薬師丸ひろ子の歌い方|思い出の声を変えたくない理由

2021年の歌手活動40周年コンサートで歌う薬師丸ひろ子 シンガー
2021年の歌手活動40周年コンサートで歌う薬師丸ひろ子。撮影:田中聖太郎/写真出典:WOWOW

昔のヒット曲を、何十年たっても原曲と同じキーで歌う。
薬師丸ひろ子の歌声について語るとき、よく驚かれることです。
ただ、本人が大切にしているのは、高い音が出ることだけではありません。
その曲を初めて聴いた人が覚えている、声の響きまで変えたくないと考えています。

長く歌ってきた曲は、もう自分だけのものではなく、聴き手の思い出になっている。
だから、今の自分の好みだけで歌を変えるわけにはいかない。
あの澄んだ声には、そんな思いも含まれているのです。

1981年のデビュー曲「セーラー服と機関銃」。
2023年の東京国際フォーラムでの歌にも、あの頃を懐かしんだ人がいるでしょう。
歌手が守ろうとしている響きと、客席の人が覚えている響き。
その二つが重なることを願って歌っているのだと知ると、聴き慣れた曲にも、あらためて耳を傾けたくなります。

高い音を出すためだけの、原曲キーではない

原曲キーとは、曲全体の音の高さを、最初の録音から上げ下げしないことです。
同じ曲でもキーを変えると、声の明るさや、歌い手が力を入れる場所が変わることがあります。
何度も聴いた歌なら、聴き手が覚えている響きとの差を感じることもあるでしょう。

薬師丸は2018年、当時と同じキーで歌うことで、客席の人に青春時代や大切な記憶を思い出してほしいと話していました。
その話から伝わるのは、声が出ることへの自負以上に、客席の人の記憶を大切にしたいという気持ちです。

もちろん、身体まで昔のままという意味ではありません。
2021年には、高い声は朝起きてすぐ出せるものではなく、歌うには大きなエネルギーが要るとも語っています。
そのうえで、音の高さだけでなく、声の音色も大事にする。
「変わらない」と感じる歌の裏には、今の身体で、その響きをもう一度作ろうとする意志があります。

ここでいう音色は、同じ高さの音でも、誰が歌うかで違って感じられる声の質感です。
原曲の高い音に届くだけで、聴き手の記憶にある声まで再現できるわけではありません。
薬師丸が守ろうとしているのは、曲の高さと、その高さで歌ったときに伝わる自分らしい響きの両方なのです。

歌詞がなくても伝わる、声そのものの響き

長く編曲を手がけてきた武部聡志は、薬師丸の声を、鈴を思わせる響きとして語っています。
自分の作った伴奏に、その声が乗ること自体が楽しみだったそうです。
上手く旋律を歌えることに加えて、曲を渡す側が思わず惹かれる音色がありました。

薬師丸自身にも、その特徴を実感する出来事があったといいます。
共演したオーケストラの奏者から、自分の楽器の音と彼女の声が同じ響きで耳に返ってくる、と言われたことがありました。
また、作詞家からは、まだ歌詞の付いていないデモで「ラララ」と歌う声を聴くだけでも楽しいと言われたそうです。

言葉の意味が決まる前から、声が曲の表情を作っている。
こうした話は、薬師丸の透明感を考えるうえで面白い手がかりです。
高音の一か所だけに注目するより、旋律が続く間の響きと、伴奏との重なりを追ってみたくなります。

素直に聞こえる歌も、何度も録り直している

薬師丸の歌を、合唱のように素直な歌い方だと感じる人もいるでしょう。
若い頃の活動を支えた宣伝プロデューサーの遠藤茂行も、合唱団で歌っていた彼女について、合唱のリーダーを思わせる歌い方だったと振り返っています。
旋律を大きく崩したり、強い癖をつけたりする前に、声そのものに耳が向く歌手だったのでしょう。

けれど、素直に聞こえる歌が、簡単に出来上がるとは限りません。
録音を担当した山川智は、本人が納得するまで何度も歌い直し、そろそろ疲れるだろうと思ったところで、さらに良い歌が出てくることがあったと話しています。
聞こえてくる声は穏やかでも、録音する本人は、もう少し良く歌えるはずだと粘っていたのです。

2024年のコンサートを訪れた人の感想にも、音と言葉を一つずつ丁寧に歌うことへの感動がありました。
透明感という言葉でまとめたくなる声ですが、その声で何をしているかに目を向けると、少し印象が変わります。
高い音を伸ばすところだけでなく、そこへ進む言葉も丁寧に歌う。
その積み重ねが、曲を知っている人にとっては、思い出の歌を大事に扱ってもらえた喜びにもなるのだと思います。

一方で、本人は、若い頃の歌を単に未熟だったとは考えていません。
2021年に初期のアルバム『古今集』を聴き直した際には、ほどよく力が抜けた歌い方に魅力を感じたと話しています。
当時だからこそできた表現があり、今の自分には出せないものもあると受け止めていました。

何度も歌って仕上げる姿と、力の抜けた歌をよいと思う姿は、どちらも薬師丸の歌への向き合い方です。
熱心に取り組むことが、必ずしも力を込めた声として聞こえるとは限らない。
歌を受け取る人には、自然に旋律が届くことを大切にしているのでしょう。

2021年の歌手活動40周年コンサートで歌う薬師丸ひろ子
2021年の歌手活動40周年コンサートで歌う薬師丸ひろ子。
撮影:田中聖太郎/写真出典:WOWOW

「Woman」は、同じ声で歌いながら理解を深める曲

声の印象を大切にしながら、歌詞の受け止め方を深めていくこともあります。
「Woman “Wの悲劇”より」は、作曲した松任谷由実から、自分のために仕立てられた服のような曲だと伝えられた歌でした。
薬師丸はその話を振り返り、長く大切にまとっていきたいという気持ちで歌ってきたと語っています。

ただ、よく知る持ち歌になってからも、理解しきったとは感じていません。
2021年の取材でも、この曲には、まだ十分に自分のものにできていない部分があると話していました。
年齢を重ねれば、歌の捉え方も変わってくるからです。

覚えている声が聞こえる安心感と、同じ言葉から新しい気持ちを受け取ること。
長く歌う一曲には、その両方があってよいのでしょう。
原曲キーを守るという選択も、解釈まで昔のままに固定することではありません。
「Woman」を今の歌として歌う姿は、そのことを教えてくれます。

歌うたびに、思い出の声を届け直す

薬師丸は、客席の前に立つと、伝えたい、聴いてほしいという気持ちが強くなり、歌が育っていくと話しています。
昔の曲を原曲キーで歌っても、録音をそのまま繰り返すわけではありません。
その日の客席へ、覚えている歌をもう一度届けるのです。

薬師丸ひろ子の「変わらない声」は、聴き手の記憶を大切にする選択でもあります。
その声で新しい歌詞を書き、昔の曲を新しい編曲で歌ってきた歩みは、薬師丸ひろ子の歌声の変遷で紹介しています。

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