岸田繁(くるり)の歌声はどう変わった? 棒歌いから、歌う楽しさを知るまで

2026年のくるり(左:佐藤征史、右:岸田繁) シンガー
2026年のくるり。左から佐藤征史、岸田繁。撮影:Kazumasa Kawasaki/写真出典:FenderNews

くるりの岸田繁は、昔の自分を、あまり歌に興味のなかった歌い手として振り返っています。
「ばらの花」や「東京」で岸田の声を好きになった人には、少し意外な言葉かもしれません。

その岸田が、語尾を揺らすようになり、管弦楽に合わせるために呼吸を見直し、歌うことが楽しくなったと話すようになります。
声が年齢とともに変わっただけではなく、本人が歌に求めるものも変わっていたのでした。

おなじみの声が続いているようで、歌い方はずっと決まりきっていない。
2001年の「ばらの花」から、その歩みをたどります。

初期――歌に興味がなくても、残った声

「ばらの花」は2001年1月に発表された、くるりの7枚目のシングルです。
岸田の歌に、当時SUPERCARのメンバーだったmikiのコーラスが重なります。
この時期のくるりを思い出すとき、岸田の声だけでなく、ほかの声や楽器まで一緒に浮かぶ人もいるでしょう。

岸田は後年、初期の自分の歌い方を、叫ぶものを除けば、声をまっすぐに出す「棒歌い」だったと振り返りました。
もともと歌が得意だとは思っておらず、積極的に歌いたい気持ちもあまりなかったそうです。

それでも、残った曲はあります。
2023年に「東京」と「ばらの花」を振り返ったとき、岸田は、作り手の思い入れ以上に、聴き手の中で大きくなった曲だと話していました。
歌う本人の自己評価と、その声を好きになった人の思いは、必ずしも同じではないのでしょう。

初期の歌い方を、後の上達のための未完成な段階とだけ考えたくないのは、そのためです。
当時のまっすぐな歌を好きになった人がいた。
そのうえで、岸田自身の興味が、少しずつ歌へ向かっていきました。

2006年頃からの揺れ、2011年頃からの自覚

昔の録音を聴き返した岸田は、2006年頃から、語尾にビブラートがかかり始めていることに気づいたといいます。
ビブラートは、伸ばした音の高さを揺らす歌い方です。
本人にも、なぜ揺れが大きくなっていったのか、はっきりした理由はわかりませんでした。

一方、歌への意識を変えた時期は、2011年頃だったと語っています。
歌もきちんと歌おうと思い、新曲やほかの歌手の歌に触れるたび、声の出し方を試すようになりました。
以前は自分のギターが大きくて、声が聞こえないこともあったそうですが、曲の中で何を主役にするかを考えるようになったのです。

自然に変わっていく部分と、本人が試して変える部分。
岸田の歌声の変化には、その両方がありました。

2017年――管弦楽の中では、同じように歌えなかった

歌い方を見直す、もう一つのきっかけは、オーケストラの音楽でした。
岸田が作曲した「交響曲第一番」は、2016年に初演されました。
その後、くるりの「宿はなし」も、管弦楽の編成にアレンジしています。

この「宿はなし」の歌を録るとき、バンドのリズムに合わせる、それまでの方法では歌いきれないと感じたそうです。
周りの演奏が変わると、それまで自然にできていた歌い方が合わなくなることがある。
そこで、ロックバンドの中ではそれほど意識していなかった、歌うための呼吸を見直すことになりました。

また、中学生の頃に好きだったASKAの歌い方をまねし、歌っていて気持ちのよいところを探していたことも、変化につながったといいます。
声を出すことそのものに、以前とは違う関心が向いていたのでしょう。

2017年の「How Can I Do?」は、その変化が注目された曲です。
当時の評では、言葉を一つずつ丁寧に運び、音をなめらかにつなぐ歌い方が取り上げられました。
初期の棒歌いから、旋律をたっぷり歌う方向へ。
ただ声を強くするというより、言葉にかける時間や、音のつなぎ方に楽しみを見つけたように思います。

