スガシカオの歌には、文字だけで読むと、ぎょっとするような言葉が出てきます。
それでも曲になると、言葉のきつさに身構えるより先に、歌を聴き続けてしまう。
本人も、自分の声には、強烈な表現を歌っても自然に聴かせられるところがあると話しています。
もちろん、声さえ独特なら、どんな言葉でも同じように歌えるわけではありません。
言葉を置くタイミングに合わせてリズムを作り、伴奏が重くなれば声を鋭くし、一曲の物語に合わせて力の配分を変える。
スガシカオは、自分の声がどう聴こえるかを、言葉と伴奏の関係から考える歌手です。
かすれた声で何を歌うか。その言葉を、どんな伴奏の中で響かせるか。
そこまで追うと、スガシカオの歌の面白さが見えてきます。
言葉の「っ」一つで、リズムが変わる
初期のスガシカオは、歌のためのリズムを自分で細かく組み立てていました。
理由は、日本語を自分の思うタイミングで歌いたかったからです。
2000年のインタビューでは、言葉に含まれる小さな「っ」のような感覚まで、リズムに関わってくると説明しています。
たとえば言葉を少しためてから出すのか、すぐに次の言葉へ進むのかで、歌の弾み方は違う。
生のドラムに歌を合わせようとすると、自分の中にある言葉のタイミングと噛み合わないことがあったのです。
そこで、初期の3枚のアルバムでは、リズムを打ち込みで作る方法が中心になりました。
自分が歌いたい日本語の細かな調子を、伴奏の側にも持たせたかった。
そう考えると、リズム作りも歌い方の一部だったと分かります。
その後は、他の演奏家が作るリズムの上でも、自分の歌を生かせるようになっていきます。
2014年の「アストライド」では、ディアンジェロなどが歌う、拍に対して少しずらすようなリズムの取り方を、日本語の歌に取り込もうとしました。
本人は後年、この頃から試していた歌のリズムが、次第に自分のものになっていったと振り返っています。
スガシカオの歌を聴くときは、どんな言葉かに加えて、いつその言葉が出てくるかにも注目したくなります。
意味が同じでも、伴奏に対して言葉を出す位置が変われば、せかせかした感じにも、余裕のある感じにもなる。
歌詞の面白さとリズムの気持ちよさを、一緒に作っているのです。
「赤い実」では、声をわざと鋭くした

伴奏と言葉が噛み合っていても、歌声そのものが埋もれてしまうことはあります。
2013年の「赤い実」を作ったとき、スガシカオが考えたのは、その問題でした。
この曲では、楽器の音作りから演奏、打ち込みまで、自分で細かく作業しています。
重く、粘りのある伴奏が出来上がると、そこへ同じように重い歌い方を重ねるのは違うと感じたそうです。
楽器も声も似た性格になると、歌が主役として目立たなくなる。
そこで、普段よりキーを半音二つ分上げ、鋭く張った声で歌うことにしました。
本人にとっても楽な高さではなかったものの、狙いどおり歌を際立たせられたといいます。
ここで面白いのは、高音を出せることを見せるために、キーを上げたわけではない点です。
重い伴奏の中で、歌声だけは輪郭がはっきりするようにしたかった。
声を楽器と同じ方向へ寄せるか、違う性格にするかまで含めて、歌い方を選んでいます。
スガシカオらしい声は、いつも一定の力で出している声でもありません。
伴奏が変われば、あの声の鋭さも、必要に応じて変わるのです。
危うい言葉を、歌として聴かせる
では、こうした声とリズムに、きつい言葉が乗ると何が起こるのでしょうか。
スガシカオは、自分の曲はサビまでが短いことも多く、長々と状況を説明する余裕がないと話しています。
少ない言葉で、いきなり人間の欲望や弱さに触れる。
その短さが、歌詞を強烈にする一因でもあります。
ところが本人は、自分の声で歌えば、そうした表現もそれほど異様には聴こえないと感じていました。
ここには、書き手として言葉を選ぶだけではなく、歌ったときの受け取られ方まで含めて選ぶ感覚があります。
2016年のライブ評にも、その効果を思わせる場面が出てきます。
露骨な表現のある「青春のホルマリン漬け」で、客席が本人と一緒に歌っていたというのです。
評者の松浦靖恵は、スガシカオの曲には、そうした歌詞でも聴き手が入り込めるところがあると捉えていました。
きつい言葉に、さらに怒りや威圧を重ねて歌うと、聴く側は身構えることもあるでしょう。
スガシカオの場合は、まず歌の調子に引き込まれ、そのあとで言葉の危うさに気づく。
彼自身の声についての話と、客席で起きていたことを重ねると、そんな聴かれ方が見えてきます。
言葉を無害にしているわけではありません。
人に言いづらい感情も、歌の調子に引き込まれているうちに、他人事ではなくなってくるのだと思います。
大きく歌うだけでは、「ヒカルカケラ」は伝わらない

一方で、言葉を強く響かせたいときに、声量を上げれば解決するとも考えていません。
その難しさを本人が感じた曲が、「ヒカルカケラ」です。
2017年にLittle Glee Monsterへ提供し、2021年の『Sugarless III』で自ら歌った曲です。
スガシカオは、音を追って歌うことと、歌詞の物語を伝えることは別だと説明しています。
サビだけ力いっぱい歌っても、曲全体の感情の流れは作れない。
歌い出しからどう進めるかが問われる曲でした。
提供先の芹奈の歌について、彼が高く評価したのも、一曲を通した組み立て方でした。
自分で作った曲であっても、別の歌手の表現から気づかされることがある。
言葉を書いた本人だから、そのまま最もよく歌える、という簡単な話ではないのです。
「赤い実」では、伴奏との違いを作るために声を鋭くした。
「ヒカルカケラ」では、物語が伝わるように、一曲全体の歌い方を考えた。
どちらも、声をどれだけ出すかの前に、その声で何を伝えるかを決めています。
スガシカオのきつい言葉を、つい聴き続けてしまうのは、声質の不思議さだけではないのでしょう。
言葉の小さな弾みから、伴奏の中での目立ち方、一曲の感情の流れまで、声を生かす工夫がつながっている。
だから、言いにくい感情まで、歌の気持ちよさと一緒に耳へ入ってくるのだと思います。
こうした工夫を重ねながら、本人はデビュー20周年を過ぎて、歌を曲の中心に置く意識が強まったとも話しています。
その転機と「Progress」の再録については、スガシカオの歌声の変遷でたどっています。






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