2022年、岸田繁は、もう「ばらの花」を昔と同じようには歌えないと話した。
それなのに2023年、結成時の3人で作った「朝顔」では、あえて「ばらの花」に通じる着想を使った。
声が変わったことを隠して若い日のくるりを再現するのではなく、変わった声のまま、かつての仲間と新しい歌を作ったのである。
その間に岸田は、いつから「歌」を意識するようになったのか。
本人が振り返る2000年代の歌声、管弦楽との仕事で見直した息の使い方、そして「朝顔」で言葉を書き直した時間をたどると、変化の輪郭が見えてくる。
「棒歌い」だった声が、いつの間にか動き始めた
「ばらの花」が発表されたのは2001年。
岸田繁、佐藤征史、森信行による時期のくるりを代表する曲で、原曲のコーラスにはSUPERCARのmikiも参加している。
後年の岸田は、当時の自分を振り返って「棒歌い」だったと表現した。
言葉をまっすぐ置くあの歌を、歌手として未完成だったという一言で片付けることはできない。
本人の評価とは別に、聴き手にとって「ばらの花」は、その声で記憶に残った曲だからだ。
変化は、本人の計画通りに始まったわけでもない。
2022年の対談で岸田は、古い音源を聴き返すと2006年頃から歌の語尾にビブラートがかかり始めたと話している。
ビブラートは、音を伸ばす終わりに声が揺れること。
以前はそれがほとんどなかったのに、本人にも理由が分からないまま増えていったという。
変化を本人自身があとから発見したのである。
くるりは編成や音楽性を何度も変えてきたが、その間、岸田の声もまた、本人の意図だけでは決まらない変化をしていた。
2011年、「歌もちゃんと歌おう」と決めた
そうした自然な変化とは別に、岸田が意識して歌へ向かった時期がある。
同じ2022年の対談で、2011年頃に「歌もちゃんと歌わなあかんな」と考え、新しい曲で声の使い方を試すようになったと振り返った。
ほかの歌い手と会うことも、自分の歌を考え直すきっかけになったという。
この頃に変わったのは、声だけではなかった。
以前はギターも思い切り弾きたいという気持ちが勝ち、自分の演奏で歌が聞こえなくなることもあったという。
2011年頃からは、その曲の、その場面で何を聴かせるべきかを考えるようになった。
歌が主役なら、ギターもそれを支える。
歌い方を探すことと、歌が届く演奏を作ることが、岸田の中でつながり始めたのだ。
「奇跡」は、その時期の歌をたどれる一曲だ。
本人はこの曲などを振り返り、意外な仕掛けよりも、よいメロディと自然な和音の流れを備えたポップスを意識していたと説明している。
2011年3月7日の日本武道館公演で歌われた姿が、くるりの公式ライブ映像として残っている。
岸田が歌を自分の課題として引き受けた頃の演奏だ。
「もっと歌えるようになる」という直線的な話にもならなかった。
古い曲を作った時の歌い方を繰り返せば、その曲らしさは守れるかもしれない。
しかし岸田は、昔と同じ方法をただ反復することに関心を持てなくなっていく。
何を新しく歌えるかを試すことが、歌手としての仕事に加わった。
管弦楽の中では、バンドの歌い方だけでは届かなかった
2016年に交響曲第1番を発表した後、岸田はNHK京都の番組のために「宿はなし」を管弦楽で編曲した。
音楽評論家の岡村詩野が2017年に直接聞いたところ、岸田はその録音で、ロックバンドのリズムに合わせて歌う方法だけでは歌いきれないと気づいたという。
管弦楽の中で歌うには、これまでさほど意識しなかった呼吸が重要になった。
曲の編成が変わったというだけではない。
伴奏の中で言葉をどこまで息に乗せるか、歌い手側の選択を見直す必要が生じたのだ。
「宿はなし」は同年9月の京都音楽博覧会でもオーケストラと演奏された。
その公演の正規ライブ音源は、番組用に録音した管弦楽版とは別の記録である。
続く2017年の「How Can I Do?」を聴いた岡村は、かつての淡々とした歌から、言葉の音節をつなぎながら歌う方向への変化を指摘した。
岸田自身も、この時期に歌い方を試していた。
岸田は、少年時代に好きだったASKAの歌い方を試し、歌っていて気持ちのよいところを探したことも語っている。
自分の声で選べる歌い回しが増えたのである。

