山口百恵の「プレイバックPart2」には、同じ台詞が二度出てきます。
言葉は同じでも、相手も、その相手との関係も違う。
作詞した阿木燿子は、そこを歌い分けてほしいと思っていました。
ところが、説明する前に百恵が歌い始めると、すでに望んでいた違いが声に表れていたそうです。
百恵の歌を、落ち着いた低い声や、大人びた雰囲気で覚えている人もいるでしょう。
けれど、この話で気になるのは、声の低さそのものより、同じ言葉に別の気持ちを持たせたことです。
歌詞の中で誰が何に腹を立て、何を思い出しているのか。
その順番を追うと、「プレイバックPart2」の歌い方がぐっと面白くなります。
道路での口論と、恋人に言った言葉
1978年に発表された「プレイバックPart2」の主人公は、車を運転している女性です。
交差点で車同士のトラブルになり、隣の車の男性と言い争う。
そこで出るのが「馬鹿にしないでよ」という台詞です。
見ず知らずの相手に、そちらが悪いのだと言い返す場面になっています。
ところが、その言葉を口にしたことで、主人公は昨夜の出来事を思い出します。
自分は恋人にも同じことを言ったのだ、と。
二度目の台詞は、いま目の前にいる相手への反撃から、恋人とのやりとりの記憶へ移っています。
同じ1番の中で、主人公の意識が現在から昨夜へ戻るのです。
だから、同じ言葉を繰り返す部分でも、まったく同じ気分で歌えばよいとは限らない。
相手が変われば、その言葉が抱えているものも変わります。

見ず知らずの相手との口論なら、その場のトラブルがきっかけです。
一方、恋人に言った言葉には、それまでの二人の関係があります。
何も知らない相手をはねつける声と、親しい相手に向けた言葉を思い返す声。
その違いをどう歌うかが、この曲の台詞を聴くときの大事なところです。
作詞家が説明するより先に、歌い分けていた
阿木燿子が思い描いていたのは、最初を18歳、次を30歳の女性のように歌うことでした。
18歳と30歳は、声から感じさせたい女性像を表す例えです。
同じ台詞でも、若さの勢いが前に出る言い方と、大人の女性を感じさせる言い方に変えてほしい、という歌のイメージです。
しかし録音当日は、その相談をする余裕がありませんでした。
曲の完成が遅れ、当日になってから伴奏と歌を録音し、その日のうちに仕上げるという、ぎりぎりの日程だったのです。
阿木が歌い分けの希望を伝えないまま、録音が始まります。
最初の歌を聴き返すと、百恵の声は、すでに阿木の考えていた二通りの女性を表していました。
細かく演技をつけてから歌ってもらった結果ではなく、百恵が歌詞を受け取った段階で、その違いを歌にしていたのです。
この出来事を知ると、あの台詞の強さにも、別の意味が見えてきます。
ただ強気に言い放つだけなら、二度とも同じように歌うこともできます。
百恵は、強い言葉の中にも、相手との距離や気持ちの違いを作った。
阿木が驚いたのは、歌の迫力と同時に、そこまで歌詞を読んでいたことだったのでしょう。
手本の歌を覚えても、そのままでは歌わない
こうした表現は、「プレイバックPart2」だけの出来事ではなかったようです。
多くの曲を作った宇崎竜童も、百恵がどのように歌を覚えていたのか、不思議に思っていました。
引退後に本人へ尋ねると、宇崎のデモテープを聴き、歌詞カードを見ていたと答えたそうです。
宇崎が渡していたのは、ギターを弾きながら自分で歌った、曲の手本となる録音です。
どの言葉をどんな表情で歌うか、そこまで指示したものではありませんでした。
それでも録音の現場で百恵が歌うと、すでに百恵自身の表現になっていた、と宇崎は振り返っています。
宇崎が挙げたのは、同じ言葉でも、1番から2番へ物語が進めば歌い方が変わることでした。
先ほどの「プレイバックPart2」の二つの台詞とは別に、曲全体を通じても、言葉の置かれた状況を捉えていたという話です。
メロディーと歌詞を覚えるだけなら、繰り返しは同じ形で歌えます。
百恵はそこに、前の場面を経験した人物が次に何を感じるか、という時間の流れを持たせていたのです。
歌詞に書かれていることを、声で一つずつ説明し直す必要はありません。
それでも、歌い方が変わると、同じ言葉の聞こえ方は変わる。
阿木や宇崎の話に共通しているのは、百恵が作り手の手本を覚えた先で、歌の人物の気持ちまで自分で考えていたことです。
伴奏を作り直しても、元の歌がなじんだ
百恵の歌には、引退後にも制作スタッフを驚かせたことがありました。
かつての歌声を使い、伴奏を新しく作り直した『百恵回帰』シリーズです。
百恵が復帰して歌い直した作品ではありません。
以前に録音した声を残し、その周りの楽器の演奏を変えています。
制作に携わった川瀬泰雄によると、元の歌声を使うため、曲の速さを変えることはできませんでした。
その条件で、編曲の萩田光雄と伴奏を大きく変えていったそうです。
新しい伴奏に元の歌を合わせるまで、歌との相性が分からない面もありました。
ところが川瀬には、歌を重ねた途端、百恵が初めからその伴奏で歌っていたように感じられました。
声を録り直して新しい演奏へ合わせたわけでもないのに、不自然にならなかったのです。
もちろん、どんな伴奏にも合うという話ではありません。
それでも、編曲を変えた制作者が、歌の個性を改めて強く感じたというのは興味深いことです。
その時代の楽器の音や、レコード全体の雰囲気だけが、百恵らしさを作っていたわけではなかった。
言葉の歌い方に残された表情も、百恵の歌を百恵の歌にしていたのでしょう。
強い台詞の、その前にも耳を向けたい
「プレイバックPart2」の二つの台詞は、歌う人も、言葉も同じです。
変わっているのは、誰に向けた言葉なのか、そして主人公が何を思い出しているのか。
百恵は、その違いを作詞家から説明される前に歌い分けていました。
百恵らしさを声の低さだけで考えると、この曲で起きている大事なことを取りこぼしてしまいます。
同じ低い声でも、知らない男性に言い返す場面と、恋人との昨夜を思い返す場面では、台詞に込める気持ちが違うからです。
もう一度聴くなら、強い台詞が来るのを待つだけでなく、その直前に主人公が誰のことを考えているかも追ってみてください。
一度目に外へ向かっていた怒りが、二度目には自分と恋人の記憶につながる。
山口百恵の歌の面白さは、よく覚えている短い言葉の中にも、そんな気持ちの動きがあることです。






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