2024年のアルバム『らんど』に入った「永遠少女」の制作で、向井秀徳の中には、最初のアルバムに入れた「自問自答」と通じる感覚がありました。
強い言葉を出すときの圧力。
自分自身にも突きつけずにはいられないものを、歌にする感覚です。
向井秀徳の声を思い浮かべると、まず叫びが浮かぶ人もいるでしょう。
けれど、長い歩みを叫び声の強弱だけで追うと、変わってきたものを見失います。
言葉をリズムへどう載せるか、どこまで旋律に沿うか、客席とどう声を交わすか。
NUMBER GIRLからZAZEN BOYSへ、その選択が広がった過程をたどります。
「透明少女」の頃からあった、感情と距離の両方
NUMBER GIRLは1995年に福岡で結成され、1999年に「透明少女」でメジャーデビューしました。
同年のアルバムが『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』です。
当時の向井は、自分だけの気持ちを説明する歌を目指していたわけではありません。
1999年の取材では、自分を冷静に見る部分と、感情のまま進む部分が同時にあると話していました。
その中途半端な状態こそ現実に近い、と。
取材者が感じ取っていたのも、轟音と、痛みを感じさせる言葉が一緒に届く強さでした。
ここを出発点にすると、後に語りやユーモアが増えることも、不思議ではなくなります。
感情に入り込みながら、少し離れたところから自分を見る。
その二つの視点が、声の置き場所をひとつに決めさせなかったのではないでしょうか。
2002年、言葉の載せ方を自由にした意外な経験
「NUM-AMI-DABUTZ」へ至る頃、向井はPANICSMILEの「猫町音頭」に参加しています。
複雑な拍の音楽に、どこで言葉を入れ、どう節をつければよいのか。
初めは、その位置がつかめなかったといいます。
その経験を経た「NUM-AMI-DABUTZ」では、出来た歌詞を曲へ載せるために節や言葉の配分を作る、その作業が以前より自由になっていました。
同じ頃に共演した54-71からは、ビートへの厳しい姿勢にも刺激を受けています。
歌の載せ方が自由になったことと、リズムへの要求が強くなったこと。
この両方が進んでいた点も見逃せません。
自由な歌を、拍が曖昧になった歌と取り違えずに捉える手がかりになります。
2002年の取材では、「NUM-AMI-DABUTZ」の歌はラップとも語りとも言い切れないと受け止められていました。
一方、向井本人は、心境が急に変わったという説明にはしていません。
今ある表現をさらに先へ進めたい、その要求が高まっていたのです。
言葉を先に置き、曲の中で自由に節を作っていく。
その経験から歌を捉えると、旋律へきれいに収まらない部分にも意味が見えてきます。
この転機は、激しさが増したという説明よりも、後の向井の歌へ具体的につながります。
2004年、普通に歌うだけでは足りなくなった
ZAZEN BOYSの最初のアルバムが出た2004年、取材者の鈴木喜之は、裏声と唸るような声の対比に注目していました。
向井は、新しく始める自分の切迫した気持ちを、普通に旋律を歌うだけでは表せなかった、と答えています。
声の種類が増えた背景には、伝えたい言葉と、そのときの切実さがあった。
滑らかな旋律に収まらない感情が、声の質感を変える理由にもなる。
新しいバンドでの歌は、初期の張り詰めた表現を、もっと複数の声へ開いていきました。

左側が向井秀徳。
画像出典:画像掲載元
2008年、「Asobi」ではつぶやきも音楽の中心へ
『ZAZEN BOYS 4』の「Asobi」では、つぶやく声がシンセサイザーを使った音楽の中に置かれます。
当時の評者、加藤直子が捉えたのは、哀愁のあるハウスの響きと、その声の組み合わせでした。
ここでは、強く張り上げない声が曲の世界を作っています。
この頃、向井の作り方にも変化がありました。
以前の録音機に代わってコンピューターを使い、鍵盤にも触れるようになったのです。
機械で組んだ音と、人が演奏する感触との関係を考える制作が、曲の形を変えていました。
声の変化を、年齢で丸くなったから、と片づけることはできません。
つぶやきが生きる音楽を作れば、強く叫ばずに存在できる場所が生まれる。
声を変えることと、声を置く音を変えることが、並行して進んでいたと考えると分かりやすいでしょう。
2012年、同じリフの上で感情を歌う
2012年の『すとーりーず』では、打ち込みからバンドの演奏へ重心が移ります。
「はあとぶれいく」は、同じリフに歌を重ねて感情を表す曲です。
向井にとって、バンドは歌を支えるだけの集団ではありません。
各パートがそれぞれ強く主張し、それでも全体としてかみ合うことを大切にしていました。
歌も、そのせめぎ合いの中に置かれています。
言葉を押し込むように歌った時期を経て、旋律に感情を預ける選択も、よりはっきり見えてくる。
語りから歌へ単純に戻ったのではなく、同じ歌い手の中に、言葉を刻む方法と節を歌う方法が共存していました。
ライブで、客席と声を交わすようになる
2013年には、客席に歌を促す場面が以前より増えたことも話題になっています。
向井が求めていたのは、全員を同じ感情へまとめること以上に、ステージと客席を声が行き来する関係でした。
演奏中の思いつきが、次のライブでは曲の形になっていることもある。
録音で完成した歌を再現するだけではない、変化の場所がライブにありました。
例えば、チャルメラの節に言葉を載せ、客席にも歌ってもらう。
以前は、合唱するより、一人ひとりが声を上げたり黙ったりする感情の渦を大事にしていた人です。
そこへ、相手の声を引き出す面白さが加わりました。
思いつきを演奏中に試し、うまくいけば繰り返して育てる。
客席との関係も、その作り方で変わっていきます。
一人で言葉を放つことと、誰かの声が返ってくること。
この違いまで含めると、向井の歌の変遷は、発声の変化だけには収まりません。
誰に向かって、どんなやり取りとして歌うのかも変わっていったのです。

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2024年「永遠少女」、強い音に見合う言葉を求めて
『らんど』が発表されたのは2024年。
ただし、全曲がその直前に生まれたわけではありません。
MIYAが加わった初期の録音も残しながら、2019年からのNUMBER GIRL再結成と、2022年の活動終了を経て、アルバムへまとまっていきました。
「永遠少女」の曲を作ったのは、2022年のウクライナ侵攻より前でした。
強く響く音ができたからこそ、それに見合う重みを持つ言葉が必要になる。
向井はそのように制作を振り返っています。
大きな出来事を後から当てはめるより、音と言葉がせめぎ合った曲として捉えたいところです。
その制作で、自分の内側へ言葉を突きつける感覚が「自問自答」と重なった。
長く活動したから切迫感が消えた、という歩みではなかったのです。
『らんど』には、2019年に録った「杉並の少年」「黄泉の国」も使われています。
発表年だけで声を並べると、この制作の時間差も見えなくなります。
叫び、つぶやき、自由な節回し、客席とのやり取り。
向井秀徳は、ひとつの歌い方を完成させて守るより、言葉と音が必要とする声を、そのつど探してきたように思えます。
変わらない切実さがあったからこそ、歌い方のほうは変えられた。
「永遠少女」から初期へ戻ると、そのつながりも見えてきます。
声の質感やリズムの使い方は、向井秀徳の歌い方で曲ごとに掘り下げています。







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