撮影:須田卓馬/写真出典:音楽ナタリー
楽しく歌うようになっても、昔の一曲は戻らない
翌2018年の『ソングライン』の取材では、メンバーのファンファンが、最近は楽しそうに歌っていると岸田に伝えた。
岸田も以前より歌うことを楽しんでいると答え、前年に布施明の歌から受けた刺激に触れている。
「歌うべきだ」と自分に言い聞かせた2011年から、歌うこと自体を楽しむ2018年へ。
ただ、表現を増やすほど、録り直した歌が曲から浮いてしまうこともあった。
佐藤は『ソングライン』の取材で、岸田がたっぷり歌いすぎ、あとで本人も大げさだと感じる場合があったと明かしている。
歌う楽しさを知った先で、どこまで歌い込むかをバンドで選ぶ段階に進んでいた。
同作で、デモの自然な歌を完成形に選んだ理由は、岸田繁の歌い方を扱った記事で詳しく触れている。
この変遷を考える上で注目したいのは、録音を整え直すだけが歌の前進ではなくなったことだ。
一方、「ばらの花」はライブで歌い続けている。
2021年の「FUJI & SUN」でも披露された。
その翌年、岸田は喉も変わり、この曲は昔と同じようには歌えないと率直に話した。
2021年の公式ライブ映像と2001年の原曲を並べると、少なくとも同じ曲を隔てた20年をたどれる。
2023年、昔の3人が「昔の3人」を再現しなかった
結成時のドラマー森信行が戻った2023年のアルバム『感覚は道標』では、くるりは3人のセッションから曲を作った。
岸田は、自分たちの過去をセルフカバーするのでなく、いまの3人を現在地に置きたかったと説明している。
その考えが最も鮮明なのが「朝顔」だ。
岸田が書いたセルフライナーノーツによれば、「朝顔」の演奏とメロディは「ばらの花」のような着想からすぐに生まれた。
ところが歌詞は3度ほど書いては取りやめた。
昔の曲に似た作り方を採っても、いま声に乗せる言葉は簡単には決まらなかったのである。
岸田は、録音する環境も自分の声も年齢も当時とは違うから、仕上がった手触りはまったく別物だとも書いている。
書き直した理由には、リズムの難しさもあった。
本人の説明では、複数のリズムが重なるピアノのフレーズを少しずつずらし、幾重にも重ねている。
その動きの中で、かつて一緒に過ごし、いまここにはいない存在を歌う。
昔の曲へ似せる着想があっても、出来上がった演奏に合う言葉を、現在の自分で探す必要があった。
このアルバムでは、先にセッションで生まれたメロディへ歌詞を当てたため、言葉の選び方も変わったという。
佐藤は、今回は音の響きから言葉を選ぶことが多いと感じた。
対談相手の田中宗一郎も、岸田が以前は話し言葉に近い日本語の抑揚を歌へ持ち込もうとしていたのに、今回はその縛りがないと指摘している。
まず3人の演奏が作ったメロディを受け取り、そこへ現在の自分の言葉を探す順番になった。
先行公開された「In Your Life」も、同じ3人で作った一曲だ。
かつての編成から、懐かしさだけに頼らない新しい曲が生まれた。

左から佐藤征史、岸田繁。
撮影:竹内洋平/写真出典:J-WAVE NEWS
変わった声を、次の曲の条件にする
2026年の『儚くも美しき12の変奏』では、3人のセッションを起点にした前作から方針を変え、岸田はあらかじめ作ったデモをもとに、歌を中心とする曲を意識した。
アルバムの収録曲「金星」も公式に映像が公開されている。
歌をどう置くかを毎回考え直す姿勢は、2011年に歌を課題にした頃から途切れていない。
「ばらの花」を昔と同じように歌えない、という言葉は、昔の歌を失ったという結論ではなかった。
呼吸を見直し、歌う楽しさを知り、元の3人と「ばらの花」に連なる新曲を書いた。
「朝顔」は、その長い時間をなかったことにせず、現在の声だからこそ別の歌になった。

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