大塚愛の歌い方はなぜ曲ごとに違う?「さくらんぼ」の声を作った発声を分析

大塚愛の曲ごとに変わる歌い方と発声を分析する記事のアイキャッチ シンガー

大塚愛さんの歌声を一言で表すなら、明るく、かわいらしく、少し鼻にかかった声を思い浮かべる人が多いでしょう。
ところが本人は、もともと自分の声に歌手としての魅力を感じていませんでした。

正統派の大人っぽい歌い方でボイストレーニングを受けたものの、この声では勝負できないと一度は挫折した。
そこで選んだのが、声を一つの個性として押し通すのではなく、曲に合う声を自分で作る方法でした。

「さくらんぼ」の弾ける声も、生まれつきいつも出ていた話し声ではありません。
大塚愛さんの歌い方の面白さは、一声で本人だと分からせることより、曲が求める人物へ声を着替えさせることにあります。

「自分の声が好き」ではなく「この曲を良くしたい」から始まった

歌手の発声分析では、持って生まれた声質をどう磨いたかが中心になりがちです。
大塚愛さんは、その物語をきれいに裏返します。

17歳から18歳ごろ、自分の歌声だけでは歌手という仕事が成立しないと考え、作家として採用されればよいと思っていました。
歌いたい自分を前へ出すより、まず楽曲の足を引っ張らないことを優先したのです。

その判断は、自己評価の低さだけでは終わりませんでした。
明るい曲にムーディーな声を置けば、曲の勢いが弱くなる。
ならば、アッパーな曲にはアッパーな声を作ればよいと発想を変えます。

声を変えることは、本来の自分を隠す行為ではありません。
作詞・作曲・歌唱をまとめて考え、曲が最もよく届く人物を声で演じるプロデュースです。

「さくらんぼ」の高い声は、幼く歌うための声ではない

「さくらんぼ」を表面だけ真似すると、口先を細くして高い声を作り、かわいらしさを強調しがちです。
しかし、本人が大切にしたのは幼さよりも爆発力でした。

歌詞の一人称が「私」ではなく「あたし」なのも偶然ではありません。
本人の中では、「私」は地に足のついた人物で、「あたし」には若く勢いのある強さがあります。
同じ意味に見える二つの言葉を、別の人物の声として扱っているのです。

この違いを理解すると、明るい発声の役割も見えてきます。
高音を細く飾るのではなく、短い言葉を前へ飛ばし、速いリズムを止めず、サビの集団的な楽しさへつなぐための声です。

ボイストレーナーによる分析では、前方へ集まる明るい響きや、流れる歌詞を埋もれさせないマイクとの距離が特徴として挙げられています。
ただし、鼻にかける形だけを作れば同じ歌になるわけではありません。
言葉の人物像とリズムが先にあり、その結果として明るい音色が選ばれています。

同じ歌手なのに「プラネタリウム」では声の時間が遅くなる

にぎやかな曲の印象が強い一方、「プラネタリウム」では言葉が急いで前へ出ません。
音の始まりを柔らかくし、語尾を長く残せるため、同じ高い声でも「さくらんぼ」とは別の距離から届きます。

ここで重要なのは、高音の種類に名前を付けることではありません。
地声か裏声か、ミックスボイスかという一語だけでは、二曲の違いを説明し切れないからです。

曲のテンポ、言葉の密度、主人公の年齢、感情の向きが変われば、必要な声の立ち上がりも変わります。
大塚愛さんは、声区を見せるためではなく、歌詞の時間を作るために音量と息の距離を選んでいます。

宇多田ヒカルさんの歌い方にも、声そのものを誇示せず、息や言葉を曲のリズムへ組み込む発想があります。
ただし、大塚愛さんの場合は、一人の語り口を深めるというより、曲ごとに語り手を交換する点が特徴的です。

自分の声の「湿気」を消すため、マイクまで着替える

アルバムmarbleで曲ごとの声色を考えた大塚愛

声を曲に合わせる発想は、歌い方だけでなく録音機材の選択にも及びます。
本人は自分の声を、抜けにくさや「湿気」のある声として捉えています。

普段使うマイクには、中域を膨らませながら声を立体的にするものを選ぶ。
一方、2023年の『marble』では、曲の雰囲気に対して声の湿り気が多いと判断し、より明るい成分を持つ別のマイクへ替えた曲もありました。

ここが「鼻に響く明るい声」という一般的な説明だけでは見えない部分です。
本人は、自分の声を常に明るいとは考えていません。
むしろ放っておくと重さや湿り気が出るため、曲によって歌い方と録音の両方で明度を調整しています。

発声を身体の中だけで完結させず、マイク、アレンジ、歌詞まで含む仕上がりで判断する。
作家でありプロデューサーでもある大塚愛さんらしい声の作り方です。

『marble』で証明したのは「七色の声」より、声を手放せる強さ

『marble』は、7人の音楽家がそれぞれ曲を提供したコラボレーション作品です。
大塚愛さんは、自分で作ったメロディーを自分らしく歌う立場から、他人の曲を受け取り、作品ごとに別の声色を探す立場へ移りました。

提供者自身が歌う姿まで想像できるメロディーもあれば、声の居場所を一から探す必要がある曲もあります。
そこで、自分の定番の歌い方へ曲を引き寄せるのではなく、曲の中へ自分を移動させました。

「vanity」では、初期の弾むポップスと同じ声を出す必要がありません。
20年かけて増えたのは、何でも同じ声で歌える強さではなく、自分の看板になった声を一度脇へ置ける強さです。

本人にとって、ボーカルは曲を良くするための一つの材料です。
だからこそ、声の個性を守るより、曲に合わせて変わることが一貫した個性になりました。

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真似するなら声色ではなく「誰がこの言葉を言うのか」を考える

ライブで曲の人物を声に乗せる大塚愛

大塚愛さんへ近づこうとして、「さくらんぼ」の高く明るい声をすべての曲へ使うと、かえって本人の発想から遠ざかります。
あの声は万能の型ではなく、あの曲の「あたし」を成立させるために選ばれた声だからです。

参考にしやすいのは、歌う前に「この言葉を誰が、どんな勢いで話すのか」を決める姿勢です。
若く突っ走る人物なら子音を素早く前へ出し、静かに振り返る人物なら語尾を急いで閉じない。
声色を先に作るのではなく、人物と場面から必要な音色を選びます。

逆に、鼻にかける、喉を細くする、幼い話し声を作るといった外形だけの模倣はおすすめできません。
苦しさや強いかすれが出るなら、その声は曲に合っていても自分の身体には合っていません。

aikoさんの歌い方と比べると、会話のような言葉を一貫した身体感覚へ結び付ける歌と、曲ごとに語り手を着替える歌の違いが分かります。
どちらも高い声だけを取り出すより、歌詞の人物がどう動くかを見る方が面白くなります。

まとめ

大塚愛さんの歌い方は、一種類のかわいい声を磨き続けたものではありません。
自分の声だけでは歌手になれないと考えたところから、曲に合う声を作る発想へ進み、「さくらんぼ」の声さえ自分で発見しました。

明るい曲では言葉を前へ飛ばし、バラードでは声の時間を遅くする。
必要ならマイクで声の湿り気を調整し、他人が作った曲では看板の声を手放す。

変化が多いのに大塚愛さんらしいのは、固定した音色が残るからではありません。
いつも自分より曲を主役にしてきたという、声を選ぶ基準が変わらないからです。

その基準が20年以上かけてどう広がったかは、大塚愛さんの歌唱変遷で時代順にたどっています。

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