2018年の岸田繁
2018年の岸田繁。撮影:須田卓馬/写真出典:音楽ナタリー

2018年――歌うのが楽しそう、と言われるようになった

2018年の『ソングライン』の頃には、メンバーのファンファンからも、最近は歌うのが楽しそうだと言われています。
岸田も、以前より楽しく歌っていると認め、前年に布施明から刺激を受けたことを挙げていました。

一人の声の変化が、メンバーには、本人の楽しそうな様子として見えていた。
歌にあまり関心がなかったという出発点を思うと、印象に残るやり取りです。

同じ年の中野サンプラザ公演を訪れたファンの記録にも、それまでのライブ以上に歌声がよく響き、伸び伸びしていたという感想があります。
ひとりの感想ではありますが、録音の中だけでなく、会場でも歌の変化が受け取られていたことがわかります。

もっとも、たっぷり歌えば、そのぶん必ず曲によく合うわけではありません。
歌い込む楽しさと、曲にふさわしい歌を選ぶ判断の関係は、岸田繁の歌い方で詳しく扱っています。

2021年の「ばらの花」――同じ曲に戻ってみる

2001年の「ばらの花」は、その後もライブで歌われ続けています。
2021年の「FUJI & SUN」でも、くるりはこの曲を演奏しました。

岸田は翌2022年、喉も変わるので、「ばらの花」を昔と同じようには歌えないと話しています。
歌う本人にとって、同じ曲を20年後に歌うことは、かつての録音をそのまま再現することではなかったのです。

冒頭の2001年のスタジオ録音と、この2021年のライブでは、演奏する場所も、周りの音も違います。
声の違いをすべて年齢のせいにすることはできませんが、語尾をどう終えるか、言葉をどれくらい伸ばすかに注目すると、歌い方を比べる楽しさがあります。

2023年以降――昔の仲間と、昔とは違う歌を作る

2023年の『感覚は道標』は、初期メンバーのドラマー・森信行を迎えて作られました。
かつての3人が揃いましたが、歌詞や歌の作り方まで昔のままだったわけではありません。

岸田は、セッションで仮に歌った旋律に言葉を当てていったため、しっくりくる言葉も変わったと話しています。
ふだん話す日本語の自然な抑揚にこだわるだけでなく、言葉を音として曲に乗せる面白さが、改めて出てきたのでした。

歌詞を先に完成させ、意味がきちんと伝わるように歌う方法もあります。
この制作では、演奏しながら出た歌が先にあり、それに合う言葉を探した。
丁寧に歌うことを覚えたあとも、岸田の歌は、一つのやり方には落ち着きませんでした。

2023年のくるり(左:佐藤征史、右:岸田繁)
2023年のくるり。左から佐藤征史、岸田繁。撮影:竹内洋平/写真出典:J-WAVE NEWS

2026年の『儚くも美しき12の変奏』では、再び、デモをしっかり作ってから録音へ進んでいます。
岸田が気を配ったのは、丁寧に作りながらも、やりすぎて生々しさや新鮮さを失わないことでした。
思いつきを大切にすることと、時間をかけて仕上げること。その間を行き来しながら、歌も作られているのです。

まっすぐな歌から、選べる歌い方へ

岸田の歌声の歩みをたどると、まっすぐ歌うところから、語尾を揺らし、旋律をなめらかにつなぐところへと、表現が増えてきたことがわかります。
ただ、新しい方法を覚えるたび、古い方法を捨てたという話ではありません。
たっぷり歌う楽しさを知っても、曲によっては素朴な歌を選ぶ。
言葉を丁寧に伝える方法を身につけても、演奏から生まれた響きを優先することがある。

岸田が増やしてきたのは、上手に聞かせる技だけでなく、その曲をどう歌うかの選択肢だったのでしょう。
初期の「ばらの花」を好きなまま、後年の歌にも別の魅力を見つけられる。
おなじみの曲へ戻るたび、いつもの声の中で続いている試行錯誤にも耳を向けたくなります。

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