなら、前より気持ちを込めて、もっとよく歌いたくなるものです。
ところが、くるりの『ソングライン』では、そうして録った本番の歌より、曲作りの途中で録ったデモの歌が選ばれることがありました。

岸田繁がたっぷりと歌うと、ベースの佐藤征史は、もう少し軽く歌ったほうが曲に合うと感じる。
岸田自身も、あとで聴くと大げさに思えることがあったそうです。
気持ちを強く込めれば、その曲に合うとは限らなかったのです。

岸田の歌の面白さは、声だけで気持ちを説明しきらないところにあります。
楽器の響きや言葉の曖昧さまで含めて、一曲の感情ができあがる。
2018年の「その線は水平線」は、そんな歌と演奏の関係を考えたくなる曲です。

「もっと上手に」より、「この曲にはどんな歌か」

デモは、完成前の曲をメンバーに伝えたり、アレンジを試したりするための録音です。
本番に向けた準備のはずですが、そこに、録り直しても出せないよさが残ることがあります。

『ソングライン』でデモの歌が選ばれた理由について、佐藤は、素朴な歌のよさを挙げています。
メンバーはその歌を聴きながら楽器を録音していました。
そのため、出来上がった演奏にも合っていたのではないかと話していました。

ここでは、歌声だけを取り出したときの上手さより、演奏との相性が大事だったのでしょう。
同じ旋律でも、言葉をたっぷり伸ばせば、歌手の思いが前に出る。
軽く歌えば、楽器の動きも一緒に追いやすくなる。
どちらがその曲にふさわしいかを、バンド全体の音で選んでいるのです。

「自然体」と聞くと、何も考えずに歌っただけのようにも思えます。
けれど岸田たちは、気合いの入った本番の歌と、素朴なデモの歌を聴き比べて選んでいる。
その結果として、何気なく聞こえる歌が残ることもあるのでした。

歌声を前に出さない「その線は水平線」

「その線は水平線」について、岸田は、声が遠くに聞こえる理由を、録音の方法から説明しています。
この曲では、声の音量差を抑えるためによく使われるコンプレッサーを、ボーカルにかけていませんでした。

もともと何度か録音して、なかなか納得のいく形にならなかった曲です。
格好よくアレンジしようとすると、かえって曲が台なしになる。
そこで、普段とは違うスタジオや録り方を試した結果、新しい手応えが生まれました。

この話を知ると、歌声が目の前へ迫ってこないことを、そのまま歌い手の感情の薄さと結びつけなくてよくなります。
声の聞こえ方には、歌い方だけでなく、録り方や周りの楽器の響きも関わっているからです。

岸田の声を大きく、くっきりと前に置く方法もあるでしょう。
けれど、そうしないことで、歌とギターが同じ空間で鳴っているように感じられる音楽もある。
歌声の存在感には、目立つこととは別の作り方があるのだと思います。

2018年の岸田繁
2018年の岸田繁。撮影:須田卓馬/写真出典:音楽ナタリー

同じ歌なのに、優しくも寂しくも聞こえる

岸田の歌について、坂本真綾は面白い感想を話しています。
「言葉はさんかく こころは四角」や「奇跡」を聴くと、自分の状況によって、以前とは違う理由で泣けてくる。
同じ歌なのに、優しくも寂しくも感じられ、声色まで違って聞こえるというのです。

録音された歌が、そのたびに歌い直されているわけではありません。
変わるのは聴く人の気持ちで、その変化によって、歌の別の部分が気にかかる。
歌い手が一つの感情を強く指定しすぎなければ、そうした聴き方もできるのだと思います。

岸田は、ある出来事で動いた気持ちを歌にするとき、その出来事の名前を直接出すだけでは、歌の世界が限定されると考えています。
似た感覚を呼び起こす別のものを探す。
その工夫は言葉だけでなく、音や和音のつながりにも及びます。

だから、歌詞の意味を一文で言い切ろうとすると、少し取りこぼすものがあるのでしょう。
はっきり説明されなくても、歌声と楽器を一緒に聴いていると、自分の思い出と重なることがある。
岸田の歌に感じる親しさは、声の優しい響きだけから生まれているわけではなさそうです。

本人の思い出を全部説明しない「東京」

たとえば、1998年のデビュー曲「東京」は、岸田自身の日記に近い歌詞だったといいます。
当時はお金がなく、佐藤から借りることもありました。
けれど歌詞には、その生活で起きたことが、細部まで全部書かれているわけではありません。

2023年にこの曲を振り返った岸田も、具体的な出来事を書き込まなかったから、聴いた人が自分の経験を当てはめやすかったのかもしれないと話しています。
本人が経験したことから始まった歌が、聴き手それぞれの歌になっていったのでした。

そう考えると、岸田の歌を、本人の心情の再現だけとして聴かなくてもよくなります。
誰がどんな出来事を経験したのか、正解を知らなくてもいい。
自分の寂しかった日や、帰りたくなった日のことを思い出しながら聴けるのです。

声で気持ちを説明しきらないことと、言葉で出来事を説明しきらないこと。
どちらにも、聴く人が自分なりの気持ちや思い出を重ねられるよさがあると思います。

2022年の岸田繁
2022年の岸田繁。撮影:曽我美芽/写真出典:音楽ナタリー

素朴な歌を選ぶのは、歌を軽く考えているからではない

岸田は曲を作り、ギターを弾き、歌います。
だから、歌だけをよく見せることより、その曲がいちばんよく聞こえる形を探せるのかもしれません。

実際、2022年にKOTORIの「こころ」をプロデュースしたときには、歌を軸にして、バンドが寄り添う作り方を勧めています。
楽器を先に固めて、その隙間に歌を入れていたバンドに、別の方法を試してもらったのです。
いつでも歌を控えめにしたいのではなく、その曲に必要なら、歌を中心に置くのでした。

岸田自身が歌うことを楽しむようになり、ビブラートや歌い回しを変えていった過程は、岸田繁の歌声の変遷で詳しくたどっています。
表現の方法が増えたからこそ、あえて素朴に歌う選択にも意味が出てくるのでしょう。

一曲の気持ちを、歌声だけで全部引き受けなくてもいい。
楽器が語るところも、聴き手が自分で思い出すところもある。
だから岸田の何気ない歌声が、聴く日によって思いがけず深く響く。
デモの素朴な歌が選ばれた話には、そんなくるりの魅力が表れていると思います。

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